7月6日(金)~7日(土)は、旅行で千葉県の銚子に行ってみました。
銚子の犬吠埼は、小学6年生の時にボーイスカウトのキャンプで、大学1年生の時はユースホステル(YH犬吠荘?)に旅行で泊まっています。
<JR銚子駅>
東京駅から特急「しおさい3号」に乗ると、1時間50分程で銚子駅に着きます。
銚子駅に着くと、ホームに町おこしのイルカと醬油桶が置いてあったので撮ってみました。
改札口を出ると、左側に観光案内所があったので寄ってみました。
今日は小雨が降ったり止んだりする天気だったので、次の観光地を回ることにしました。
JR銚子駅-(徒歩:15分)-ヒゲタ醬油工場-(徒歩:12分)-銚子駅-(徒歩:10分)-河岸公園-(徒歩:30分)-飯沼観音-(バス:10分)-バス停「犬吠」-(徒歩:5分)-旅館
尚、明日は晴れそうなので「銚子1日旅人パス(千葉交通・ちばこうバス・銚子電鉄の1日乗車券)」を購入(1,000円)しました。
<ヒゲタ醬油工場見学(無料)>
銚子駅から、観光案内所で教えて貰ったとおりに15分程歩くと、ヒゲタ醬油工場の正門に着きました。
守衛所で名前などを書くと、工場入口手前の右側の部屋の前に迎えの人が立っていました。
係りの人が来るまで、この部屋で待つように言われました。
部屋の入口に、十二単衣の人形が置いてある台があったので撮ってみました。
尚、この台は、約100年前の仕込桶に使っていた板で作られたものみたいです。
部屋の左側には、ご覧のようなPepper(ペッパー)がいました。
ペッパーがいろいろ話し掛けてくるので面白いですよ!
ご覧のような大漁旗がありましたが、ヒゲタ醬油は元和2年(1616)に創業された老舗です。
米俵を正面から撮ってみましたが、何故か、大豆、小麦、塩の立て札がありました。
「ヒゲタのマークの由来」があったので撮ってみました。
「ヒゲタ」は、「田」の上にある髭(ヒゲ)と合わせて名前を付けたみたいです。又、マークに付いている「上」は「最上醬油」の意味があるようです。
ご覧のようなレトロ調の映画館で、醤油の製造方法やフレスコ画の映画を20分程見ます。
映画を見てから工場見学になりますが、昭和初期に建てられた(?)工場を撮ってみました。
工場に入ると左側に、特別限定醸造(高倍、玄蕃蔵)や超特選醬油(本膳、本膳生)が置いてありました。
又、一斗樽を積み上げたご覧のような樽山が出来ていました。
「ヒゲタしょうゆの作り方」が出ていて、原料として大豆・小麦・食塩が載っていました。
工場内の通路を通って大桶の前に着くと、ガイドさんから醬油作りの説明がありました。
醬油作りの説明が終わってから、後ろにあった大桶(高さ2.4m、直径2.5m)を撮ってみました。
又、向かい側に玄蕃蔵を乗せた玄蕃丸と大桶があったので撮ってみました。
平成13年(2001)に創業385年を記念して、「天地人」をテーマにして描かれたフレスト画がありました。
尚、フレスト画は、イタリア伝統の技法で、漆喰の上に直接顔料で描くようです。
取り敢えず、縦2.8m、横10mのフレスト画を撮ってみました。
折角なので、中央部をアップで撮ってみました。
隣りに、写真付きの大型圧搾機があったので撮ってみました。
こちらは普通の圧搾機ですかね!?
工場見学が終了したので、通路を撮って出入口に向かいました。
尚、工場見学は10分程で終わりました。
<ヒゲタ醬油工場史料館>
工場の出入口から出て、暫く進むと左側に史料館がありました。
史料館には、ヒゲタ醬油に関する史料が展示されていました。
ご覧のような、万祝絆纏もあったので撮ってみました。
ヒゲタ醬油の工場見学記念板は史料館の中に置いてありました(小雨が降っていた関係?)。
帰り際に卓上のお醤油1瓶のお土産を貰ったので、売店でお醤油の詰合せと濡れ煎餅を買ってしまいました。
正門からヒゲタ醬油工場を撮ってJR銚子駅に向かいました。
<銚子駅前通りシンボルロード>
銚子駅前のロータリーに着いたので、シンボルロードを通って河岸公園に行ってみることにしました。
シンボルロードにある街路灯や案内板は、国際信号旗(アルファベット文字旗や数字旗など)で表示されているみたいです。
横断歩道を渡ってシンボルロードを通って利根川に向かいました。
シンボルロードは、ご覧のような波模様が施されていました。
<河岸公園>
シンボルロードを10分程歩くと、ご覧のようなステージのある河岸公園に着きました。
ところで、このステージには6本の蝋燭が立っているみたいですね!?
河岸公園から、銚子大橋と風車(風力発電用?)が見えたので撮ってみました。
尚、風車は波崎新漁港に建っているように見えました。
ステージを反対側から撮って、河岸公園の先の方に行ってみました。
ここからも銚子大橋が見えたので撮ってみました。
振り返ると、河岸公園の波模様が見事だったので撮ってみました。
河岸公園の外れに着いたので、ここからも銚子大橋を撮ってみました。
海辺の道を離れて、右側のバスが通る銚子漁港沿いの道路に出てみました。
<銚子漁港沿いの道路>
先の方に、特定第3種の銚子漁港が見えたので撮ってみました。
道路を歩いていると、信号「本通公園北」の手前に「大内かっぱハウス」がありました。
残念ながら「大内かっぱハウス」は土日祝日しか遣っていないようでした。
折角なので、建物の前と入口の奥にあった河童を撮ってみました。
又、建物の右側にも、ご覧のような河童がいたので撮ってみました。
信号の先に、小さな漁船が泊っていたので信号を渡って行ってみました。
取り敢えず、小さな漁船をアップで撮ってみました。
又、ご覧のような網(?)もあったのでアップで撮ってみました。
銚子漁港沿いの道路を更に進むと、ご覧のような新興橋があって先に公園がありました。
公園には、濱口吉兵衛の銅像が建っていました。
濱口吉兵衛は、銚子醤油株式会社(現ヒゲタ醤油)の初代社長で、銚子市水産業の振興や銚子港近代化整備に尽力した人物みたいです。
公園の奥に、鳥居があって境内には社がありました。
社の上部をアップで撮ると”水神宮”と彫られていました。
鳥居の近くに、素晴らしい紫陽花が咲いていたのでアップで撮ってみました。
公園を出て水神宮の横に行くと、永照稲荷大明神がありました。
永照稲荷大明神の由来書は、ご覧のように白い塗装が剥げていて読めません。
取り敢えず、お稲荷さんをアップで撮ってみました。
少しのんびりし過ぎたので、銚子銀座通りココロードに出て飯沼観音に向かうことにしました。
<銚子銀座通りココロード>
ココロードを歩いていると、ご覧のようなモニュメントがあったので撮ってみました。
銀座と名前が付いていますが、ご覧のように人出は多くありません。
ご覧のようなモニュメントもあったので撮ってみました。
<圓福寺(飯沼観音)>
ココロードを10分程歩くと、飯沼観音の仁王門に着いたので撮ってみました。
仁王門をくぐると、正面の本堂が見えたので撮ってみました。
ところで、飯沼観音は、圓福寺(えんぷくじ)の御本尊の十一面観世音菩薩に因んだ名称みたいです。
左側にトイレがあったので行くと、入口に烏枢沙摩明王堂(うすさまみょうおうどう)の立て札がありました。
トイレの中には、烏枢沙摩明王守護札(500円)が置いてありました。
トイレから参道に戻って、手水舎で身を清めて本堂に向かいました。
手水舎の隣りに、文殊菩薩が祀られている文殊堂がありました。
文殊堂の隣りには、二十三夜満願堂があったので撮ってみました。
向かい側の売店の隣りに、ご覧のような鐘楼堂があったので撮ってみました。
参道に、ご覧のような香炉があったので本堂をバックに撮ってみました。
折角なので、左側にある大仏(露仏)と一緒に本堂を撮ってみました。
参道の左手奥には、平成21年(2009)に完成した朱色の五重塔がありました。
五重塔は、高さが約34mあるので、全体を近くで撮るのは難しいです。
折角なので、山門をアップで撮ってみました。
五重塔の近くに、飯沼水準原標石があったので撮ってみました。
この飯沼水準原標石は「日本における河川測量の原点」で、文化財として歴史的、学術的にも価値があるみたいです。
大仏の前に戻って着たので、大仏を正面から撮ってみました。
この大仏は、正徳元年(1711)に造立された約5.4mの阿弥陀如来座像です。
第2次世界大戦時に受けた機銃掃射の跡が、膝や背中にあると書いてあったので後ろに回ってみました。
法衣に、機銃掃射の跡が斜めに付いていたのでアップで撮ってみました。
本堂の下に着いたので、御本尊の十一面観世音菩薩が祀られている本堂を撮ってみました。
取り敢えず、福聚海(ふくじゅかい)と書かれている扁額を撮ってみました。
本堂入口の左側には、ヒゲタ醬油から奉納された本膳がありました。
堂内に入ると、大提灯から5色の手綱がぶら下がっていました。
良く見ると、「手綱 この五色綱は、観音様の手と結ばれています。」と書いてありました。
確かに、五色綱は観音様の方に伸びていました。
五色綱がぶら下がっている大提灯を撮ってみました。
近くに、おびんずるさまがいたので撮ってみました。
祭壇の左側の天井に、全国の観音様が描かれている天井画がありました。
飯沼観音もあったのでアップで撮ってみましたが・・・
又、願い事が書かれた大きな絵馬があったので撮ってみましたが、願い事を書くスペースは殆どありませんでした。
祭壇の右側にも、ご覧のような天井画があったので撮ってみました。
本堂を見終わったので、帰り掛けに本堂から境内を撮ってみました。
参道を振り返って、再度、境内を撮ってみました。
<金刀比羅宮>
参道を歩いていると、左側に金刀比羅宮があったので行ってみました。
折角なので、金刀比羅宮でお参りをしました。
<銚港神社(ちょうこうじんじゃ)>
金刀比羅宮の隣に、銚港神社があったので行ってみました。
参道の右側に、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。
良く見ると、龍は葉っぱを咥えていて赤い玉を持っていました。
ここでも、お参りをして拝殿を撮ってみました。
飯沼観音を後に、銚子電鉄の観音駅に向かいました。
<圓福寺(大師堂・本坊)>
観音駅に向かって歩いていると、左側に圓福寺があったので行ってみました。
飯沼観音も圓福寺なので、圓福寺はかなり大きなお寺ですね!
正面に大師堂が見えたので撮ってみました。
参道を進むと左側に、ご覧のような碑があったので撮ってみました。
碑の文字は、霞んでいて殆ど読めませんが、ご覧のような説明案内板があったので句碑と分かりました。
『ほととぎす 銚子は国の とっぱずれ』の他に、古帳女(妻)の句『行き戻り 瓢を冷やす 清水哉』も刻まれていました。
句碑の奥に、ご覧のような古帳庵があったので撮ってみました。
尚、古帳庵は、当時(天保12年)の江戸の豪商(埼玉県入間市越生町出身の鈴木金兵衛)の俳人名みたいです。
古帳庵の横に、ご覧のような観世音菩薩像があったので撮ってみました。
奥に、三尊奉安内仏殿があったので撮ってみました。
尚、内仏殿には、阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩が祀られています。
ついでに、隣の寺務所を撮って、大師堂に行ってみました。
大師堂で、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
大師堂の手前に、ご覧のようなお地蔵さんが立っていました。
足元にあった月参講の碑には、大正15年3月建立と刻まれていたので、お地蔵さんもその当時のものかも知れませんね!?
圓福寺を後に、銚子電鉄の観音駅に向かいました。
<観音駅>
観音駅に着くと、下りの戸川駅行きは行ったばかりでした。
次の銚電が来るまで大分時間(約50分)があったので、県道244号線に戻ってバスで旅館近くのバス停「犬吠」まで行くことにしました。
折角なので、銚子電鉄の観音駅を撮ってみました(時計は動いているようでしたが、時間は合っていません)。
<犬吠埼灯台>
旅館に着いてから展望・露天風呂に入って、灯り始めた犬吠埼の灯台を撮ってみました。
寝る前に灯台の灯りを撮って、明日に備えて早目に寝ることにしました。
尚、今日は、あまり歩いていないので、万歩計は11,000歩を超える程度でした。
「銚子観光(犬吠埼・地球の丸く見える丘展望館・屛風ケ浦編)」に続く。
銚子の犬吠埼は、小学6年生の時にボーイスカウトのキャンプで、大学1年生の時はユースホステル(YH犬吠荘?)に旅行で泊まっています。
<JR銚子駅>
東京駅から特急「しおさい3号」に乗ると、1時間50分程で銚子駅に着きます。
銚子駅に着くと、ホームに町おこしのイルカと醬油桶が置いてあったので撮ってみました。
改札口を出ると、左側に観光案内所があったので寄ってみました。
今日は小雨が降ったり止んだりする天気だったので、次の観光地を回ることにしました。
JR銚子駅-(徒歩:15分)-ヒゲタ醬油工場-(徒歩:12分)-銚子駅-(徒歩:10分)-河岸公園-(徒歩:30分)-飯沼観音-(バス:10分)-バス停「犬吠」-(徒歩:5分)-旅館
尚、明日は晴れそうなので「銚子1日旅人パス(千葉交通・ちばこうバス・銚子電鉄の1日乗車券)」を購入(1,000円)しました。
<ヒゲタ醬油工場見学(無料)>
銚子駅から、観光案内所で教えて貰ったとおりに15分程歩くと、ヒゲタ醬油工場の正門に着きました。
守衛所で名前などを書くと、工場入口手前の右側の部屋の前に迎えの人が立っていました。
係りの人が来るまで、この部屋で待つように言われました。
部屋の入口に、十二単衣の人形が置いてある台があったので撮ってみました。
尚、この台は、約100年前の仕込桶に使っていた板で作られたものみたいです。
部屋の左側には、ご覧のようなPepper(ペッパー)がいました。
ペッパーがいろいろ話し掛けてくるので面白いですよ!
ご覧のような大漁旗がありましたが、ヒゲタ醬油は元和2年(1616)に創業された老舗です。
米俵を正面から撮ってみましたが、何故か、大豆、小麦、塩の立て札がありました。
「ヒゲタのマークの由来」があったので撮ってみました。
「ヒゲタ」は、「田」の上にある髭(ヒゲ)と合わせて名前を付けたみたいです。又、マークに付いている「上」は「最上醬油」の意味があるようです。
ご覧のようなレトロ調の映画館で、醤油の製造方法やフレスコ画の映画を20分程見ます。
映画を見てから工場見学になりますが、昭和初期に建てられた(?)工場を撮ってみました。
工場に入ると左側に、特別限定醸造(高倍、玄蕃蔵)や超特選醬油(本膳、本膳生)が置いてありました。
又、一斗樽を積み上げたご覧のような樽山が出来ていました。
「ヒゲタしょうゆの作り方」が出ていて、原料として大豆・小麦・食塩が載っていました。
工場内の通路を通って大桶の前に着くと、ガイドさんから醬油作りの説明がありました。
醬油作りの説明が終わってから、後ろにあった大桶(高さ2.4m、直径2.5m)を撮ってみました。
又、向かい側に玄蕃蔵を乗せた玄蕃丸と大桶があったので撮ってみました。
平成13年(2001)に創業385年を記念して、「天地人」をテーマにして描かれたフレスト画がありました。
尚、フレスト画は、イタリア伝統の技法で、漆喰の上に直接顔料で描くようです。
取り敢えず、縦2.8m、横10mのフレスト画を撮ってみました。
折角なので、中央部をアップで撮ってみました。
隣りに、写真付きの大型圧搾機があったので撮ってみました。
こちらは普通の圧搾機ですかね!?
工場見学が終了したので、通路を撮って出入口に向かいました。
尚、工場見学は10分程で終わりました。
<ヒゲタ醬油工場史料館>
工場の出入口から出て、暫く進むと左側に史料館がありました。
史料館には、ヒゲタ醬油に関する史料が展示されていました。
ご覧のような、万祝絆纏もあったので撮ってみました。
ヒゲタ醬油の工場見学記念板は史料館の中に置いてありました(小雨が降っていた関係?)。
帰り際に卓上のお醤油1瓶のお土産を貰ったので、売店でお醤油の詰合せと濡れ煎餅を買ってしまいました。
正門からヒゲタ醬油工場を撮ってJR銚子駅に向かいました。
<銚子駅前通りシンボルロード>
銚子駅前のロータリーに着いたので、シンボルロードを通って河岸公園に行ってみることにしました。
シンボルロードにある街路灯や案内板は、国際信号旗(アルファベット文字旗や数字旗など)で表示されているみたいです。
横断歩道を渡ってシンボルロードを通って利根川に向かいました。
シンボルロードは、ご覧のような波模様が施されていました。
<河岸公園>
シンボルロードを10分程歩くと、ご覧のようなステージのある河岸公園に着きました。
ところで、このステージには6本の蝋燭が立っているみたいですね!?
河岸公園から、銚子大橋と風車(風力発電用?)が見えたので撮ってみました。
尚、風車は波崎新漁港に建っているように見えました。
ステージを反対側から撮って、河岸公園の先の方に行ってみました。
ここからも銚子大橋が見えたので撮ってみました。
振り返ると、河岸公園の波模様が見事だったので撮ってみました。
河岸公園の外れに着いたので、ここからも銚子大橋を撮ってみました。
海辺の道を離れて、右側のバスが通る銚子漁港沿いの道路に出てみました。
<銚子漁港沿いの道路>
先の方に、特定第3種の銚子漁港が見えたので撮ってみました。
道路を歩いていると、信号「本通公園北」の手前に「大内かっぱハウス」がありました。
残念ながら「大内かっぱハウス」は土日祝日しか遣っていないようでした。
折角なので、建物の前と入口の奥にあった河童を撮ってみました。
又、建物の右側にも、ご覧のような河童がいたので撮ってみました。
信号の先に、小さな漁船が泊っていたので信号を渡って行ってみました。
取り敢えず、小さな漁船をアップで撮ってみました。
又、ご覧のような網(?)もあったのでアップで撮ってみました。
銚子漁港沿いの道路を更に進むと、ご覧のような新興橋があって先に公園がありました。
公園には、濱口吉兵衛の銅像が建っていました。
濱口吉兵衛は、銚子醤油株式会社(現ヒゲタ醤油)の初代社長で、銚子市水産業の振興や銚子港近代化整備に尽力した人物みたいです。
公園の奥に、鳥居があって境内には社がありました。
社の上部をアップで撮ると”水神宮”と彫られていました。
鳥居の近くに、素晴らしい紫陽花が咲いていたのでアップで撮ってみました。
公園を出て水神宮の横に行くと、永照稲荷大明神がありました。
永照稲荷大明神の由来書は、ご覧のように白い塗装が剥げていて読めません。
取り敢えず、お稲荷さんをアップで撮ってみました。
少しのんびりし過ぎたので、銚子銀座通りココロードに出て飯沼観音に向かうことにしました。
<銚子銀座通りココロード>
ココロードを歩いていると、ご覧のようなモニュメントがあったので撮ってみました。
銀座と名前が付いていますが、ご覧のように人出は多くありません。
ご覧のようなモニュメントもあったので撮ってみました。
<圓福寺(飯沼観音)>
ココロードを10分程歩くと、飯沼観音の仁王門に着いたので撮ってみました。
仁王門をくぐると、正面の本堂が見えたので撮ってみました。
ところで、飯沼観音は、圓福寺(えんぷくじ)の御本尊の十一面観世音菩薩に因んだ名称みたいです。
左側にトイレがあったので行くと、入口に烏枢沙摩明王堂(うすさまみょうおうどう)の立て札がありました。
トイレの中には、烏枢沙摩明王守護札(500円)が置いてありました。
トイレから参道に戻って、手水舎で身を清めて本堂に向かいました。
手水舎の隣りに、文殊菩薩が祀られている文殊堂がありました。
文殊堂の隣りには、二十三夜満願堂があったので撮ってみました。
向かい側の売店の隣りに、ご覧のような鐘楼堂があったので撮ってみました。
参道に、ご覧のような香炉があったので本堂をバックに撮ってみました。
折角なので、左側にある大仏(露仏)と一緒に本堂を撮ってみました。
参道の左手奥には、平成21年(2009)に完成した朱色の五重塔がありました。
五重塔は、高さが約34mあるので、全体を近くで撮るのは難しいです。
折角なので、山門をアップで撮ってみました。
五重塔の近くに、飯沼水準原標石があったので撮ってみました。
この飯沼水準原標石は「日本における河川測量の原点」で、文化財として歴史的、学術的にも価値があるみたいです。
大仏の前に戻って着たので、大仏を正面から撮ってみました。
この大仏は、正徳元年(1711)に造立された約5.4mの阿弥陀如来座像です。
第2次世界大戦時に受けた機銃掃射の跡が、膝や背中にあると書いてあったので後ろに回ってみました。
法衣に、機銃掃射の跡が斜めに付いていたのでアップで撮ってみました。
本堂の下に着いたので、御本尊の十一面観世音菩薩が祀られている本堂を撮ってみました。
取り敢えず、福聚海(ふくじゅかい)と書かれている扁額を撮ってみました。
本堂入口の左側には、ヒゲタ醬油から奉納された本膳がありました。
堂内に入ると、大提灯から5色の手綱がぶら下がっていました。
良く見ると、「手綱 この五色綱は、観音様の手と結ばれています。」と書いてありました。
確かに、五色綱は観音様の方に伸びていました。
五色綱がぶら下がっている大提灯を撮ってみました。
近くに、おびんずるさまがいたので撮ってみました。
祭壇の左側の天井に、全国の観音様が描かれている天井画がありました。
飯沼観音もあったのでアップで撮ってみましたが・・・
又、願い事が書かれた大きな絵馬があったので撮ってみましたが、願い事を書くスペースは殆どありませんでした。
祭壇の右側にも、ご覧のような天井画があったので撮ってみました。
本堂を見終わったので、帰り掛けに本堂から境内を撮ってみました。
参道を振り返って、再度、境内を撮ってみました。
<金刀比羅宮>
参道を歩いていると、左側に金刀比羅宮があったので行ってみました。
折角なので、金刀比羅宮でお参りをしました。
<銚港神社(ちょうこうじんじゃ)>
金刀比羅宮の隣に、銚港神社があったので行ってみました。
参道の右側に、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。
良く見ると、龍は葉っぱを咥えていて赤い玉を持っていました。
ここでも、お参りをして拝殿を撮ってみました。
飯沼観音を後に、銚子電鉄の観音駅に向かいました。
<圓福寺(大師堂・本坊)>
観音駅に向かって歩いていると、左側に圓福寺があったので行ってみました。
飯沼観音も圓福寺なので、圓福寺はかなり大きなお寺ですね!
正面に大師堂が見えたので撮ってみました。
参道を進むと左側に、ご覧のような碑があったので撮ってみました。
碑の文字は、霞んでいて殆ど読めませんが、ご覧のような説明案内板があったので句碑と分かりました。
『ほととぎす 銚子は国の とっぱずれ』の他に、古帳女(妻)の句『行き戻り 瓢を冷やす 清水哉』も刻まれていました。
句碑の奥に、ご覧のような古帳庵があったので撮ってみました。
尚、古帳庵は、当時(天保12年)の江戸の豪商(埼玉県入間市越生町出身の鈴木金兵衛)の俳人名みたいです。
古帳庵の横に、ご覧のような観世音菩薩像があったので撮ってみました。
奥に、三尊奉安内仏殿があったので撮ってみました。
尚、内仏殿には、阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩が祀られています。
ついでに、隣の寺務所を撮って、大師堂に行ってみました。
大師堂で、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
大師堂の手前に、ご覧のようなお地蔵さんが立っていました。
足元にあった月参講の碑には、大正15年3月建立と刻まれていたので、お地蔵さんもその当時のものかも知れませんね!?
圓福寺を後に、銚子電鉄の観音駅に向かいました。
<観音駅>
観音駅に着くと、下りの戸川駅行きは行ったばかりでした。
次の銚電が来るまで大分時間(約50分)があったので、県道244号線に戻ってバスで旅館近くのバス停「犬吠」まで行くことにしました。
折角なので、銚子電鉄の観音駅を撮ってみました(時計は動いているようでしたが、時間は合っていません)。
<犬吠埼灯台>
旅館に着いてから展望・露天風呂に入って、灯り始めた犬吠埼の灯台を撮ってみました。
寝る前に灯台の灯りを撮って、明日に備えて早目に寝ることにしました。
尚、今日は、あまり歩いていないので、万歩計は11,000歩を超える程度でした。
「銚子観光(犬吠埼・地球の丸く見える丘展望館・屛風ケ浦編)」に続く。