
【『田中一村 新たなる全貌』という本を一冊購入しました。あまり高くなかったので求めたのですが、その中に写真でとってUPした「不喰芋と蘇鉄」があります。一村は旧字の蘇鉄を使っています。大学キャンパスでくわず芋の赤い実(種)に魅了されて写真を撮ったことがあります。また蘇鉄の雄花と雌花の美しさに気がついたのは最今のことで、あえて末吉公園に行って写真を撮ったりしました。つまり田中一村の日本画の中の奄美の自然はごく身近に感じる植物であり草花であり小鳥たちだということに、改めて画集をめくりながら感慨を覚えています。このブログ内の「動植物」のコーナーには蘇鉄の雄花と雌花の写真を掲載しています。興味のある方は御覧ください。身近にあって気がつかないものがたくさんあるのだという事実に驚きます。最近は春先のイソヒヨドリの美しいアリアに魅了されています。時期がくると聞こえてくる歌なんですね。生き物はすべて声を持っているのかもしれませんね。聞こえる声、聞こえない声があります。ふと気がつくと駐車場の水溜りにツバメの番がやってきました。車のサイドミラーに平気で止まっているイソヒヨドリのオスさんもいます。彼らの宇宙なんですね。なぜか生きているのはいい、などと思えるひと時はそんなときです。ああ、海辺で川辺でキャンプがしたい!】
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下は深夜の(つぶやき)、上と関係ないですね。
(つぶやき)
あの研究発表した研究者だがね、何も心が入っていないよ。機械的にああだこうだといっているがね、ちっとも中身は---、作家の心にははいれないんだよ。
と言う。そうかもしれないと思いながら聞く。
XXにもXXXXにも呪われた人生だからなーとだれかれに電話で話しているのらしい。自分を語りづづけている。いい親になれなかった男の現実を見る眼差しにしかし、狂いはなかったのかもしれない。
マグマをはきつづけて痛い思いをした心が見えなかったけれど、マグマはマグマであって周辺を見る必要はない。マグマには触れない。近寄れない。マグマを冷やすと灰になってしまう生き様もあるんだとなっとくする。まだ腰がすわらない若者がいて、ホームレスでも生きていける方法は分かったといってどぎまぎさせたりする。
ひとは語りえず消えていく存在でもあるのだ。実はね、KさんとTさんは結婚したけれど、いっしょに時代の寵児になって豪邸も造ったけれど、あまり夫婦の対話はなかったみたいだね。いっしょにね活躍していて、あれだけの力量でね、と彼女は語った。寂しい寂しい夫婦という形を生きている人々があそこにも、ここにもひっそりと、明るく、過ごしていたりしている。XXXの大使館の代理をしているあの方も、妻からは見放されて外ごもりなんだと語る彼女のことばの勢いは、でもその方を彼女はきっと好きなんだと思わせたりした。
どうしてもうまくことばがからまないカップルがいて、一緒にいると地獄だから一緒にいない方がよくて、まるでパトスなんだけれども、妻を3人も4人ももてた伯爵さまは幸せだったのね。1対1では窮屈で退屈で絶えがたくて「死の棘」になるけれど、1対3、1対5でも普通の関係性は、1にとっては最高だったのね。1対1の袋小路であっぷあっぷする必要がなかった。でも5人はしあわせを感じただろうか?おりあいのいい5人の中のどなたかは「しあわせ」で子供が何人もうまれた。
二人でいて幸せだと感じない関係性を続ける苦痛を肥やしにして太る人たちもいるが、二人で権力の頂点に上り詰めるカップルもいる。その脇で泣いている顔があったりもする。利得のために、高遠なる理想とビジョンのために、ちゃちな魂の道具の身体レベルのことは大目にみる鷹揚さがすべてを睥睨する。んんん、凄い。脳内幻想の極地の力の誇示、美の誇示、純なる物への一体化など、そう、個人幻想が膨らんでいく。対?なんていらないよ。この目の前の草花が、海が、小鳥達が連れなんだ。んんん、哀しい、悲しい、美しい実存の秘密がこぼれ出たりしている。
そう、病室にめったに見舞いにいかなかった叔母がいて、叔父は寂しそうにしていた。何があったのか、亀裂の川は深そうで、会わないことが復讐だったのかもしれない。繋がることが大事だよね。一人で孤独に住んでいる人、人、人は多いだろう。ああはなりたくないよね、と若者がいう。でもだれでも一人、一人、一人で孤独の岸辺にたたずむ未来と無縁とはいえないのも事実なんだ、いかに生きるかの後は、いかに死ぬか、考えないといけないんだなー。
78歳でこれから何をすればいいかわからないと葉書がきたんだよ。これから死へのステージを踊って、話して、生きるのよ。老いて枯れていく身体は魂の入れ物だから、若返る恋を78歳でもしたらいいよね、ほらあのテレビの中の素敵な笑顔の女優さんに、と言うは容易でいざその78歳や80歳になったとき、どうしているのか、やはりPCに向かっているのか、たぶん、詩を書いて、書き終えなかった物語を必死で終わらせようと頑張ったりしているのかもしれない、などと、深夜の「つぶやき」である。
日本のタブーが迫ってきたりする。タブーが、タブーである限り、この国は真に過去を見据え、未来を変えることはできないのかもしれない、などとレスから思う。
やはりFAIRE is FOUL Foul is Fair! Yes, it’s true. You can feel it everywhere.異文化接触の限りない作用は一国のタブーを無化していくに違いない。それも時代が、時が答えを握っているのね。タブーが無化されたある国のタブーを見届けてみたいのだがー。そのタブーの影におびえる国〈人〉もメディアも不思議。