お笑い役者の泉&やよいを抜擢したプロデューサーの手腕は、沖縄アピールに商魂も入れ込んだ才覚である!拍手喝采!途中で中だるみで、やはり一人芝居の焦点のエキス(詩)がそがれた凡庸さがあった。そこをお笑い芸でまるくまとめた。中味は実はとてもシリアスである。ペーソスが流れる。そこを巧みな話芸で笑いをはじかせる演出!最後は一緒にカチャーシーを踊ってお開きになる。戦闘機の爆音が響く中、カチャーシーはそれを跳ね返せるか?
艦砲の喰えぬくしゃ 作詞作曲:比嘉恒敏がいいね。最初と最後に流れる歌だ。そして平安座島の島唄(口説)が流れる。
スミ子の店(小さな居酒屋)の主の人生物語の筋書きである。北島角子一人が泉とやよいの二人になってしまった。年代は1879年、明治12年(1879年)から100年後の沖縄の、とある居酒屋の主の一人語りのはずの脚本!店に菊之露が並ぶ。(スポンサーになった菊之露さんは聡明だね)
Ⅰ部、スミ子の結婚と夫の長英との物語(豚小屋の前での初対面の場面など笑いがはじける)、友達のとし子の話。戦後の沖縄の貧しさの中で多くの民衆が潜り抜けたであろう生活、島の生活。サバニ大工が基地労働者として駆り立てられていった物語、離島ゆえの悲劇、一人息子の赤子を失う夫婦の哀しみ。米兵に襲われる女性たち家族の悲哀。島に道ができ石油タンク基地になっていった現代沖縄史の矛盾(痛み)、ガジュマルの木で自殺する長英。(名前の漢字があっているかどうか、以前プリントした脚本を見る必要がある)。天皇のご真影、フレームからスミ子の顔!痛烈な風刺がこめられている。『人類館』に類似するメンタリティーがある。
Ⅱ部、スミ子の父親の物語が中心で、コザ暴動までの歴史が語られる。沖縄の政治ヒーロー瀬長亀次郎の写真が柱に掛けられる。日本復帰運動が60年に始まる。瀬長に同志としてついていったスミ子の父は刑務所に収容された時も一緒だった。そして、黒人街と白人街の抗争、その中にまぎれたスミ子がいた。黒人街に身を落とした友達のとし子がいた。コザ暴動がクライマックスだ。
劇の筋書き(物語)は沖縄の戦後史を縦軸に澄子の家族と身近な者たちの物語を横軸に編んでいる。ある面きわめて政治的なメッセージが強い。台風銀座の沖縄で今年は二度目の台風が襲ってきた7月1日の午後の公演は満席!衆院議員の赤嶺さんや組踊保持者の方、新聞社の関係者、他舞踊家、政治運動家など、顔ぶれは米軍基地に拳を振り上げる人々が多い雰囲気。
泉&やよいコンビの語り口の面白さの反面、独り語りが影のように投影される物語を相棒が補足するので分かりいいが、焦点がぼけた気がした。二人とも民謡歌手でも舞踊家でもないので、歌もとても『お上手』ではなく、踊りも『お上手』ではない。二人の掛け合いのユンタクとなると勢いがいい。早口でまくしたてる。
何気なく呉屋かなめさんをイメージした。彼女なら一人でこのスミ子の店をうまく切り盛りしたのではないかとー。今年3月、フィリピン大学の劇場で、タガログ語で2時間の舞台を一人で演じた女優を思い出した。
二人で分散された劇が全国で巡演されていくことになると思うが、泉&やよいは北島角子にはなれない。
興味深いのは瀬長亀次郎の写真が店の柱にⅡ部からずっと掛っていることだ!←亀さんは、戦後沖縄の闘いの象徴でありつづける!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E9%95%B7%E4%BA%80%E6%AC%A1%E9%83%8E
瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6月10日 - 2001年(平成13年)10月5日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。沖縄人民党幹部。復帰前に、那覇市長(1期)、立法院議員(3期)、沖縄人民党委員長、国政参加選挙で衆議院議員1期。本土復帰後、衆議院議員としては人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長をつとめた。また、1946年 - 1949年、米軍機関紙「うるま新報」(後の琉球新報)社長を務めた。
http://www.performingarts.jp/j/data_drama/theater/d-00040.html ←より以下転載です!謝!あらすじがよくわかります!
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あります。
彼女を抜擢してほしいですね。