「琉球における書記文体の変遷」 by 石崎博志 は文体としては日本にすでに同化を遂げていたという解釈だった。口語を彼は方言とご発表した。ウチナーグチの表記もあり、琉球語、沖縄語、方言、首里方言など、曖昧さが感じられた。現在ほどウチナーグチが表記されている時代はない、も面白かった。組踊の書体と口語表現の落差はユニーク、それこそが沖縄言語の特徴かもしれないね。書き言葉と話し言葉の乖離の個性ですか?
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興味深いシンポジウムだった。
書き言葉と話し言葉の乖離の大きさをもっと掘り下げたい。二重、三重言語性?多元性を生きてきた。
漢文、和文、琉文がある。
漢文や候文を読み書きできる士族が話しことばはウチナーグチなり、宮古言葉であったという、書き言葉と口語の差異が興味深い。
(船の形が面白い)
このシンポジウムの中身に関してはもう少しコミットしたいが本を読み資料を見なければ、ね。
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(多良間の八月踊り)
≪芸能は権力に寄り添う?≫
お能の流れを見てもそうだが、世阿弥はそうだった!確かに崎山多美さんが語った「宿命的なもの」はこの沖縄でも貫かれているのだろう。権威とは何だろう!日本の中の沖縄でも権威の構造は変わらない。1879年から変わらない構造の中にあるのはやむえないのかもしれない。
でもと、私は思いたい。でも、芸能の陶酔、自 . . . 本文を読む
(劇団「うない」の舞台:辻遊郭の場面)
企画はすべて遅れてばかりである。博物館・美術館の講堂の予約をしたものの、ゲストやスピーカーが念頭にはあってもなかなか前に進まなかったのが、ようやく、シンポジウムの形式で3人でじっくり研究成果をご報告し、会場からの質疑を受け付ける形式にすることにした。だから . . . 本文を読む
(「真境名安興の沖縄芸能研究ー組踊を中心に」をお話する當間一郎氏)
それと沖縄芸能史研究会で「真喜志康忠」を語る、座談会をもってもいいと思うのだが、當間一郎先生は研究者の矜持をもって昨夜もお話されていたのだが、氏の姿勢には国立劇場おきなわを支えるシステムの方々と異なる視点があって、また興味深い。
来年2月8日夕方から「組踊の系譜――朝薫五番から沖縄芝居、そして『人類館 . . . 本文を読む
(多くの方々が真喜志康忠、この希有な名優に別れを告げた)
(多くの献花が寄せられていた。沖縄芝居実験劇場、玉城流玉扇会、料亭那覇もーー。)
(那覇葬祭場の入り口に並べられた真喜志氏の写真や賞状)
(大城立裕氏はTV局のインタビューを受ける。氏の律義さに頭が下がる。大城先生の凄さはその真摯な姿勢にある!)
(時の女優吉田妙子さんもメディ . . . 本文を読む
真喜志康忠氏の告別式にて
(祭壇は眩く)
(バスで波の上宮に向かう一行を見送る人々)
オープニングから53年目の食堂でイナムドゥチ定食(680円)を食べて帰った。マグロの刺し身に油揚げがついて、中身は具がいっぱいでおいしかった。
≪むつみ食堂の内部!温かい雰囲気である≫
(むつみ食堂の入口、53周年多くの人々から愛されている!)
( . . . 本文を読む
(沖縄やグアムの脱植民地を目指す集い:琉球諸語/沖縄語ウチナーグチの復興を!)以下はネットで紹介された今朝の沖縄タイムス記事です!******************************「最後のスター役者が消えた」「組踊の精神的支柱を失った」―。沖縄演劇界の重鎮だった真喜志康忠さん死去のニュースに、芸能や文化関係者から戦後の芝居文化を牽(けん)引した「巨星」の死を悼む声が上がった。 「伊江島ハ . . . 本文を読む
わたしはネット人間である。ネット情報を見て驚いた。
沖縄タイムスが真喜志康忠氏死去の記事をUPしている。記事そのものはシンプルで淡々と書かれていて、問題はない。しかし真喜志氏の写真のキャプションに【島クトゥバへの思いを語る真喜志康忠さん=2001年1月、那覇市内の自宅】とつけている。
しかし、真喜志氏はご自分を『島小』と卑下することばは使われたけれど、決して「しまくとぅば」と話さなかった、と記憶 . . . 本文を読む
(かつてのご自分と上間初枝さんとお二人の道場にて!)
留守電に入った真喜志きさ子さんの声に驚いた!
名優が逝去したとの知らせである!
89歳、である。数え90歳!氏の遺髪をいただいた。
真喜志康忠論を書きたいと思いつつ時だけが過ぎていく。
今何をやらなければならないのか?時は待ってはくれない!
焦ってもしょうがない、できることを地味に掘り下げよう。
言葉で . . . 本文を読む