こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

様々な現実を見つめらがらも、日々を前向きに考えて進んでゆくためのブログです

売る努力をしていないと思う

2010年12月16日 23時55分11秒 | Weblog
某産地の年間契約数を、今、大幅に削減しようとしていて、それについての話し合いがあった結果、来年、また違う人も連れて、再度話し合いをすることになったのだが、それでも削減の方向は変わらないだろう。

確かにこの産地は、数年間続けて品質に恵まれていないという厳しい現実があり、それが積極的に動けなかった理由であることも事実だろうが、本当にこれが全てなのだろうか。

品質に恵まれていない産地は、この産地だけではないし、販売に苦戦している産地も、ここだけではない。
では、どうして差が出てしまったのだろうか。

自然の天候を使って栽培しているかぎり、品質に恵まれないことがあることは当たり前。
それでも販売を続けて、消費者に買い続けてもらわなければ、産地のお米は売れなくなっていってしまうのは当たり前。
その努力を、この産地はしていたのだろうか。

自分としては、努力をしていないと感じている。
だから、どうしても、この産地のお米の販売に対して、全力投球できないのだ。
その結果が、契約数の削減となってしまっていると言っても間違いではないだろう。

自分がこの産地のお米の販売量を伸ばしていたころは、産地からも頻繁に担当が来ていたし、情報も使いきれないほど届いていた。
さらに、東京市場で産地名を伸ばしていきたいという思いも、シッカリと伝わってきていた。
だから自分も、産地の販売量を伸ばしてあげようという気持ちになっていた。

ところが今はどうだろうか。
産地は、自分たちのような、こだわり米を販売している米屋よりも、西の大手米問屋を中心に取引を広げていて、こだわり米を購入している消費者よりも、業務用としての低価格・安定販売を考えているようにしか、自分には見えていない。
もし本当に、業務用産地として生きていく道を選んだのなら、自分たちの道とは進む道が違うので、それは産地として道を作っていくしかないだろう。

現実問題として、この見え方が、事実なのか、間違いなのかの回答も、この産地からは確認できないのだ。
これでは、自分としては販売できない。

今の産地の部長なら、「売らないのであれば、売らないでよい」というだろう。
以前実際に会ったとき、この部長は、自分がこの産地を育てるために、どれだけの途力をしてきたのかとか、自分がこの産地のために持っていたポジションなどについて、まったく調べもしないまま来て、事実、このコメントを自分に対して、面と向かって言ったのだから。
(そういえば、そのあと一度も合っていない)

当然、自分のプライドは傷ついたし、産地に対する思いも、正直言って、そこで止まってしまい、いまだに傷は癒えていないのである。
それも、今回の契約数量の削減の一つの要素になっている。

お米というのは、今の時代の考え方からすれば、たかが農産物であって、流通システムにのっとって動かせばよいものなのかもしれないが、お米は日本の歴史の中から、切り離すことができない特別なもので、今も昔も、ただの流通システムだけで動かし切れるものではないのだ。
なのに、それを知らない人たちが、今のお米を動かしているから、最低の農産物にまで、落ちぶれてしまっているのだ。

お米は「たかがお米。されどお米」

お米は、伝票だけで動かす冷たいものでなく、人の気持ちも一緒に動かしているものなのだ。
コメント
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