飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

等々力渓谷をぶらり

2014年08月24日 | Weblog
 8月23日(土)に東急大井町線の等々力駅の近くにあるに等々力渓谷を散策してみました。
 等々力駅から3分位歩いたところにある成城石井等々力店を越えると右側に等々力渓谷(とどろきけいこく)の遊歩道入口がありました。


 早速、案内板で現在地(右端)を確認します。等々力渓谷はここから谷沢川(やざわがわ)沿いに多摩川方面に歩くことになります。
 案内板には、『等々力渓谷は、武蔵野台地の南端を谷沢川が浸食してできた、延長約1kmの東京23区内唯一の渓谷です。』と記されていて書いて、横穴式古墳、不動の滝、日本庭園などの見所も沢山あるみたいです。
 尚、等々力渓谷は、平成11年3月に東京都指定名勝にもなっています。
 

 渓谷の遊歩道に降りる前に、渓谷に架かっている「ゴルフ橋」を撮ってみましたが普通の橋のようでした。
 名前が「ゴルフ橋」とは昔のゴルフ場の名残かも知れませんね!?


 <等々力渓谷入口>の案内が出ている階段を下ったところに渓谷はありました。


 階段を降りると目の前にご覧のよなアーチ形の「ゴルフ橋」が飛び込んできました。
 下から見上げる「ゴルフ橋」は趣があって素晴らしいですね!




 谷沢川沿いにご覧のような遊歩道を歩きますが、気温も周囲より若干低い感じがしました。


 川沿いにはご覧のように石を積み重ねた箇所もありました。




 途中からは谷沢川を左に見ながらの遊歩道になりました。


 遊歩道だけでなく谷沢川に生い茂った木々も撮ってみました。

<野毛大塚古墳>

 遊歩道の途中に<野毛大塚古墳 玉川野毛町公園 まで260m>の案内が出ていたの行ってみることにしました。


 階段を登って団地(公務員等々力宿舎?)の中を通って暫く歩くと古墳が見えてきました。
 古墳と云うと木々が生い茂った丘で案内板がないと古墳と判りずらいのですが、「野毛大塚古墳」はご覧のように整備されていました。


 しかも古墳の頂上に行ける階段も整備されていました。




 頂上に登ると埋設物(石棺以外に、鎧、甲冑、刀、勾玉など)があったところが白くなっていて、埋設物の絵も描かれていました。


 

 頂上から下にみえた古墳の輪郭跡を撮ってみました。周囲には復元した埴輪が並んでいました。


 別の角度から「野毛大塚古墳」を撮って遊歩道に戻ることにしました。


 再び、遊歩道に戻って暫く歩くとご覧のような潜水橋があったので渡ってみました。

<等々力渓谷3号横穴>

 小さな橋を渡ると広場があって立派な「等々力渓谷公園」の案内盤がありました。尚、時計は合っていませんでした。
 案内盤には、『「等々力」の地名は、渓谷内の「不動の滝」の音が響き渡り「轟いた」ところからついた、との言い伝えがあります。』と記されていました。


 案内盤から反対側の斜面を少し登ったところに「等々力渓谷3号横穴」がありました。




 3号横穴の内部がガラス越しに覗けたのでアップで撮ってみましたが上手く撮れませんでした。
 その代わり、解説板にあった内部の様子の描かれた絵をアップで撮ってみました。尚、奥行きは約13mあって内部は当時をそのまま再現しているようです。


 3号横穴があったので他に横穴がないかと思って先に行ってみると、1号横穴跡(左)と2号横穴跡(右)の石碑があるだけで横穴はありませんでした。
 3号横穴を後に、再び潜水橋を渡って遊歩道に戻りました。

<等々力不動尊>

 遊歩道を暫く歩くと「名勝 等々力渓谷等々力不動尊 境内」と記された木漂がありました。


 右の道を進むと入口近くにご覧のような珍しい手水がありました。


 手水で身を清めてからお堂の近くに行ってみると、稚児大師堂(ちごだいしどう)の御影堂でした。


 解説版には、『小さい手を合わせているお姿は、弘法大師の 幼いときの お姿です』とあったので、弘法大師の小さいときは稚児大師と云っていたみたいです。
 稚児大師に手を合わせてから御影堂を後にして遊歩道に戻りました。


 遊歩道に戻ると直ぐに橋(利剣の橋)があって、橋を渡ると左に稲荷神社と不動尊、その横には小さな滝も見えました。


 ご覧のような立派な「利剣の橋」を渡って近くに行ってみることにしました。


 稲荷神社(左)と不動尊(右)を撮ってみました。


 せっかく等々力不動尊に来たので不動尊をアップで撮ってみました。


 不動尊にお参りしてから右側の池に二筋の小さな滝があったので撮ってみました。
 等々力渓谷の最大の見どころの「不動の滝」ですかね!? ⇒ 他に滝を見なかったので間違いないと思いますが・・・


 取り敢えず水量が多い方の滝をアップで撮ってみました。
 等々力の地名はこの滝の水音に由来すると言われていますが昔と比べて水量が少なってしまっのですかね!?


 水量が多い方の滝の左上に御不動様がいたので撮ってみました。滝を見下ろす番人という感じですかね!?
 

 「不動の滝」の横に、正一位稲荷大明神と不動明王が祀られいたのでアップで撮ってみました。


 「不動の滝」を撮ってから石段を登って等々力不動の本堂に行ってみることにしました。
 石段の途中に、役行者(えんのぎょうじゃ)の神変窟があったので行ってみました。


 役の行者を神変大菩薩として祀ってあるらしのですがお顔は判りませんでした。尚、提灯に神変大菩薩と書いてありました。


 神変窟に下に小さなお堂があってガマガエル(?)のような石像が祀られていたのでこちらもアップで撮ってみました。


 石段を登っていると、石段の脇に剣のような石碑があったので撮ってみましたが由緒などは不明です。
 

 石段を登り切ると舞台(?)のような建物があって、この下をくぐると左に等々力不動尊の本堂がありました。
 何か裏口から境内に入ってしまったような感じがしたので、山門まで行って境内に入ることにしました。




 山門は「瀧轟山(りゅうごうざん)」になっていましたが、等々力渓谷で初めて「轟」の文字を見ました。


 山門をくぐって等々力不動尊の境内を撮ってみました。尚、本堂は正面にあります。




 本堂でお参りをしてから軒下を撮ってみましたが、鰐口(わにぐち)の両脇にご覧のような鈴(?)がありましたが初めて見ました。


 渡り廊下(?)のような通路があって、先の方に人が屯していたので行ってみました。
 尚、渡り廊下は通行止めになっていて上ることは出来ませんでした。


 そこは休憩所兼展望台になっていて皆さん下を見下ろしていました。
 展望台から撮った景色ですが、今の時期は木々が生い茂っていてご覧のような状況でした。
 境内を散策してから登って来た石段を下って「利剣の橋」を渡って遊歩道に戻りました。

<日本庭園>

 遊歩道を暫く歩くと右側に「日本庭園」があったので行ってみました。
 正門の脇に「日本庭園 周辺案内図」があったので取り敢えず庭園の全体を確認しました。


 正門の先は広々とした芝生広場になっていました。


 芝生広場の東側に書院があったので行ってみることにしました。


 書院の入口はご覧のようになっていて中々趣がある感じがしませんか?


 取り敢えず書院を撮ってから園路に沿って園内を散策します。


 園内には池もあったのですが干上がっていてご覧のような状態になっていました。


 園内にあった竹林を通って出口(かぶき門)に向かいました。
 

 「かぶき門」に着きましたが、名前からして「日本庭園」の正式な入口はこの門だったのかも知れません。
 「かぶき門」を撮って再び遊歩道に戻りました。

<矢川橋>

 取り敢えず「矢川橋」まで来たので等々力渓谷遊歩道の出口に着きました。
 又、約1時間30分かけて等々力渓谷を散策したことになります。

 この後、未だ歩き足りないのと時間があったので、このまま谷沢川沿いを歩いて多摩川まで行って川沿いを東急東横線の多摩川駅まで歩いてみることにしました。
 「等々力渓谷をぶらり(多摩川編)」に続く。

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