昨日今日と、薄曇りの天気で朝は多少涼しくなっているこちら長野です。だが、徐々に気温も上がり、真夏日の陽気になっています。
夏の甲子園全国大会は、新型コロナの影響で中止になりましたが、長野県でも、高校野球大会が行われ、今日はもうベスト4の準決勝が行われていて、野球部員のハツラツとした試合がテレビ画面を通じて観れて、夏の季節感を貰っています。
家から直ぐ近くの長野オリンピックスタジアムがこの試合の会場になっているのですが、会場に入れるのは、選手の家族や、そのチームの野球部員だけで、一般人は、観戦出来ないようになっています。でも、選手達の無我夢中でプレイする姿は、最高に素晴らしい思います。
さて、今日の画像ですが、過去撮影のフォトストックからですが、戦後75年目の節目の終戦が、来週末の15日に迎えようとしています。
それに、関連付けて、長野市松代に現在も遺っています「象山地下壕」をご紹介させていただきます。
当時、太平洋戦争時下の本土決戦を見込んで、大本営(大日本帝国・陸軍&海軍の天皇直属の最高統帥機関)移転計画に基づいたようで、昭和19年11月11日11時11分に、ダイナマイトによる発破が行なわれ、工事が進められたと聞いています。
この地下壕の突貫工事には、日本軍によって朝鮮半島からの数千人規模での労働者が投入されて、翌年の終戦間際まで昼夜問わず行なわれ、約70%以上の工事を進めていたようでした。
当時、これによりかなりの数の人達もお亡くなりになっていて、象山地下壕入口には、その慰霊碑も建立されていて、例年はそれの追悼の集いが関係者の皆さまで行なわれています。
photo stock 1 象山地下壕見学用入口
photo stock 2
photo stock 3 削岩機ロッド
photo stock 4
photo stock 5
photo stock 6
photo stock 7
photo stock 8
以上は、象山の中に掘られた地下壕ですが、ご覧いただきました様に、ヘルメット着用で、ここは見学出来るようになっています。
また、こちらは「舞鶴山」ですが、ここにも当時、地下壕が掘られ、現在は「気象庁精密地震観測所」になっています。
photo stock 9 舞鶴山
photo stock 10 気象庁精密地震観測所
photo stock 11 天皇御座所部屋
photo stock 12 観測所施設案内図
こちらの地下壕は、見学コースにはなっていませんが、以前仕事で地下壕や精密で高精度の「ひずみ地震計」を見させてもらいましたが、100mにも及ぶ地震計で、気温の変化などにも最大限の注意を払っているようです。
一昨日6日夜、NHKスペシャル「原爆投下・全記録」と題して、広島や長崎に落とされた原爆の悲惨さを放映していました。
それらを見るにつけ、たった少人数の陸・海軍部の愚かな判断で、日本人の子供から大人まで、また男女問わずに何十万人もの死者を出したり、現在でも病で苦しんでいる方などを出して、今となっては、なんてことをしてくれたんだ!……と、腹立たしくなります。
ポツダム宣言をいち早く受けて、大日本帝国・軍隊の無条件降伏をしていたら……、とも思いますが、そんな空気感も失くしていたんでしょう。
それ以前に、昭和16年12月のアメリカハワイ・オアフ島への真珠湾攻撃自体が、アメリカの強烈な反感を買ったと言われていて、大日本帝国軍隊もアメリカの原爆製造技術をあなどっていたようで、情けない限りだと感じます。
現在は、地球規模で「核廃絶!」と叫ばれていますが、日本政府もアメリカの傘の下にいる以上、唯一の被爆国にしては、こちらも情けない感じになっていると思います。
戦争でお亡くなりになられた皆様に向けて……!
合掌………!
夏の甲子園全国大会は、新型コロナの影響で中止になりましたが、長野県でも、高校野球大会が行われ、今日はもうベスト4の準決勝が行われていて、野球部員のハツラツとした試合がテレビ画面を通じて観れて、夏の季節感を貰っています。
家から直ぐ近くの長野オリンピックスタジアムがこの試合の会場になっているのですが、会場に入れるのは、選手の家族や、そのチームの野球部員だけで、一般人は、観戦出来ないようになっています。でも、選手達の無我夢中でプレイする姿は、最高に素晴らしい思います。
さて、今日の画像ですが、過去撮影のフォトストックからですが、戦後75年目の節目の終戦が、来週末の15日に迎えようとしています。
それに、関連付けて、長野市松代に現在も遺っています「象山地下壕」をご紹介させていただきます。
当時、太平洋戦争時下の本土決戦を見込んで、大本営(大日本帝国・陸軍&海軍の天皇直属の最高統帥機関)移転計画に基づいたようで、昭和19年11月11日11時11分に、ダイナマイトによる発破が行なわれ、工事が進められたと聞いています。
この地下壕の突貫工事には、日本軍によって朝鮮半島からの数千人規模での労働者が投入されて、翌年の終戦間際まで昼夜問わず行なわれ、約70%以上の工事を進めていたようでした。
当時、これによりかなりの数の人達もお亡くなりになっていて、象山地下壕入口には、その慰霊碑も建立されていて、例年はそれの追悼の集いが関係者の皆さまで行なわれています。
photo stock 1 象山地下壕見学用入口
photo stock 2
photo stock 3 削岩機ロッド
photo stock 4
photo stock 5
photo stock 6
photo stock 7
photo stock 8
以上は、象山の中に掘られた地下壕ですが、ご覧いただきました様に、ヘルメット着用で、ここは見学出来るようになっています。
また、こちらは「舞鶴山」ですが、ここにも当時、地下壕が掘られ、現在は「気象庁精密地震観測所」になっています。
photo stock 9 舞鶴山
photo stock 10 気象庁精密地震観測所
photo stock 11 天皇御座所部屋
photo stock 12 観測所施設案内図
こちらの地下壕は、見学コースにはなっていませんが、以前仕事で地下壕や精密で高精度の「ひずみ地震計」を見させてもらいましたが、100mにも及ぶ地震計で、気温の変化などにも最大限の注意を払っているようです。
一昨日6日夜、NHKスペシャル「原爆投下・全記録」と題して、広島や長崎に落とされた原爆の悲惨さを放映していました。
それらを見るにつけ、たった少人数の陸・海軍部の愚かな判断で、日本人の子供から大人まで、また男女問わずに何十万人もの死者を出したり、現在でも病で苦しんでいる方などを出して、今となっては、なんてことをしてくれたんだ!……と、腹立たしくなります。
ポツダム宣言をいち早く受けて、大日本帝国・軍隊の無条件降伏をしていたら……、とも思いますが、そんな空気感も失くしていたんでしょう。
それ以前に、昭和16年12月のアメリカハワイ・オアフ島への真珠湾攻撃自体が、アメリカの強烈な反感を買ったと言われていて、大日本帝国軍隊もアメリカの原爆製造技術をあなどっていたようで、情けない限りだと感じます。
現在は、地球規模で「核廃絶!」と叫ばれていますが、日本政府もアメリカの傘の下にいる以上、唯一の被爆国にしては、こちらも情けない感じになっていると思います。
戦争でお亡くなりになられた皆様に向けて……!
合掌………!