今年は何年ぶりかに会場の沖縄市民会館まで足を運べるだろうか。たしかに雄大な大合唱「ハレルヤ」コーラスは感極まる。『メサイア』はカトリックの国アイルランドのダブリンではじめて1742年4月13日に初演され、ダブリンの聴衆は熱狂をもって迎えたと いう。灌漑深い。ダブリンは一度だけ行く機会があった。再び行きたい街~。
クリスチャンではないけれど、聖書は時にひも解く。吉本隆明の
「わたしは、その時も、いまも、『新約聖書』を理解した日本の文学作品としては、太宰治の『駈込み訴へ』が、最上のものではないかとかんがえている。芥川龍之介の『西方の人』は、太宰の『駈込み訴へ』一篇に及ばないのである」。 はよく引用されているようだ。太宰治の『駈込み訴へ』は福永武史が何回か沖縄で独演してきた~。朴さんの演出で~。再演があると聞いたが、いつだろうか?
思うに音楽は信仰や宗教、民族、国家を超える。思想信条を超えて人類共通の普遍性や共感を醸していると言えるのかもしれない。イタリア語やドイツ語をよく理解していなくても西欧オペラに感嘆するのはなぜか。インディオやインド、イスラム圏、南米、アフリカ、ロシア、アジア諸国の伝統音楽だけではなく、いわばあらゆるジャンルの世界音楽に感応する心がある。音楽美は、友人に言わしめれば、全身細胞が官能する、ということになるのらしい。
存在そのものが受容し、感覚が溶けていく音楽の美は、生きる糧であり続ける。
おそらく毎年「メサイア演奏会」を欠かさない方々がおられるに違いない。クリスチャンであるなしは関係なく~。
思うに「メサイア演奏会」に参加できるということは、何かと忙しい12月に心のゆとりが持てていることを意味するのかもしれない。去年は厳しかった。今年はすこし心のゆとりがありえるだろうか。その物差しになりそうだ。
合唱、声の神秘的な魅力はオペラや琉球古典音楽にも通じるものがあるに違いない。