
沖縄セルラースタジアムは人、人の波でいっぱいだった。久しぶりに県民大会に参加したが、圧倒的な意思行為のセレモニーは熱気にあふれていた。登壇するお一人お一人のお話はそれぞれ真っ当で感極まった。政治が情緒で動いているのだということが頭を掠めた。「わじわじー、と、がってぃんならん」の気持ちがお隣の70歳の男性をまた会場に向かわせていた。親子連れ、それぞれの地域からやってきた人々の群れ、がってぃんならん、の思いが固まりになってこぶしになり、「辺野古新基地NO」になり『屈しない』になる。昨夜は大学の研究棟にこもり、朝10時には家に戻り、大会に参加した。
会場への道すがら女性二人組みと一緒だった。豊見城からきた方は『最近畑にいても自衛隊のヘリがもううるさくてうるさくてたいへん」と何度も繰り返していた。みなさん異常さを日常的に感じているのだと、同じなのだと、感じていた。家の上空が自衛隊ヘリの通路で、上空ではF15や、F22などがうなっている沖縄である。亜熱帯の島は自然の美と共に人工的な醜悪な美をもっているのである。
翁長知事は思いを代弁してくれていた。一度も沖縄は自ら基地を求めたことはない、のである。無理やり押し付けられた基地である。アメリカの軍事政策の仕組みの中に囲われた戦後の歴史の歩みは闘いの歴史そのものだった。自らの人権の獲得、人間としての誇りの戦いのこの70年だったのだ。沖縄の戦後状況をまったく改善できず、地位協定も改定できない、日本政府の怠惰を追及した。そのとおりである。美しい日本国憲法の元に復帰したのだった。日本の現実は幻想だった。それでも沖縄の人間は闘ってきた!うちなーんちゅの誇りの大会だった!沖縄から日本の民主主義を問う大会だったのだ。世界一危険な普天間を放棄しているのは日本政府の怠惰(堕落)である。沖縄の人間が自ら求めた基地ではない。アメリカは無条件で撤去し、開放すべきである。辺野古に移設は沖縄内のたらいまわしであり、とんでもない論理展開である。翁長知事は正々堂々と、アメリカにも訴えたらいい。アメリカは国際法に照らしても違法な「治外法権」で沖縄の人権を無視していることになる。沖縄の「自決権」を圧迫している日米政府である。沖縄に対する「世界人権宣言」を犯しているのはアメリカと日本政府である。
民主主義を標榜する日米政府の欺瞞を堂々と世界に訴えたらいいのだ。「義」は「理」は沖縄にある!