
「執心鐘入」です。これが最高の「執心鐘入」にはなかなか遭遇しにくいですね。立ち役や地謡が誰かによって、全体のイメージがまた微妙に変わってきますね。以前[オイディプス王」のギリシャ悲劇と比較して、沖縄演劇の悲劇的リズムについて論稿を書いたのですが、[執心鐘入」の悲劇としての位置づけはどうだろうか?宿の女の悲劇として捉えることは可能ですね。その場合主人公はあくまで彼女です。儒教倫理を象徴する若松を主人公にするとこれはWell made playになりますね。女性の情念の越境を描いているのですが、宿の女のようなリアルな女性を疑っています。道成寺からの翻案にしても、琉球バージョンのフイクションの面白さは、音楽劇の面白さですね。大城立裕作「さかさま執心鐘入」はパロディーになっていて面白いですね。現代の視点です。
*******************【備忘録】
『道成寺』 (どうじょうじ) は、紀州道成寺に伝わる、安珍・清姫伝説に取材した能楽作品。観世小次郎信光作といわれる『鐘巻』を切り詰め、乱拍子を中心に再構成したものという。後にこの能の『道成寺』を元にして歌舞伎の『娘道成寺』や浄瑠璃の『道成寺』、琉球組踊の『執心鐘入』などが作られた。
- シテ: 白拍子(実は女の怨霊)
- ワキ: 住僧
- アイ: 能力
安珍・清姫伝説の後日譚に従い、白拍子が紀州道成寺の鐘供養の場に訪れる。女人禁制の供養の場であったが、白拍子は舞を舞い歌を歌い、隙をみて梵鐘の中に飛び込む。すると鐘は音を立てて落ち、祈祷によって持ち上がった鐘の中から現れたのは白拍子が蛇体に変化した姿であった。蛇は男に捨てられた怒りに火を吹き暴れるが、僧侶の必死の祈りに堪えず川に飛び込んで消える。
小鼓との神経戦である乱拍子(間をはかりながら小鼓に合わせ一歩ずつ三角に回る。大きな間をとるので、ラジオ放送では放送事故 - 無音時間過長 - になったこともある)から一転急ノ舞になる迫力、シテが鐘の中に飛び込むや鐘後見が鐘を落とすタイミング、鐘の中で単身装束を替え後ジテの姿となる変わり身と興趣が尽きない能である。