「ヤヌス国家イタリア 過去の隠滅と忘却の果てに」を読んで(京都大学学術出版会発行「七三一部隊と大学」収録)
2022年4月に京都大学学術出版会から発行された「七三一部隊と大学」を図書館から借りてきました この本に収録されている「ヤヌス国家イタリア 過去の隠滅と忘却の果てに」(福田富夫 著)を 知人の勧めで読むためでした
この本は 七三一部隊を大学としてどう受け止めるかというテーマで出された専門書で 私にはなかなかに難しかったのですが 中でもイタリアの戦後について書かれたこの章は 大変興味深いものでした
イタリアの歴史は撫でるくらいしか知らず マルザボットの虐殺は映画で知りましたが この本で初めて知ることも多く衝撃でした
邪悪なドイツ人に対する 人のいいイタリア人というイメージの拡散は 戦争責任の自己免責のためでもあったこと等 読んでいてドイツのナチスの過去の清算とは違うなと感じ イタリア人のイメージが少し変わりました
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CLN(国民解放委員会)に結集した反ファシズム勢力はレジスタンスを闘い ムッソリーニ率いるナチの傀儡政権を倒して 1945年4月末に全土解放を成し遂げ 1946年6月の国民投票によってイタリアは共和制となりました
その後 反ファシズム・レジスタンス神話のもとで隠されてきた歴史修正主義が勢いを増し 2004年の「追憶の日(Giorno del ricordo)」法(毎年2月10日)によって ついにはファシストの名誉回復までもが行われたのです
ちなみにタイトルにもある「ヤヌス神」とは ローマ神話の出入り口と扉の守護神で 前と後ろに反対向きの2つの顔を持つ双面神で 物事の内と外を同時に見ることができる神のことです そのヤヌス神のごとく レジスタンスとファシストをともに併存させた歴史をつまびらかにしてくれたのが この章でした
- ファシズム制裁
伝統的支配層の抵抗によって ファシズム制裁を妥協せざるをえなかったことについて述べられています
1943年9月8日 イタリア王国が連合国と締結していた休戦協定(Armistice with Italy)を発表して枢軸国から離脱 対独参戦によって イタリアは連合国に無条件降伏した敵国でありながら 共同参戦国ともなったのですね
(お正月ドラマで見た「潜水艦カッペリーニ号」でも少し描かれていましたね)
7月にシチリアに上陸したAMGOT(占領地連合軍政府)は ファシストの即座の一斉追放よりも島内の行政機関の再建を優先せざるをえず ファシストであっても任命する等弱腰でした
そしてドイツは幽閉されていたムッソリーニを救出し 傀儡政権のサロ共和国を樹立させました
(ダーチャ・マライーニの父 フォスコ・マライーニの物語「書くこと 生きること」(2014年来日講演)も このサロ政権にまつわる思い出が語られました)
1944年のローマ解放後にようやく 反ファシズム諸政党からなるCLN政府が成立し ボノーミ政権による本格的なファシズム制裁が始まりましたが ファシストの大物が海外や北部に逃れていたり 宣伝効果を狙った不均衡な判決などがあったようです
2 戦争犯罪
ユーゴスラヴィアによる連合国戦争犯罪委員会への告発
イタリアによる戦争犯罪を最も厳しく追及したのはユーゴスラヴィアでした 特に イタリアによるDenationalisation(民族的アイデンティティの破壊)が最も厳しく 「未回収のイタリア」(Italia irredenta)にはスロヴェニア人やクロアチア人が住み 領土の争いや強制的イタリア化(italianizzazione)政策 スロヴェニア語の禁止や 姓名のイタリア語化の強制もありました
人道に対する罪
イタリア王国軍・ファシスト共和国軍の戦争犯罪が 人道に対する罪に該当するとして断罪されました
特に1942年8月のウスティア村全村焼き討ち事件は残虐で 「イタリア人=好漢(Italiani brava gente)」”神話”を打ち砕くものでした
また 第二次エチオピア戦争(1935-36)での毒ガスや爆撃などの犯罪 のちにエチオピア北部でマスタード・ガスの武器庫が偶然発見されました
ドイツ占領期間中のイタリアでの ナチとファシストの残虐行為は数千に及び 中でもアルデアティーネ洞窟の虐殺(L'eccidio delle Fosse Ardeatine) サンタンナ・ディ・スタッツェーマ(Sant’Anna di Stazzema) マルツァボット(Marzabotto)の大量虐殺は衝撃的でした
(マルツァボットの虐殺がテーマの映画「やがて来たる者へ」は忘れられません)
イタリア版”ニュルンベルク”の二様の意味 ―イタリア人戦犯の処罰と イタリア人に対するナチス・ドイツ戦犯の処罰 ―は分かちがたいものであったとのこと
また 関係書類が1994年の裁判まで“恥辱の書棚”として秘匿されていたとあり 様々な言論弾圧事件もようやく明るみに出ました
「イタリア人=好漢」”神話” すなわち「邪悪なドイツ人」に対する「人のいいイタリア人」というステレオタイプは イタリア(人)の戦争犯罪・戦争責任の自己免責であると述べています イタリアの残虐行為は 1943年9月8日(休戦協定)以降のナチ・ファシストによる残虐行為によって上書きされてしまったのだと
3 追憶の日(Girono del ricordo)
「フォイベ(foibe)」 (狭義では殺害した死体を洞窟に投棄すること 広義では1943~45年のイタリア人の大量殺害)の犠牲者を記憶する「追憶の日」(2月10日)が2004年に制定されました 考察ではこの法が イタリアの歴史修正主義を国家によって公認したと述べています そして20 ~30万人にも及ぶesodo(集団移住)についても触れています
一方で2000年に制定された「記憶の日(Giorno della Memoria)」法(アウシュビッツ解放の日である1月27日)との違いが細かく記述されています
「追憶の日」には ファシストたちも犠牲者として叙勲を受けており またパルチザンの威信を失墜させもしました (どっちもどっちの理屈)
そして ユーゴから告発された帰還兵が学校で体験を語ったり “フォイベの殉教者”の名前が広場や通りにつけられる等の歴史修正主義の例を述べています
戦後イタリアは 負の遺産を清算するのではなく 清算を拒否しているのだと
圧巻でした 難解でしたが読むことができてほんとうによかったです
『七三一部隊と大学』(京都大学学術出版会)は こちら