志情(しなさき)の海へ

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女性だけの劇団うないの新春公演のリビューです!締め切り間際の原稿があり行けなかったのですが!

2018-01-17 13:11:44 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

        (2018年1月17日、琉球新報)

1月20日に沖縄俳優協会の舞台もありますね。『山原街道』は良かったですね!『王女御嶽』は小渡和道さんほどの美男子が出ないと駄目ですね!女性は意外とイケメンを舞台で求めるものです!あるいは歌唱力があり、ウチナーウィキガの魅力を出せる役者ですね。真喜志康忠氏、そして与座兄弟、朝惟さん、ともつねさんの若い頃のチュラ姿は人気がありましたね。平安山英太郎さんの美貌、二代目儀保さんはどうだったのでしょう。

平安山英太郎:職業俳優
生年月日明治38年 6月8日
出生地沖縄県那覇市東町
経歴次兄の次郎が俳優だった関係で芝居の道に入り、大正7年13歳で初舞台を踏む。大柄で容姿美声に恵まれて女形や二枚目を演じ、昭和7年真境名由康作「今様貞不貞」で主役をつとめ一躍名を高める。また、28歳の時の自作自演の時代悲劇「仏桑華」ではその人気を決定的なものにした。一時期真楽座の幹部にもなったが、のち珊瑚座に加入。しかし、人気への妬みと人妻とのスキャンダルで引退を余儀なくされる。戦後は玉城盛義らと南月舞踊団を結成し、舞踊と演劇で新しい分野を開拓。玉城の退団後は巴劇団として再出発した。晩年は化粧品で鉛中毒を起こし半身不随となったが、乙姫劇団の指導などに当たった。独自の忍びの型を作り、今日でも沖縄時代劇の忍びの型の手本とされている。
没年月日昭和54年 4月14日 (1979年)


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