昨日13日から今日にかけて、多少気温が涼しく感じるようになりました。
今日は、朝からお寺さんのご住職がいらっしゃって、ご仏前にお経を唱えていただきました。
毎年の恒例のお盆の行事です。
で、ご住職はあちらこちらと檀家を廻りますので、各家からおもてなしのお茶を頂戴するのですが、この時期ですので、お茶菓子は「水ようかん」が多いようで、甘いものが好きなご住職でしたらいいのですが、当方のご住職は甘党ではないもので、いつも漬物をお出ししています。
バイクに乗って、一日中動き回るようです。
今朝は雨でしたが、おいでになられた時は晴れ間になり、良かったです。
さて、明日15日は、戦後70回目の終戦記念日です。
自分は戦後生まれですので、戦争経験は皆無ですが、こちら信州・松代には、今でも戦争時の爪痕と云うべきものなのか、そんな遺跡が残っています。
それは、象山や舞鶴山に掘られた地下壕です。
photo 1
こちらは、象山地下壕入口で、受付を済ませ、ヘルメット着用で、洞窟内に入って行きます。
photo 2
photo 3
当時、この削岩機ロッド棒で、岩に穴を開け、そこにダイナマイトを仕掛け、破砕(はさい)していったようです。
これは、工事中に抜けなくなったロッド棒とのことです。
で、地下壕の公開している中間部分にこの様な案内板が掲げられています。
photo 4
photo 5
上の写真は、その近くで撮ったものです。
奥に見える明るい部分は、外へ出る部分ですが、入口とは逆な西側に当たります。
勿論、この部分は非公開で、歩くことは出来ません。
で、更に奥に進みますと……、
photo 6
photo 7
上の写真は、トロッコ枕木跡が残っている洞穴です。
そして、次が公開している象山地下壕最後の場所です。
photo 8
この象山地下壕は、太平洋戦争(第二次世界大戦)の昭和19年11月11日午前11時に発破工事が開始され、翌、昭和20年8月15日の終戦日迄、約9か月間突貫工事で全工事の八割が完成したと云われているようです。
この象山地下壕には、太平洋戦争の本土決戦時に備え、軍などの政府機関がここを本拠地として指揮を執る……、と云ったことで、岩盤の固い松代・象山が選ばれたようでした。
又、天皇陛下様御一族のお住まいに予定していた、こちらは、舞鶴山です。
photo 9
この山中にも、かなりの洞穴が掘られており、現在は「気象庁 松代地震観測所」になっています。
photo 10
こちらが地震観測所の全景ですが、実際の地震観測器機は、当然一緒に掘られた洞窟の中に設置されていて、一部分は見学出来るようにもなっているようです。
で、天皇陛下が住まわれる予定でした「天皇御座所」部屋は、この松代地震観測所の建物に隣接していて、外側から見学出来る様になっています。
photo 11
そして、松代地震観測所の全容は、西側の裏口に掲げられています案内板を見ますと、一目瞭然だと思います。
photo 12
こちら側がそうですが、ここから洞窟が繋がっています。
自分も、過去この松代地震観測所の中に、撮影の仕事で3度程中に入らせていただきましたが、洞窟内部は涼しく、場所によっては、水も滴(したた)り落ちる個所もあり、戦時中に穴掘り作業に携わった人達は、当時どんな気持ちで作業にあたったのか、心が痛む思いです。
戦争の悲惨さなど、こういった遺跡を見ますと、いつまでも未来永劫、「平和」である事を願ってやみません。
自分は小さな一庶民ですが、今日14日夕刻、阿部総理の「戦後70年談話」に注目したいと思います。
今日は、朝からお寺さんのご住職がいらっしゃって、ご仏前にお経を唱えていただきました。
毎年の恒例のお盆の行事です。
で、ご住職はあちらこちらと檀家を廻りますので、各家からおもてなしのお茶を頂戴するのですが、この時期ですので、お茶菓子は「水ようかん」が多いようで、甘いものが好きなご住職でしたらいいのですが、当方のご住職は甘党ではないもので、いつも漬物をお出ししています。
バイクに乗って、一日中動き回るようです。
今朝は雨でしたが、おいでになられた時は晴れ間になり、良かったです。
さて、明日15日は、戦後70回目の終戦記念日です。
自分は戦後生まれですので、戦争経験は皆無ですが、こちら信州・松代には、今でも戦争時の爪痕と云うべきものなのか、そんな遺跡が残っています。
それは、象山や舞鶴山に掘られた地下壕です。
photo 1
こちらは、象山地下壕入口で、受付を済ませ、ヘルメット着用で、洞窟内に入って行きます。
photo 2
photo 3
当時、この削岩機ロッド棒で、岩に穴を開け、そこにダイナマイトを仕掛け、破砕(はさい)していったようです。
これは、工事中に抜けなくなったロッド棒とのことです。
で、地下壕の公開している中間部分にこの様な案内板が掲げられています。
photo 4
photo 5
上の写真は、その近くで撮ったものです。
奥に見える明るい部分は、外へ出る部分ですが、入口とは逆な西側に当たります。
勿論、この部分は非公開で、歩くことは出来ません。
で、更に奥に進みますと……、
photo 6
photo 7
上の写真は、トロッコ枕木跡が残っている洞穴です。
そして、次が公開している象山地下壕最後の場所です。
photo 8
この象山地下壕は、太平洋戦争(第二次世界大戦)の昭和19年11月11日午前11時に発破工事が開始され、翌、昭和20年8月15日の終戦日迄、約9か月間突貫工事で全工事の八割が完成したと云われているようです。
この象山地下壕には、太平洋戦争の本土決戦時に備え、軍などの政府機関がここを本拠地として指揮を執る……、と云ったことで、岩盤の固い松代・象山が選ばれたようでした。
又、天皇陛下様御一族のお住まいに予定していた、こちらは、舞鶴山です。
photo 9
この山中にも、かなりの洞穴が掘られており、現在は「気象庁 松代地震観測所」になっています。
photo 10
こちらが地震観測所の全景ですが、実際の地震観測器機は、当然一緒に掘られた洞窟の中に設置されていて、一部分は見学出来るようにもなっているようです。
で、天皇陛下が住まわれる予定でした「天皇御座所」部屋は、この松代地震観測所の建物に隣接していて、外側から見学出来る様になっています。
photo 11
そして、松代地震観測所の全容は、西側の裏口に掲げられています案内板を見ますと、一目瞭然だと思います。
photo 12
こちら側がそうですが、ここから洞窟が繋がっています。
自分も、過去この松代地震観測所の中に、撮影の仕事で3度程中に入らせていただきましたが、洞窟内部は涼しく、場所によっては、水も滴(したた)り落ちる個所もあり、戦時中に穴掘り作業に携わった人達は、当時どんな気持ちで作業にあたったのか、心が痛む思いです。
戦争の悲惨さなど、こういった遺跡を見ますと、いつまでも未来永劫、「平和」である事を願ってやみません。
自分は小さな一庶民ですが、今日14日夕刻、阿部総理の「戦後70年談話」に注目したいと思います。
こんばんは(*^_^*)
こういう洞窟を見て、いつも思う事。
当時の戦争のための地下壕ではありますが、この作業
に当たった人達はどんな気持ちで作業をしていたのか?
長崎の軍艦島もそうですが、今があるのは、どんな事でも
その当時の人が苦労して、いや、強制的な部分も
あったかも知れませんが、この壕の中には、色んな思いが詰まっている事。
こういう歴史があるから、今の時代がある事。
戦後70年と簡単には言っても、歴史には、それ相応の
重みがありますね。
経験者ではないですが、小さい頃から、祖父母や両親
から聴かされました。
今では、考えられない事も。。。。
おっしゃるように、歴史の重みは、生(なま)はんじかではないと思います。
「戦争」と言う名目で、日本の指揮官レベルの人達は、一般国民にある種のマインド・コントールを掛けていたように感じてなりません。
ここTVでも、終戦記念日に合わせて、戦時中を取り扱った番組内容でオンエアしていますが、戦争を嫌って、命令に逆らった兵隊さんも多かったのではないでしょうか。
確かに、先人の一部の日本人の起こした戦争と言う事実を、戦争を知らない我々も、、後世に伝えていく義務を負っているのだと思います。
私の両親の兄弟も戦争で命を亡くしています。
本当に他人事ではないと思います。