<聖天院の入口>

近道を通って来た関係で「高麗神社」からは5分位で「聖天院(しょうてんいん)」の入口に着いてしまいました。
ここにも「地下女将軍」「天下大将軍」の「将軍標(チャンスン)」がありました。
正面に見える大きな建物は本堂ではなく山門(雷門)です。
<雷門>

雷門の扁額は「高麗山」となっていて、天井から大きな提灯がぶら下がっていました。


雷門には仁王様ではなく年季の入った風神像と雷神像が立っていたので網穴からアップで撮ってみました。 ⇒ かなりの迫力がありますね!

雷門の先はかなり急な石段があって、石段下には拝観料300円を申し受ける旨の案内が出ていました。
⇒ ここで戻ってしまえば拝観料は払わないで済むなどと馬鹿なことを考えてしまいました。

石段を登り切ると左手にご覧のような珍しい手水があったので撮ってみました。
手水で身を清めてから中門(受付)で拝観料300円を払い、パンフレットを貰います。
パンフレットには、『聖天院は、奈良時代に高句麗より渡来した高麗王若光の菩提樹として、侍念僧勝楽上人により天平勝宝3年(751年)に創建された』と書いてありました。
<庭園>

中門の先はご覧のような素晴らしい庭園になっていました。右の奥に見えるのが書院です。

庭園からこれから向かう本堂も見えたので撮ってみました。
<阿弥陀堂から本堂へ>


本堂に行く石段の左手前に「阿弥陀堂」があったので取り敢えずお参りをします。

「阿弥陀堂」でお参りを済ませてからご覧のような石段を登って本堂に向かいます。


石段を登り切る手前に仁王様が立っていたので撮ってみました。 ⇒ こちらも迫力がありますね!

こちらの仁王様はお尻が可愛かったので後姿も撮ってみました。 ⇒ これは喝!ですかね?
<本堂>

石段を登り切ると右手に雄大で素晴らしい「聖天院」の本堂が目の前に飛び込んできました。

あまり大き過ぎて写真に収まりませんでした。

正面に回って献燈越しに本堂を撮ってからお参りすることにしました。


辺りに人が居なかったのでお参りした後、本堂内部を激写してしまいました。扁額は「高麗山」と書かれていました。
尚、本堂には天正8年(1580)に鎌倉仏師の大蔵法眼が彫った不動明王座像がご本尊として安置されているみたいです。
<みはらし台>


本堂の前は「みはらし台」になっていて、眼下に書院・庫裡、中門(受付)、雷門が見えました。
<休憩所>

「みはらし台」に外れに休憩所があったので一休みすることにしました。
休憩所から広々とした「みはらし台」を撮ってみました。

ついでに、本堂を別の角度から撮ってみました。奥の方には鐘楼が見えました。
<石灰岩(雪山)>

本堂の横に(休憩所からトイレに行く途中で偶然見つけました)、ご覧のような凝灰岩が露出した箇所がありました。
本堂を新築するために裏山を整地した時に出てきた岩で、その形が雪を懐いた山に似ているところから、寺では「雪山」と呼んでいるみたいです。


「雪山」に小さな不動明王像(?)を見つけたのでアップで撮ってみました。

「雪山」の裏側で、地面から岩の割れ目を通って上まで伸びている蔓を見つけたので撮ってみました。
⇒ さすが「聖天院」の蔓は凄い生命力ですね!
<本堂の裏>

「雪山」から本堂の裏に行けそうな道があったので行ってみました。

本堂の裏道の片側はご覧のような岩壁になっていて岩を削った跡が残っていました。

又、岩壁の所どころに松の木が生えていたのには驚きました(やはり凄い生命力ですね!)。
結局、裏道は行き止まりだったので戻ることになってしまいました。
<高麗王若光の石像と鐘楼>

仁王様が立っていた石段を登り切った所の前面に石像と鐘楼があったので行ってみることにしました。

石段の下から右側に本堂が見えたのでここからも本堂を撮ってみました。


石像の台座には『高句麗若光王』と彫られていたので高麗郡建郡の中心人物の「高麗王若光」でした。 ⇒ 石像が新しいので最近建てられたものみたいです。

石像の隣に鐘楼があったので撮ってみました。尚、鐘楼の奥に見えるのは本堂です。
<慰霊塔>

鐘楼の背後に、山腹を切り開いた道が続いていて遠くに石塔が見えたので行ってみることにしました。

近づいて慰霊塔のある広場に降りると、慰霊塔の右側に偉人達の石像がありました。
石像は五体(広開土大王、太宗武烈王、王仁博士、鄭夢周先生、申師任堂)あったのですが写真に収まり切りませんでした。

写真に収まらなかった申師任堂(しん・しにんどう)を見に行ったら女性だったのでアップで撮らせて頂きました。
⇒ 後で調べたら、李氏朝鮮中期(1504~1551年)の女流書画家でした。

広場の正面には慰霊塔、左側には八角亭がありました。

この慰霊塔は、第二次世界大戦で亡くなった韓国人を供養するための在日韓民族無縁仏の慰霊塔で、在日韓国人の篤信者達によっ平成12年(2000)1月に建立されたものでした。


日本ではあまり見かけない慰霊塔の前にあった仏具や石灯籠を撮ってみました。
石灯籠の上の方には口に中に丸い物を咥えているライオン(?)がぶら下がっていました。

狛犬の代わりの狛羊(?)もいたので撮ってみました。
<檀君像>

八角亭の近くに<檀君像↑>の案内が出ていたので行ってみることにしました。

矢印に従って急な山道を少し登ると「檀君像」が建っていました。
台座には、『檀君王倹、又は檀雄天皇とも言われる。檀君は西暦前2333年朝鮮を建国した民族の始祖で今も国民的崇拝を受けている。』と刻まれていました。
又、近くにあった説明板には、『「三国遺事」によれば 天神桓因の子桓雄と熊との間に生れたと伝承される・・・』とも書いてありました。


「檀君像」の前に狛犬ならぬ狛ライオン(?)がいたので撮ってみました。
阿吽の呼吸なのか?右の狛ライオンは口が開いていて左は閉じていました。
これで拝観案内図に載っていた箇所を全て見たので「雷門」に戻ることにしました。
<高麗王廟>

「雷門」の左に鐘楼の隣にあった「高句麗王若光」の石碑「高麗王廟」があったので行ってみました。


もっと立派なお墓と思っていたら、ご覧のような多重石塔の「高麗王廟」でした。
⇒ さすが、「高麗神社」の御祭神にもなっている「高句麗王若光(こまのこきしじゃっこう)」ですね!
「聖天院」の散策に1時間以上もかけてしまいましたが、拝観料300円でこれだけ楽しめて勉強になったので大変得した感じがしています。

「聖天院」を後に「巾着田曼珠沙華公園」に向かうことにしました。
「高麗神社」に戻ってシャトルバスで行くことも考えたのですが、時間も判らなかったので「カワセミ街道」を歩いて行くことにしました。
「巾着田ハイキング(巾着田編)」に続く。

近道を通って来た関係で「高麗神社」からは5分位で「聖天院(しょうてんいん)」の入口に着いてしまいました。
ここにも「地下女将軍」「天下大将軍」の「将軍標(チャンスン)」がありました。
正面に見える大きな建物は本堂ではなく山門(雷門)です。
<雷門>

雷門の扁額は「高麗山」となっていて、天井から大きな提灯がぶら下がっていました。


雷門には仁王様ではなく年季の入った風神像と雷神像が立っていたので網穴からアップで撮ってみました。 ⇒ かなりの迫力がありますね!

雷門の先はかなり急な石段があって、石段下には拝観料300円を申し受ける旨の案内が出ていました。
⇒ ここで戻ってしまえば拝観料は払わないで済むなどと馬鹿なことを考えてしまいました。

石段を登り切ると左手にご覧のような珍しい手水があったので撮ってみました。
手水で身を清めてから中門(受付)で拝観料300円を払い、パンフレットを貰います。
パンフレットには、『聖天院は、奈良時代に高句麗より渡来した高麗王若光の菩提樹として、侍念僧勝楽上人により天平勝宝3年(751年)に創建された』と書いてありました。
<庭園>

中門の先はご覧のような素晴らしい庭園になっていました。右の奥に見えるのが書院です。

庭園からこれから向かう本堂も見えたので撮ってみました。
<阿弥陀堂から本堂へ>


本堂に行く石段の左手前に「阿弥陀堂」があったので取り敢えずお参りをします。

「阿弥陀堂」でお参りを済ませてからご覧のような石段を登って本堂に向かいます。


石段を登り切る手前に仁王様が立っていたので撮ってみました。 ⇒ こちらも迫力がありますね!

こちらの仁王様はお尻が可愛かったので後姿も撮ってみました。 ⇒ これは喝!ですかね?
<本堂>

石段を登り切ると右手に雄大で素晴らしい「聖天院」の本堂が目の前に飛び込んできました。

あまり大き過ぎて写真に収まりませんでした。

正面に回って献燈越しに本堂を撮ってからお参りすることにしました。


辺りに人が居なかったのでお参りした後、本堂内部を激写してしまいました。扁額は「高麗山」と書かれていました。
尚、本堂には天正8年(1580)に鎌倉仏師の大蔵法眼が彫った不動明王座像がご本尊として安置されているみたいです。
<みはらし台>


本堂の前は「みはらし台」になっていて、眼下に書院・庫裡、中門(受付)、雷門が見えました。
<休憩所>

「みはらし台」に外れに休憩所があったので一休みすることにしました。
休憩所から広々とした「みはらし台」を撮ってみました。

ついでに、本堂を別の角度から撮ってみました。奥の方には鐘楼が見えました。
<石灰岩(雪山)>

本堂の横に(休憩所からトイレに行く途中で偶然見つけました)、ご覧のような凝灰岩が露出した箇所がありました。
本堂を新築するために裏山を整地した時に出てきた岩で、その形が雪を懐いた山に似ているところから、寺では「雪山」と呼んでいるみたいです。


「雪山」に小さな不動明王像(?)を見つけたのでアップで撮ってみました。

「雪山」の裏側で、地面から岩の割れ目を通って上まで伸びている蔓を見つけたので撮ってみました。
⇒ さすが「聖天院」の蔓は凄い生命力ですね!
<本堂の裏>

「雪山」から本堂の裏に行けそうな道があったので行ってみました。

本堂の裏道の片側はご覧のような岩壁になっていて岩を削った跡が残っていました。

又、岩壁の所どころに松の木が生えていたのには驚きました(やはり凄い生命力ですね!)。
結局、裏道は行き止まりだったので戻ることになってしまいました。
<高麗王若光の石像と鐘楼>

仁王様が立っていた石段を登り切った所の前面に石像と鐘楼があったので行ってみることにしました。

石段の下から右側に本堂が見えたのでここからも本堂を撮ってみました。


石像の台座には『高句麗若光王』と彫られていたので高麗郡建郡の中心人物の「高麗王若光」でした。 ⇒ 石像が新しいので最近建てられたものみたいです。

石像の隣に鐘楼があったので撮ってみました。尚、鐘楼の奥に見えるのは本堂です。
<慰霊塔>

鐘楼の背後に、山腹を切り開いた道が続いていて遠くに石塔が見えたので行ってみることにしました。

近づいて慰霊塔のある広場に降りると、慰霊塔の右側に偉人達の石像がありました。
石像は五体(広開土大王、太宗武烈王、王仁博士、鄭夢周先生、申師任堂)あったのですが写真に収まり切りませんでした。

写真に収まらなかった申師任堂(しん・しにんどう)を見に行ったら女性だったのでアップで撮らせて頂きました。
⇒ 後で調べたら、李氏朝鮮中期(1504~1551年)の女流書画家でした。

広場の正面には慰霊塔、左側には八角亭がありました。

この慰霊塔は、第二次世界大戦で亡くなった韓国人を供養するための在日韓民族無縁仏の慰霊塔で、在日韓国人の篤信者達によっ平成12年(2000)1月に建立されたものでした。


日本ではあまり見かけない慰霊塔の前にあった仏具や石灯籠を撮ってみました。
石灯籠の上の方には口に中に丸い物を咥えているライオン(?)がぶら下がっていました。

狛犬の代わりの狛羊(?)もいたので撮ってみました。
<檀君像>

八角亭の近くに<檀君像↑>の案内が出ていたので行ってみることにしました。

矢印に従って急な山道を少し登ると「檀君像」が建っていました。
台座には、『檀君王倹、又は檀雄天皇とも言われる。檀君は西暦前2333年朝鮮を建国した民族の始祖で今も国民的崇拝を受けている。』と刻まれていました。
又、近くにあった説明板には、『「三国遺事」によれば 天神桓因の子桓雄と熊との間に生れたと伝承される・・・』とも書いてありました。


「檀君像」の前に狛犬ならぬ狛ライオン(?)がいたので撮ってみました。
阿吽の呼吸なのか?右の狛ライオンは口が開いていて左は閉じていました。
これで拝観案内図に載っていた箇所を全て見たので「雷門」に戻ることにしました。
<高麗王廟>

「雷門」の左に鐘楼の隣にあった「高句麗王若光」の石碑「高麗王廟」があったので行ってみました。


もっと立派なお墓と思っていたら、ご覧のような多重石塔の「高麗王廟」でした。
⇒ さすが、「高麗神社」の御祭神にもなっている「高句麗王若光(こまのこきしじゃっこう)」ですね!
「聖天院」の散策に1時間以上もかけてしまいましたが、拝観料300円でこれだけ楽しめて勉強になったので大変得した感じがしています。

「聖天院」を後に「巾着田曼珠沙華公園」に向かうことにしました。
「高麗神社」に戻ってシャトルバスで行くことも考えたのですが、時間も判らなかったので「カワセミ街道」を歩いて行くことにしました。
「巾着田ハイキング(巾着田編)」に続く。