沖縄芝居のDVDを見ていると、既になくなられた方々が多いのですが、流暢なウチナーグチに魅了されます。花城光子さんは美人というわけではないけれど、彼女の「柔らかい色艶」にはっとしました。嘉数好子さんたちよりはるかにいい味わいを出しているのですね!芝居のDVDの著作権はどうなっているのでしょうか?ちょっと気になります。
島袋光裕さんの「草枕」は泣かせるいい歌劇ですね!テーマは直裁に言えば『真実の愛』のありかです!目が潰されて杖をついて歩く里之子を、辻のジュリだった花城光子さんが、歌・三線を弾いて村々を旅芸人のように歩いて芸を披露しているという物語が挟まれているのですが、辻で嫌な士族の客からのがれるために、運命の悪戯のように、一緒に放浪することになった里之子への思いが純粋なんです。いっしょに死のうと二人はままならない状況で決意したりします。お兄さんという男が心を入れ替えて二人を認めていい方向へと物語は動いていきます。
おそらく心から愛し合う二人はどんな環境でも耐えて賢明に生きていくことができると言えます。でも短いようで長く、長いようで短い人生行路ではその過程でいろいろ絶望したり、希望をもったりもしますから、一筋縄ではいきませんね。
「いかな山原の枯木山底ん 里と二人やりば 花ぬ都」のツラネが最後に唱えられるのですが、それは真実でしょう。
すでにいっしょにいる空間に愛がなくとも結婚という形態を持ち続ける形骸化した形[家族]も決して少なくは無いと思えますが、純粋に信頼し愛を抱いて死への旅路ができる人々は幸せなんでしょうね。生きている間、愛とは何?死とは何?わたしとは何?ほんとうのわたしのアイデンティティーとは何?などと意識しながらわたしたちは無意識の虚の空間に入っていくのでしょうか?美を求めることは、精神を高め浄化することになりますね。個人幻想と対の幻想はしかし重なるようで重ならないこともままあります。人は孤独を噛み締めて生きざるを得ない宿命がそこにありつづけるのかもしれませんね。以前『群集の中の孤独』の本がベストセラーだったりしたのですが、今は「二人でいても寂しいスマホを見る」の日々でしょうか?やはり谷茶の按司のことばはいいと思うのですがー。浮世なんですね。昔の人々の感性とあまり本質的に変わりませんね。浮世、義理、人情、思い、魂をこふ、魂呼びが必要なんですね!