(心が癒される東屋)
救急隊員の親切な対応に感動し、救急医の先生や看護婦さんのてきぱきした連携にも感動した日だった。
いきなり冷たい風の中を歩き出したとたん、お腹と胸の真ん中辺りに物凄い痛みが襲った夕間暮れ、室内に戻っても痛みが止まらないので、近くにいたフランス語の大湾先生に頼んで救急を呼んで大学まで誘導していただいた。
点滴を受けて、病院のベッドに寝た日以来である。吐き気の中で身体が萎縮した日だった。あれから大きな病気はないが、検診は2年に一度受けるだけだから、年齢の近い教え子が、『先生癌検診もうけないとだめですよ。わたしは三つも問題抱えているのです」と声がかかってきたのは昨今のことで何かの前触れかもしれなかった。愛子さんのやさしい「言の葉」に励まされ、2月末までには、検診を受けようと決意していた矢先である。
家に戻るとタバコの臭いで脳が犯される環境ゆえに、大学にこもって久しい。もう少しこの体制で集中しないとまとめるべき対象も厳しいことがよくわかっているゆえに、雑事を振り切って、ひたすら自分のテーマに向かっているつもりで、わき見も続いていた1年だったのかもしれない。このブログなどは、表面を装うとher storyである。生きている実存の痕跡を残しているつもりでいるのだが、それがしかしどう結実していくかは、いずれ情報工学を専門にしている若者に「編集して、まとめてちょうだい」で下駄を預けて風と光の中に溶けていくのかもしれないと、思いつつ、続けている。下駄を預ける=英語ではI left everything to him.である。なるほどだ。
ネット・タトゥもある。死後もことばがネットに残ることがいいのか悪いのかわからない。電子書籍化と普通の書籍化はしたいと考えているが、今は取り組めない。200ページの報告書が目の前の課題で、A BIG PAPERもそうだ。それを終わらせない限り、次にいけないのだ。それにしても大学退職後に次々書物を出されている仲程昌徳先生には頭が下がる。この間蓄積されていたテーマを次々まとめているのである。余計なアドミニストレーションなどに関わらず、ひたすら文学の課題に向かう、ストイックな姿勢から得るものは大きい。一方で対社会や世界に向けて沖縄を開いている活動をしながらアカデーミックに闘う方々もいる。凄いね。
わたしの闘いは室内寝袋キャンピングなのかもしれない。今のテーマをまとめて社会に少しでも貢献でき、新たな認識を一つ付け加えることができたら本望である。2月2日はアメリカの大学院で一緒だった厚子さんや栄子さんと久しぶりに食事した日でもあった。大魚屋で3時ごろまで話が弾んだ。地震があって何万人ものネパール人が暖房装備がないところで笑顔で頑張っているという、その場でジャイカの専門職員として頑張っている厚子さんの話は、とても興味深くて、時間が惜しまれた。
彼女によるとヒンズー教徒のネパールの人々はとても人間関係が温かく、沖縄や日本人は恵まれているが、暗いイメージがすると云う。何もない貧しさの中で人々が互いに支えあって生きている姿には希望があるのだ。一方で社会的保障の光が当てられず餓死する姉弟がいる日本である。沖縄の格差、貧困の度合いの悪さは日本一である。廃藩置県から137年目の沖縄は日本の最貧困県でありつづける。グローバリズムの光と影が世界を覆っている現況だ。
話は救急に運ばれたこと、其の日で帰れたことだが、家には戻っていない。自己中の方に連絡する気もなかった。寝袋のある研究棟が棲家である。24時間365日ここで過ごせることに感謝しよう。(?! )最も365日、ここで過ごしているわけではないが、家に戻っても落ち着かず、このスペースに戻っている。肝臓のCTスキャン、MRI、血液検査などが続いていく。ついでに女性の疾患が多いところをすべて検査したい。前もそうだったが、点滴をしてもらって気分がよくなり、そのときMRAの検査もしたのだが、脳梗塞の心配はなかった。なんとなく生きて帰れることが、「ああ、まだ生きていいのだ」と何かに後押しされているような気分にはなった。まだ「スクブン」は終わっていない。
疲れがどっと押し寄せるような昼下がり、琉大病院には、タクシーに歩道を歩いている時アタックされ、全治3ヶ月の骨折で入院している友人がいた。1年ぶりに彼女に会っておしゃべりして、風がすこし冷たい坂をくだって戻ってきた。
キャンパスの庭に菫の花が微笑んでいる春だ!菫の花は実家でも咲いているのだろう!母が逝ってしまった実家はとても遠くなってしまった!タンポポや菫の花が咲き誇る庭にいついけるのだろう。最近母の貌が脳裡を過る。
研究棟、ラウンジでは徹夜の学生たちも!みなそれぞれに目の前の課題と闘っている冬!
もうすこしがんばらねばなりません。お気持ち、素直に、うれしいです。