エジプトの世界遺産と歴史について聞いてきました(2017.8.23)@クラブツーリズム第5回世界遺産講座←さて9月10日は世界遺産検定だ!
実はこの9月10日(日)にいよいよ 世界遺産検定3級を受けるのですが ここの世界遺産講座を毎回受けていたらだんだんと詳しくなってきて 自分でも過去問やってビックリ!! なのでもう 2級の問題集や参考書を早々と取り寄せてしまいました(笑)
エジプトの世界遺産といえばピラミッド...そして 世界遺産のできるきっかけとなった アブ・シンベル神殿とヌビアの遺跡だよね~ と いちおうの下調べをしてから行ってきましたクラブツーリズムの世界遺産講座第5回目!!
今回は主に 世界遺産の説明とエジプトの歴史についてでしたが ギザの3つのピラミッドのオリオン座ベルト説や ピラミッドの秘密を知ると そういえば昔よくお会いしていた 石ノ森章太郎氏のご自宅の屋上に小さなピラミッドがあったという話をふと思い出してしまいました...一度だけご自宅に伺うチャンスがあったのですが みすみす遠慮して逃してしまい残念...
さて 世界の道はプトレマイオス朝に通ず と講師の言葉ですが このプトレマイオス朝(最後の王が かのクレオパトラ7世)を滅ぼしたのが古代ローマであり ローマがギリシャ文化を受け継いでいったのですね
ロゼッタストーンのヒエログリフ(神聖文字)について その中にプトレマイオスと書かれていたと解読されたこと 3つの文化を表す神聖文字 民衆文字 ギリシャ文字の3種類がありました
アレクサンドリア図書館が もしも焼失せずに残っていたのであれば 世界の歴史はもっと早く発展していたであろう 巨大ピラミッド建設の秘密などがわかったはずで 二千年くらいは遅れてしまったとのお話 実に惜しいですね...
「エジプトはナイルのたまもの」と言いますがこれは 水資源というよりは金(特にヌビア地方は金の産地) つまり鉱物資源の争いのことであり 金や鉄をめぐっての争いがあったこと どこでも資源が掘り出されればそれをめぐる争いは起きるものですね...
エジプト原始王朝時代(BC3500年頃)には 上エジプト(ナイル川上流、主神はホルス神)と下エジプト(ナイルのデルタ地帯、主神はセト)に分かれ 太陽暦が普及しました
エジプト初期王朝時代にはその上下エジプトが統一されました 肥沃なデルタ地帯ではなく 生きるのに必死な上エジプトのナルメル王が統一したそうで 文献上の最初の王とされます
エジプト古王国時代は メンフィスを中心に中央政権が安定しました この時代にサッカラの階段ピラミッドやギザの三大ピラミッド(クフ、カフラー、メンカウラー王)が作られました
スフィンクスは狛犬のようなもので プタハ神殿前のアラバスター製のスフィンクス等も 催事のための守り神ではないかとのこと そして ピラミッドは王の墓と言われているが まだピラミッドの中から王は発見されていない等 儀式の場 神の盤座などこれは諸説ありますね
ギザの三大ピラミッドは 今は登れないそうですが 講師の先生は昔登られたことがあるそうで...ピラミッドに昇るって!? よじ登る?どうやって降りるの?? 謎はつきない...
実際に登ってみたピラミッドの頂上からの眺めは 「天体観測」にちょうど良く 天文学を司る宰相 つまり「天文学者」が曲者で 実は占いがキーワードだったこと (エトゥルスキ講座でも習いましたが) 国見(くにみ)をするために 天体の占いをしたということでした
そして実は「観光」とは 国をまとめるために国王などが国の光を見る占いという 中国の『易経』から来ているとのこと...いや~今まで知らなかった語源です!
ちなみに エトゥルスキの占いは folgoratori(i fulguratores/ラテン語)という「雷(fulmine)占い」といって 空を4つの区分に分け(Cardoとdecumano) さらに16の区分に分けて それぞれの区分に神(divinità)がおわし どの方向に雷が落ちたかで占うもので 他にも肝臓占いや 古代ローマでは鳥占いなんかもありました
詳しくは こちら
古王国時代のジェドエフラー王が初めて太陽神ラーを名乗ったこと 彼はギザの大ピラミッドの建造者クフの息子で後継者で あまり触れられることのない人とのこと
ピラミッドの謎は調べれば調べる程深くなり... 驚いたのは ギザの3大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッド)の並び方が 空から見るとオリオン座の三ツ星の並びと同じ位置関係にあるという「オリオン座ベルト説」について そして3つのピラミッドの四側面は すべて正確に東西南北を指しているというのも 一つ一つの石がとても大きいことを考えるとすごい技術です
オリオン座と オシリス神(エジプト神話のもとの神)についての関連 エジプトではオリオン座がオシリス神の姿にあてはめられた等も話してくださいました
さらには ギザのネクロポリスと メキシコのテオティワカン遺跡と オリオン座ベルトの配置が世界に2つから3つあるのではないかという説 天体の動きに合わせて ピラミッドコンプレックス(複合体)等の巨大建造物を作ったという説があるそうです ←このあとオリオン座と日本神話についても自分で調べてみましたが なかなかに興味深いですね♡
エジプト史については 黎明期でもある原始王長期時代から プトレマイオス朝までの中で 見過ごされがちであるものの実は大事なのが 実はエジプト中王国時代であることを知りました
中王国時代には ラーとテーベ守護神アメンを習合して「アメン・ラー」を神とする宗教が誕生したのです
また ヌビアの金鉱を開発し 干拓事業も行い エジプトの繁栄につながったということです
新王国時代にはその資源のために ヌビアは植民地化されたのですね
また 新王国時代では わずか4才で即位したトトメス3世の義理の母ハトシェプストが摂政となり 女王を名乗って協同統治をしたのですが 母親は平和外交(交易)を 息子はアジア遠征で領土を広げ エジプトのナポレオンとも呼ばれたそうです
ここでふと 旧東ドイツ世界遺産講座で聞いた「ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公E・アウグスト2世の妃アンナ・アマーリアと その息子の公爵カール・アウグストが 互いに協力しあって統治を進めていた」という話が頭をよぎりました...
新王国第18王朝のアメンヘテプ四世は 宗教改革をおこない 多神教(アメン神)から一神教(太陽神アトン)にしたということで イクナーテン(Ikhnaton)と改名しました
さてその妻はネフェルティティ このネフェルティティ女王の美しい胸像が あのベルリンの新美術館(Neuesmuseum)にあるのですね 私も昔見ました♡
古代エジプトの三大美女は 実はこのネフェルティティなのですって! というのもクレオパトラはエジプトをローマに譲り渡した人なので 美女をほめる時は「ネフェルティティのように美しい」と言うとよいです( *´艸`)
← ネフェルティティ女王の胸像
そしていよいよその息子の ツタンカーメン登場です (新王国第18王朝)
妻のアンケセナーメンはツタンカーメンの父の妻だった時期もあるとのことで 異母姉と結婚し子供は無事には生まれなかったそうです (胎児のミイラが発見された) この時代では近親結婚が多いため ツタンカ―メンはさまざまな障害があり杖が手放せなかったそうですが この夫婦の仲睦まじい姿は胸をうつものがありますね...
ツタンカーメンの墓は 3000年以上の歴史を経てほとんど盗掘を受けなかったことについても話していただきました
父アメンヘテプ四世とツタンカーメンの二人は存在しないものとされ(宗教改革の反動で) 神官からその墓も隠されたことがその理由らしいです また 昔は写真も撮れたのだそうです
ツタンカーメンのマスクのあごひげについてのエピソードや ラピスラズリを合成した「アマルナ・ブルー」「エジプシャン・ブルー」のこと つまり当時すでに錬金術があったというお話や ファラオの王冠の4つの種類についても詳しくご説明いただきました
そして 繁栄した新王国第19王朝のラムセス2世ですが ラムセス2世は「ファラオの中のファラオ」と呼ばれたそうです ヌビアの遺跡にその像があり 90才まで生き66年間即位したそうで ヒッタイトと戦って平和条約を結んだ功績があります
とても勇敢で戦場にまでお供して 王の健康を気遣った協同統括者でもあった 妻ネフェルタリ王妃の墓は アブ・シンベルの墓所と神殿の絵の両方に ラムセスと同じ大きさで描かれているとのことで 「余の愛する者はたゞひとりのみ。何者も余が妃に匹敵する者はなし」という言葉が残された程愛されたわけですね
このヌビアの遺跡には イシス神殿もあり 一緒にアスワン・ハイ・ダムが建つ前に移され このことが世界遺産が作られるきっかけとなったわけですね イシス神は太陽神ホルスの母で マリア様のように愛されています
そして時代は最後にプトレマイオス朝に移りますが マケドニアのアレクサンダー大王により征服された ギリシャ人による王朝で この時点でエジプト ギリシャ オリエントが合体したわけです
そしてとうとう 紀元前30年にかのクレオパトラ7世が自殺し プトレマイオス朝が終焉を迎え...エジプトは ローマの皇帝属領アエギュプトゥスとなり ローマの歴史につながってゆくのですね...
ここで 今ちょうど古代ローマの講座を取っている私は こうしてエジプト・ギリシャ・オリエントが合体し やがてそれをローマが継いでいったという歴史を知り ようやくひとつにつながったというわけでした~
ドイツの世界遺産のお話(日独協会) 古代ローマやエトゥルスキのお話(ピアッッアイタリア) そしてさらにここクラブツーリズムの世界遺産講座では 毎月1回ながらも どこの国が出てくるか直前(?)までわからないので ドキドキワクワクしながら いちおうは自分なりの予習をしてから受けるのですが いつも予想していた以上のビッグな手ごたえを感じています
黒田講師の長年の添乗員経験に基づいた(ありとあらゆる場所を実際に訪れてらした)説得力のあるお話が聞ける ここまで世界遺産を深く知る講座を受けられたことは非常に貴重だと思います (ただの検定目的ではなく 世界遺産の光と影を知るというコンセプト) 実際に行った時にも ここまで知っていると全然違いますよね!!
歴史ってひとつの大きな川の流れのようで 切れ切れではわからない 接点をつなぎ合わせると大きな大河の流れになるのですね
私は今まで自分の好きな国のことばかり見てきたので 今ようやく遅ればせながらも こうしてランダムにいろんな講座に出て勉強しているところです ^^) _旦~~
本をただ読むだけでは そのうちに(すぐに??)忘れてしまうのですが こうして講座を聞きに行き さらに記事をまとめることでようやく定着してくれるのです ←世界遺産検定2級もこわくない!?
エジプトの世界遺産(文化遺産 6 自然遺産 1)は こちら
この中の「聖カタリーナ修道院地域」の 聖カタリーナは かのカラヴァッジョの絵で有名ですね♡
あと エジプト唯一の自然遺産ワディ・アル・ヒタンは 鯨の化石があるところです
エジプトの歴史(世界史の窓)は こちら
クラブツーリズムの世界遺産講座は 毎月1回水曜日に開催されています
6回目は9月20日(水)夜です
詳しくは こちら
追記 ピラミッドの中に巨大空間が発見されたとのこと(2017.11.2)
ニュースは こちら
* 写真は スフィンクスと第2ピラミッド
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実はこの9月10日(日)にいよいよ 世界遺産検定3級を受けるのですが ここの世界遺産講座を毎回受けていたらだんだんと詳しくなってきて 自分でも過去問やってビックリ!! なのでもう 2級の問題集や参考書を早々と取り寄せてしまいました(笑)
エジプトの世界遺産といえばピラミッド...そして 世界遺産のできるきっかけとなった アブ・シンベル神殿とヌビアの遺跡だよね~ と いちおうの下調べをしてから行ってきましたクラブツーリズムの世界遺産講座第5回目!!
今回は主に 世界遺産の説明とエジプトの歴史についてでしたが ギザの3つのピラミッドのオリオン座ベルト説や ピラミッドの秘密を知ると そういえば昔よくお会いしていた 石ノ森章太郎氏のご自宅の屋上に小さなピラミッドがあったという話をふと思い出してしまいました...一度だけご自宅に伺うチャンスがあったのですが みすみす遠慮して逃してしまい残念...
さて 世界の道はプトレマイオス朝に通ず と講師の言葉ですが このプトレマイオス朝(最後の王が かのクレオパトラ7世)を滅ぼしたのが古代ローマであり ローマがギリシャ文化を受け継いでいったのですね
ロゼッタストーンのヒエログリフ(神聖文字)について その中にプトレマイオスと書かれていたと解読されたこと 3つの文化を表す神聖文字 民衆文字 ギリシャ文字の3種類がありました
アレクサンドリア図書館が もしも焼失せずに残っていたのであれば 世界の歴史はもっと早く発展していたであろう 巨大ピラミッド建設の秘密などがわかったはずで 二千年くらいは遅れてしまったとのお話 実に惜しいですね...
「エジプトはナイルのたまもの」と言いますがこれは 水資源というよりは金(特にヌビア地方は金の産地) つまり鉱物資源の争いのことであり 金や鉄をめぐっての争いがあったこと どこでも資源が掘り出されればそれをめぐる争いは起きるものですね...
エジプト原始王朝時代(BC3500年頃)には 上エジプト(ナイル川上流、主神はホルス神)と下エジプト(ナイルのデルタ地帯、主神はセト)に分かれ 太陽暦が普及しました
エジプト初期王朝時代にはその上下エジプトが統一されました 肥沃なデルタ地帯ではなく 生きるのに必死な上エジプトのナルメル王が統一したそうで 文献上の最初の王とされます
エジプト古王国時代は メンフィスを中心に中央政権が安定しました この時代にサッカラの階段ピラミッドやギザの三大ピラミッド(クフ、カフラー、メンカウラー王)が作られました
スフィンクスは狛犬のようなもので プタハ神殿前のアラバスター製のスフィンクス等も 催事のための守り神ではないかとのこと そして ピラミッドは王の墓と言われているが まだピラミッドの中から王は発見されていない等 儀式の場 神の盤座などこれは諸説ありますね
ギザの三大ピラミッドは 今は登れないそうですが 講師の先生は昔登られたことがあるそうで...ピラミッドに昇るって!? よじ登る?どうやって降りるの?? 謎はつきない...
実際に登ってみたピラミッドの頂上からの眺めは 「天体観測」にちょうど良く 天文学を司る宰相 つまり「天文学者」が曲者で 実は占いがキーワードだったこと (エトゥルスキ講座でも習いましたが) 国見(くにみ)をするために 天体の占いをしたということでした
そして実は「観光」とは 国をまとめるために国王などが国の光を見る占いという 中国の『易経』から来ているとのこと...いや~今まで知らなかった語源です!
ちなみに エトゥルスキの占いは folgoratori(i fulguratores/ラテン語)という「雷(fulmine)占い」といって 空を4つの区分に分け(Cardoとdecumano) さらに16の区分に分けて それぞれの区分に神(divinità)がおわし どの方向に雷が落ちたかで占うもので 他にも肝臓占いや 古代ローマでは鳥占いなんかもありました
詳しくは こちら
古王国時代のジェドエフラー王が初めて太陽神ラーを名乗ったこと 彼はギザの大ピラミッドの建造者クフの息子で後継者で あまり触れられることのない人とのこと
ピラミッドの謎は調べれば調べる程深くなり... 驚いたのは ギザの3大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッド)の並び方が 空から見るとオリオン座の三ツ星の並びと同じ位置関係にあるという「オリオン座ベルト説」について そして3つのピラミッドの四側面は すべて正確に東西南北を指しているというのも 一つ一つの石がとても大きいことを考えるとすごい技術です
オリオン座と オシリス神(エジプト神話のもとの神)についての関連 エジプトではオリオン座がオシリス神の姿にあてはめられた等も話してくださいました
さらには ギザのネクロポリスと メキシコのテオティワカン遺跡と オリオン座ベルトの配置が世界に2つから3つあるのではないかという説 天体の動きに合わせて ピラミッドコンプレックス(複合体)等の巨大建造物を作ったという説があるそうです ←このあとオリオン座と日本神話についても自分で調べてみましたが なかなかに興味深いですね♡
エジプト史については 黎明期でもある原始王長期時代から プトレマイオス朝までの中で 見過ごされがちであるものの実は大事なのが 実はエジプト中王国時代であることを知りました
中王国時代には ラーとテーベ守護神アメンを習合して「アメン・ラー」を神とする宗教が誕生したのです
また ヌビアの金鉱を開発し 干拓事業も行い エジプトの繁栄につながったということです
新王国時代にはその資源のために ヌビアは植民地化されたのですね
また 新王国時代では わずか4才で即位したトトメス3世の義理の母ハトシェプストが摂政となり 女王を名乗って協同統治をしたのですが 母親は平和外交(交易)を 息子はアジア遠征で領土を広げ エジプトのナポレオンとも呼ばれたそうです
ここでふと 旧東ドイツ世界遺産講座で聞いた「ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公E・アウグスト2世の妃アンナ・アマーリアと その息子の公爵カール・アウグストが 互いに協力しあって統治を進めていた」という話が頭をよぎりました...
新王国第18王朝のアメンヘテプ四世は 宗教改革をおこない 多神教(アメン神)から一神教(太陽神アトン)にしたということで イクナーテン(Ikhnaton)と改名しました
さてその妻はネフェルティティ このネフェルティティ女王の美しい胸像が あのベルリンの新美術館(Neuesmuseum)にあるのですね 私も昔見ました♡
古代エジプトの三大美女は 実はこのネフェルティティなのですって! というのもクレオパトラはエジプトをローマに譲り渡した人なので 美女をほめる時は「ネフェルティティのように美しい」と言うとよいです( *´艸`)
← ネフェルティティ女王の胸像
そしていよいよその息子の ツタンカーメン登場です (新王国第18王朝)
妻のアンケセナーメンはツタンカーメンの父の妻だった時期もあるとのことで 異母姉と結婚し子供は無事には生まれなかったそうです (胎児のミイラが発見された) この時代では近親結婚が多いため ツタンカ―メンはさまざまな障害があり杖が手放せなかったそうですが この夫婦の仲睦まじい姿は胸をうつものがありますね...
ツタンカーメンの墓は 3000年以上の歴史を経てほとんど盗掘を受けなかったことについても話していただきました
父アメンヘテプ四世とツタンカーメンの二人は存在しないものとされ(宗教改革の反動で) 神官からその墓も隠されたことがその理由らしいです また 昔は写真も撮れたのだそうです
ツタンカーメンのマスクのあごひげについてのエピソードや ラピスラズリを合成した「アマルナ・ブルー」「エジプシャン・ブルー」のこと つまり当時すでに錬金術があったというお話や ファラオの王冠の4つの種類についても詳しくご説明いただきました
そして 繁栄した新王国第19王朝のラムセス2世ですが ラムセス2世は「ファラオの中のファラオ」と呼ばれたそうです ヌビアの遺跡にその像があり 90才まで生き66年間即位したそうで ヒッタイトと戦って平和条約を結んだ功績があります
とても勇敢で戦場にまでお供して 王の健康を気遣った協同統括者でもあった 妻ネフェルタリ王妃の墓は アブ・シンベルの墓所と神殿の絵の両方に ラムセスと同じ大きさで描かれているとのことで 「余の愛する者はたゞひとりのみ。何者も余が妃に匹敵する者はなし」という言葉が残された程愛されたわけですね
このヌビアの遺跡には イシス神殿もあり 一緒にアスワン・ハイ・ダムが建つ前に移され このことが世界遺産が作られるきっかけとなったわけですね イシス神は太陽神ホルスの母で マリア様のように愛されています
そして時代は最後にプトレマイオス朝に移りますが マケドニアのアレクサンダー大王により征服された ギリシャ人による王朝で この時点でエジプト ギリシャ オリエントが合体したわけです
そしてとうとう 紀元前30年にかのクレオパトラ7世が自殺し プトレマイオス朝が終焉を迎え...エジプトは ローマの皇帝属領アエギュプトゥスとなり ローマの歴史につながってゆくのですね...
ここで 今ちょうど古代ローマの講座を取っている私は こうしてエジプト・ギリシャ・オリエントが合体し やがてそれをローマが継いでいったという歴史を知り ようやくひとつにつながったというわけでした~
ドイツの世界遺産のお話(日独協会) 古代ローマやエトゥルスキのお話(ピアッッアイタリア) そしてさらにここクラブツーリズムの世界遺産講座では 毎月1回ながらも どこの国が出てくるか直前(?)までわからないので ドキドキワクワクしながら いちおうは自分なりの予習をしてから受けるのですが いつも予想していた以上のビッグな手ごたえを感じています
黒田講師の長年の添乗員経験に基づいた(ありとあらゆる場所を実際に訪れてらした)説得力のあるお話が聞ける ここまで世界遺産を深く知る講座を受けられたことは非常に貴重だと思います (ただの検定目的ではなく 世界遺産の光と影を知るというコンセプト) 実際に行った時にも ここまで知っていると全然違いますよね!!
歴史ってひとつの大きな川の流れのようで 切れ切れではわからない 接点をつなぎ合わせると大きな大河の流れになるのですね
私は今まで自分の好きな国のことばかり見てきたので 今ようやく遅ればせながらも こうしてランダムにいろんな講座に出て勉強しているところです ^^) _旦~~
本をただ読むだけでは そのうちに(すぐに??)忘れてしまうのですが こうして講座を聞きに行き さらに記事をまとめることでようやく定着してくれるのです ←世界遺産検定2級もこわくない!?
エジプトの世界遺産(文化遺産 6 自然遺産 1)は こちら
この中の「聖カタリーナ修道院地域」の 聖カタリーナは かのカラヴァッジョの絵で有名ですね♡
あと エジプト唯一の自然遺産ワディ・アル・ヒタンは 鯨の化石があるところです
エジプトの歴史(世界史の窓)は こちら
クラブツーリズムの世界遺産講座は 毎月1回水曜日に開催されています
6回目は9月20日(水)夜です
詳しくは こちら
追記 ピラミッドの中に巨大空間が発見されたとのこと(2017.11.2)
ニュースは こちら
* 写真は スフィンクスと第2ピラミッド
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