
(七福神の後のフィナーレの写真です!渡嘉敷流の関係者から頂きました!^0^謝!七福神に守られたいですね!)
(二代目渡嘉敷守良、師範花岡尚子、花岡貴子、棚原百里子、祖慶しのぶ、比嘉なつきさんです!師範の5人に支えられた勝子先生だったのですね。「劇団うない」で活躍している3人はハワイでの公演でもチームワークがよかったのですが、同じ流派の技芸に支えられていたのですね。これからのさらなるご健闘を祈念します!)二代目渡嘉敷守良琉舞研究所(那覇市安謝272-1 TEL:098-868-0072)FAX兼←渡嘉敷流の型、その伝統的な技量を習得したい方は是非!ですね。琉球国時代からの古い型を習得することになります。ガマク入れがなかった舞踊ですが、戦前の舞踊映像を見ると、ガマクは入っていませんね。さらっと流れる動きですね。あるいは角ばっていますね。→舞踊も変容し、進化するのですね。時代相が見えてきますね。変わらない技量と変わっていくものがありますね。金武良章さんの金武流もガマク入っていませんね。
[舞台の印象批評]
舞台の構成、フィナーレまで、楽しくあっと言う間でしたね。三日月(アカマター)も劇団うないで頑張っている3人、堂々としていましたね。声が通っていました。普段うないの舞台で鍛えられているので、生き生きしていました!拍手
第一部の若衆踊り、なみあしが目立たないほどに個性がはじけていましたね。確かに継承されてきた若衆踊りが多いのですね。
諸屯、ガマクは使わないが柳腰で女性の柔らかな線を見せる技法があり、ガマクをを使った動作がないゆえにかえって流れる動きにも見えましたね。やたらにガマクを使った踊より清楚でいいですね。戦後の古典女踊りは『新古典女踊リ』とわたしは名づけているのですが、戦前とかなり異なります。思いいれが深くなって、それが強烈になっていますね。男の女への恋情を異性装で直立に近い形で踊っていた王府時代の女踊りでしょうか?それが近代の女形の女踊でもどことなく男の女踊りゆえの角ばったさまが写真から分りますよね。ただ遊里のお座敷で踊った女踊りはまた異なりますね。
録画されていましたので、後ほどそれを観たいと思います。←お願いするつもりです。
浜千鳥も玉城流との違いがあって、興味深いですね。ガマクがないことのやはり流れる動きがポイントに見えます。高平良万歳も型なり手、所作、足遣いの違い、やはり風味がありますね。
七福神は今回はじめてみました。楽しい群舞です。
三日月(アカマター)は南風原大屋の瀬名波孝子さん、タンメー小役の八木政男さんが良かったですね。何十年も沖縄芝居をやってこられたベテランのお二人の演技は、んんん、いいね!お芝居の演技指導もされているのですが、渡嘉敷流の方々は守良さんが戯作者であり、史劇、歌劇を演じてきたことを肝に銘じなければなりませんね。芝居小屋から渡嘉敷流は発展してきたのです。原点を忘れないでください。
『パンフレット」を読んで一番感銘を受けたのは、板谷 徹先生の「渡嘉敷流守良の遺産」です。渡嘉敷流の型のご研究をされていることは、いいですね。近代以降の舞踊の歴史が詳細に解明されていくことになります。玉城盛重神話への切り込みでもあるのですね。板谷先生の真実を追究する眼差しは頼もしいですね。沖縄の文化政策や芸能関係を束ねている方々のセンスのなさが照らされていきます。自己顕示欲の塊のような方々は、自分の名前を売り込むのにたいへんですね。
それから狩俣恵一先生の「渡嘉敷守良の記録資料と折口信夫」も良かったですね。
お二人の芸能研究者の論稿が輝いていますね。会場の招待席には「琉球舞踊保存会」会長・宮城能鳳先生のお姿もありましたね。
やっと近代の琉球舞踊にきちんとしたメスが入るのですね。今後の板谷先生のご研究の成果が楽しみです。ただ玉城流も独自に近代の舞踊の系譜をしっかりまとめることが要求されていますね。博論を書きながらこの間対象化しなかった琉球舞踊の論文をいろいろ読んでみたのですが、矢野さん、池宮正治さんの論が抜きん出ていますね。板谷先生の「花風」についての論は画期的でした。しかし、男性研究者が見ないふりしていたような遊里の芸妓・舞妓を追っていて見えたところもあります。
コメントで琉球舞踊保存会会長のご挨拶が掲載されていないことへの言及がありましたが、そうですね。お祝いする気持ちがなかったのでしょうか。確かに大人気ないですね。今から脱構築が始まるのですね。それにしても、第三者の視線にさらされて沖縄芸能の歴史の真実が明らかになっていくのですね。
関係性の多層性、多様性が編み出す真実への闘いを応援したいですね!
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つぶやき 1
素敵な女性とご一緒の重田辰弥氏がお隣の席ではじめて直にお話できて光栄でした。以前メールで何度かやり取りをさせていただいたことがあったのですが、いつもセンスがいい方ですね。移民研究をされている、お隣に座っておられたN先生もはじめてお話できて良かったです。重田さんが奄美のK島のご出身だとお聴きして、上間初枝さんのお母様も同じ島の出身で、花岡先生のご主人もK島のご出身とおうかがいして、島尾敏雄と島尾ミホさんを思い出したのですが、一瞬、島と島の係わりの深さを覚えました、真喜志きさ子さんのご本の出版に関しても少しお話しました。楽しみな出版です。(たまたま持参したバッグは上間初枝さんから以前いただいたのでした!これも不思議なご縁ですね!)
つぶやき 2
島元先生、劇場で休憩時間に少しだけお話しましたがお元気そうで良かったです。大胆にご発言をされた先生が、県庁で県の文化政策のためにさらに頑張ってほしいものです。着物で盛装された舞踊家の方々はよくご存知なのですね。挨拶される方々!文化財課は芸能文化の鍵を握っているのですね。でも何より芸能を愛する沖縄の人々ですね。
島元先生の声が琉球舞踊保存会や県の文化財課の問題、文化庁、マスコミ、顧問の先生方の認識の問題などがあぶりだされました。そして多くの匿名の皆さんの声が励ましてくれました。沖縄の伝統文化をよりよくするために、みなさまの自由なご意見大歓迎です。よろしくお願いいたします。
「組踊保存会」の問題もいろいろ上がっていますね。琉球舞踊も組踊も顧問の方々のセンスが問われていますね。沖縄県の文化関連部局の方々はもっとしっかりしてほしいですね。この草の根ブログは世界の関心ある方々が訪れています。←時に1日500人弱が訪れ、アクセスはたまに1日、3千人越えています。琉球舞踊関連の問題は沖縄内からのアクセスも今回かなりあります。それだけみなさんが関心をもっていることが分ります。ありがとうございました!
花岡先生の公演は、二代目渡嘉敷守良襲名以前にも拝見しましたが、今回の公演は今までの公演でも、白眉を成すものでした。
二部形式で、二時間半もの長時間に亘る公演でしたが、あっという間に終わった感じがするほど、全く飽きが来ない公演でした。
2、3年前にも観た七福神はかなり幻想的で、芸術性と完成度の高さを感じました。
今後も、二代目渡嘉敷守良公演があれば、是非とも観に行きたいと思います。
出演者の皆様および関係者の皆様方、大変素晴らしく感動的な公演をありがとうございました。
二代目を先頭に、胸を張って渡嘉敷流を伝えていこうという強い思いも伝わってきて、感動しました。
それにしても、琉球舞踊保存会。
その母胎となった県の沖縄伝統舞踊保存会の保持者の皆さんの公演については、琉球舞踊保存会長の祝辞を寄せるのが恒例。
それがパンフレットのどこを見てもない。
二代目(花岡勝子先生)は、県の保持者であり、琉球舞踊保存会の伝承者でもあった。
自分たちと異質な流儀は、排除したいという保存会の意志か?
国の琉球舞踊保存会の不透明な次期保持者選考に対して、県の沖縄伝統舞踊保存会が嘆願書を出した際の有志の中に二代目(花岡勝子先生)のお名前もあった。
意趣返しか?自分たちに刃向かった人たちに対する。
大人げない。恥ずかしくないのか。
国の舞踊保存会と県の舞踊保存会。
どちらが、伝統に対して真摯に向き合っているか痛感させられた公演だった。
気づけば3時間近くの公演と感じさせないほど、あっと言う間に終演してました。えっ、もう終わったの?って感じです
踊りも衣裳も構成も素晴らしく、まさに夢のよう!二代目をはじめ、出演者のこの公演に駆ける思いのような熱も伝わり、本当に本当に最高の舞台でした。
今までで観た琉球舞踊の公演の中で、一番、素晴らしかった。ただ面白いではなく、感動して、なぜか涙がでました。こんな琉球舞踊の公演はじめてです。
これからも二代目渡嘉敷守良師匠を先頭に素晴らしい舞台を踊りをお願いします。応援します。
公演を観終えて、こんなに素晴らしい公演をできる方が、国の保持者になれなかったなんて本当に信じられません。今回、国の保持者になられた方で、こんなにお客様を喜ばせる舞台ができる方が何名いますか?
まだ続いている公演の余韻に浸りながら、国の保持者選考の不公平さをた改めて実感しました。絶対におかしいです。
先生を支えてこられたベテラン陣の踊りも良かったですけど
若い人たちの溌剌とした踊りに元気が貰えました。
踊りもいいですけど、芝居も良かった!
尚子さんの男姿かっこよくて惚れ惚れします。
一番つぼだったのは、七福神の大黒さん。
祖慶しのぶさんが本当に楽しくて4514可愛らしくて、
幸せな気持ちになりました。
また見たいです!
それでも、保存会の副会長でもある西江喜春先生は地謡を率いてご参加。
男だなと思いました!
これでこそ、実演家。
他の渡嘉敷流の金城光子先生にも東京の2代目児玉清子先生にも相談も何もせず新聞に載った後から手紙で事後報告したと聞きました。
他の保存会の上の先生や他の流派の先生方も新聞で知った、という方が多くいらっしゃったようです。
守芸の会から別れたとはいえ、同門の先生にさえ連絡も相談もしないのはあまりに物を知らないと先生方は憤っておりました。
この話しは守芸の会の方から直接聞いた話です。
琉球舞踊は流派がありすぎて詳しい事は、よく分からないのですが、今ぱっと思い付く方で襲名といえば、玉城流の大田もりくにさんが二代目盛義を襲名していますね?
あんなに大きく、たくさんある玉城流(盛義の流れをくむ)が集まって襲名の話し合いを行ったのですか?
あと、よく○○流○代目家元とか、新しい会を立ち上げたりしていますが、そういった事も流会派の中で話し合われているのでしょうか?
少なくとも、私の所属している流派(小さな流派なのですが)では、そのような話し合いをしたという話を聞いた事はありません・・・残念ですが
因みに、コメントのなかにお名前のあった光子先生、児玉先生ですが、それぞれも三代目守芸の会家元・二代目児玉清子を襲名されていますね。それは渡嘉敷流の中できちんと話し合われていたのでしょうか?
守芸の会の方から直接聞いたと仰いますが、片方の意見だけを聞いてそれを真実だとこんな風にコメントするのはいかがなものかと・・・
二代目の渡嘉敷流にかける熱い思いが溢れていて感動しました。
今、型の事や、歩き方の事などいろいろと言われていますね。でも、ただ踊りが好きなわたしにとっては流派とか型とか関係なくて、魅力的な舞台は誰が観ても素晴らしいと思うのですが、それだけではダメなのでしょうかね~?
やっぱりわたし、渡嘉敷流の踊りすきだな~と改めて思いました。
あっ、渡嘉敷流のというより、花岡先生の!ですね(今までずっと渡嘉敷流イコール花岡先生だと思ってました・・・他にも先生方いらっしゃるのですね)
これからもずっとお元気でいろいろな舞台でわたし達を楽しませてほしいです。