「鶴岡八幡宮:神苑ぼたん庭園(正月ぼたん)」から続く。
<休憩所前>
神苑ぼたん庭園を出ると、休憩所の前ご覧のような梅が咲いていたので撮ってみました。
素晴らしい梅だったのでアップで撮ってみました。
後ろに、国歌「君が代」に詠まれている「さざれ石」があったので撮ってみました。
説明案内板に依ると、石灰質角礫岩の「さざれ石」は、昭和36年に岐阜県春日町で小林宗一氏により発見され、52年に岐阜県の天然記念物に指定されたものです。
ご覧のような立派な鶴岡幼稚園を撮って参道に向かいました。
源氏池に旗上弁財天社の白旗と源氏池橋(私が勝手に付けた名前)が見えたので撮ってみました。
折角なので、源氏池橋を渡って旗上弁財天社に行ってみることにしました。
<旗上弁財天社(はたあげべんざいてんしゃ)>
源氏池橋から先程の鶴岡幼稚園と休憩所が見えたので撮ってみました。
旗上弁財天社の前に着いたので全景を撮ってみました。
弁財天社は、北条政子が源氏の勝利と平家の滅亡を祈って源平池を掘らせた際に建立したと言われています。
お参りしてから、守護神の弁財天が祀られている弁財天社をアップで撮ってみました。
弁財天社の後ろにある政子石を撮ってみましたが、どちらが政子石ですかね!?
弁財天社の周りに立っている白旗には2本の黒い線が入っていますが、これは「二引(二つ引)」という源氏の紋です。
弁財天社からも、先程の休憩所と手前の浮島が見えたので撮ってみました。
源氏池橋を渡って参道に向かいました。
<鶴岡八幡宮の境内>
参道に出ると舞殿と本宮が一緒に見えたので撮ってみました。
立派な手水舎の前はご覧のような人だかりが出来ていました。
取り敢えず、手水舎で身を清めて舞殿(下拝殿)に向かいました。
舞殿の前に遣って来たので全体を撮ってみました。
尚、舞殿は静御前が義経を慕い、心を込めて舞った若宮廻廊跡に建てられています。
舞殿の左側を通って、大石段の上にある本宮(上宮)に向かいました。
大石段の下に遣って来ると、倒伏した樹幹部分(再生可能な高さ4mに切断)を据え付けた大銀杏がありました。
この大銀杏は、平成22年3月10日未明に雪混じりの強風によって倒伏し、元の場所よりすぐ脇に据え付けられたものです。
大石段を登っていると、倒伏前の大銀杏があった場所が見えたので撮ってみました。
本宮(上宮)の入口の桜門に着いたので撮ってみました。
随身門の守護者である随身像の吽形(左)と阿敬(右)を撮ってみました。
桜門をくぐると拝殿がありますが、参拝者が多かったのと撮影禁止だったので遠くからお参りしました。
本宮でお参りしてから本宮の左に行くと、丸山稲荷社の鳥居がありました。
多くの参拝者がいたので行ってみました。
小さな鳥居のトンネルをくぐって石段を登ると、小高い丘にご覧のような神社がありました。
国の重要文化財に指定さている社殿を撮ってお参りをしました。
尚、御祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)です。
お参りしてから社殿の扁額を撮ってみました。
神社の反対側に、珍しい鳥居の絵馬があったので撮ってみました。
丸山稲荷社の石段を降りると、県道21号線(鎌倉街道)に出れる階段がありました。
階段の下に、鶴岡八幡宮の鳥居があったので撮ってみました。
<建長寺 700m>の案内が出ていたので、梅で有名な東慶寺に運動不足の解消を兼ねて行ってみました。
<鎌倉街道>
北鎌倉駅に向かって鎌倉街道を歩いていると、ご覧のような巨福呂坂洞門(扇ガ谷トンネル)がありました。
トンネルの上部が面白かったので撮ってみました。
トンネルを抜けると左側に「巨福呂坂送水管路ずい道(横須賀市水道局)」の入口があったので撮ってみました。
鎌倉街道を歩いていると、建長寺の手前に臨済宗建長寺派の円応寺(えんのうじ)がありました。
階段を上ってみましたが、撮影禁止だったので写真は撮れませんでした。
<東慶寺(とうけいじ)>
鎌倉街道を20分程歩くと東慶寺の入口に着きました。
尚、東慶寺は2011年3月「円覚寺と建長寺をぶらり」で来ています。
山門下にある石階に向かって歩いていると、右側に夏目漱石参禅百年記念碑があったので撮ってみました。
山門で拝観料(200円)を払って境内に入ると、左側に茅葺屋根の鐘楼がありました。
鐘楼の手前にある梅を撮ってみましたが、残念ながら花は咲いていませんでした。
仕方がないので、代わりに鐘楼と梵鐘を撮ってみました。
鐘楼を後に参道に戻って歩いていると、蕾の梅があったので撮ってみました。
黄色の細長いひも状の花弁が特徴的な満作(まんさく)が咲いていたので撮ってみました。
素晴らしい満作だったのでアップで撮ってみました。
又、ご覧のようなロウバイが咲いていたのでアップで撮ってみました。
本堂の中門の前に着くと、右側に四賀光子(しがみつこ)の歌碑『流らふる大悲の海によばふこゑ 時をへだててなほたしかなり』がありました。
中門をくぐって奥に行ってみると、ご覧のような立派な本堂がありました。
「波羅蜜(?)」の扁額が掛かっている本堂の内部を撮らせて頂きました。
折角なので、御本尊の釈迦如来坐像をアップと度アップで撮らせて頂きました。
本堂を後に参道を更に進むと、ご覧のような金仏がありました。
松ヶ岡宝蔵の前に遣って来ると、国歌「君が代」で詠まれている「さざれ石」がありました。
「さざれ石」は、石灰質角礫岩で長い年月のうち雨水に溶解し、小石を集結して大きくなり、やがて苔が生じるみたいです。
ご覧のような参道を通って、更に先に行ってみました。
参道の右側の岩壁に、ご覧のようなお地蔵さん(?)が祀ってあったので撮ってみました。
岩壁を過ぎると、右側に「後醍醐天皇・皇女 用堂女王墓」の石標があったので階段を登ってみました。
取り敢えず、用堂女王の墓を撮ってみました。
用堂女王の近くに、ご覧のような墓碑(歴代住職のお墓?)があったので撮ってみました。
墓苑まで来てしまったので参道に戻ることにしました。
書院の手前に遣って来ると、来る時には気が付かなかったロウバイが咲いていました。
折角なので、ロウバイをアップで撮ってみました。
山門を出て石段を降りていると、花が咲き始めた梅がありました。
東慶寺で最初で最後に見る梅の花だったのでアップで撮ってみました。
東慶寺を後に、鎌倉街道を通って北鎌倉駅に向かいました。
北鎌倉駅からは大船駅経由で藤沢駅に向かいました。
大船駅の手前で大船観音が見えたので撮ってみました。
藤沢駅でJR線から小田急線に乗り換えますが、藤沢駅で途中下車して馴染みの居酒屋に入って軽く飲んで帰りました。
今日は、神苑ぼたん庭園では「正月ぼたん」が楽しめたのですが、東慶寺では梅が楽しめなかったのが残念です。
尚、万歩計は10,000歩を超えていたので運動不足の解消にはなりました。
<休憩所前>
神苑ぼたん庭園を出ると、休憩所の前ご覧のような梅が咲いていたので撮ってみました。
素晴らしい梅だったのでアップで撮ってみました。
後ろに、国歌「君が代」に詠まれている「さざれ石」があったので撮ってみました。
説明案内板に依ると、石灰質角礫岩の「さざれ石」は、昭和36年に岐阜県春日町で小林宗一氏により発見され、52年に岐阜県の天然記念物に指定されたものです。
ご覧のような立派な鶴岡幼稚園を撮って参道に向かいました。
源氏池に旗上弁財天社の白旗と源氏池橋(私が勝手に付けた名前)が見えたので撮ってみました。
折角なので、源氏池橋を渡って旗上弁財天社に行ってみることにしました。
<旗上弁財天社(はたあげべんざいてんしゃ)>
源氏池橋から先程の鶴岡幼稚園と休憩所が見えたので撮ってみました。
旗上弁財天社の前に着いたので全景を撮ってみました。
弁財天社は、北条政子が源氏の勝利と平家の滅亡を祈って源平池を掘らせた際に建立したと言われています。
お参りしてから、守護神の弁財天が祀られている弁財天社をアップで撮ってみました。
弁財天社の後ろにある政子石を撮ってみましたが、どちらが政子石ですかね!?
弁財天社の周りに立っている白旗には2本の黒い線が入っていますが、これは「二引(二つ引)」という源氏の紋です。
弁財天社からも、先程の休憩所と手前の浮島が見えたので撮ってみました。
源氏池橋を渡って参道に向かいました。
<鶴岡八幡宮の境内>
参道に出ると舞殿と本宮が一緒に見えたので撮ってみました。
立派な手水舎の前はご覧のような人だかりが出来ていました。
取り敢えず、手水舎で身を清めて舞殿(下拝殿)に向かいました。
舞殿の前に遣って来たので全体を撮ってみました。
尚、舞殿は静御前が義経を慕い、心を込めて舞った若宮廻廊跡に建てられています。
舞殿の左側を通って、大石段の上にある本宮(上宮)に向かいました。
大石段の下に遣って来ると、倒伏した樹幹部分(再生可能な高さ4mに切断)を据え付けた大銀杏がありました。
この大銀杏は、平成22年3月10日未明に雪混じりの強風によって倒伏し、元の場所よりすぐ脇に据え付けられたものです。
大石段を登っていると、倒伏前の大銀杏があった場所が見えたので撮ってみました。
本宮(上宮)の入口の桜門に着いたので撮ってみました。
随身門の守護者である随身像の吽形(左)と阿敬(右)を撮ってみました。
桜門をくぐると拝殿がありますが、参拝者が多かったのと撮影禁止だったので遠くからお参りしました。
本宮でお参りしてから本宮の左に行くと、丸山稲荷社の鳥居がありました。
多くの参拝者がいたので行ってみました。
小さな鳥居のトンネルをくぐって石段を登ると、小高い丘にご覧のような神社がありました。
国の重要文化財に指定さている社殿を撮ってお参りをしました。
尚、御祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)です。
お参りしてから社殿の扁額を撮ってみました。
神社の反対側に、珍しい鳥居の絵馬があったので撮ってみました。
丸山稲荷社の石段を降りると、県道21号線(鎌倉街道)に出れる階段がありました。
階段の下に、鶴岡八幡宮の鳥居があったので撮ってみました。
<建長寺 700m>の案内が出ていたので、梅で有名な東慶寺に運動不足の解消を兼ねて行ってみました。
<鎌倉街道>
北鎌倉駅に向かって鎌倉街道を歩いていると、ご覧のような巨福呂坂洞門(扇ガ谷トンネル)がありました。
トンネルの上部が面白かったので撮ってみました。
トンネルを抜けると左側に「巨福呂坂送水管路ずい道(横須賀市水道局)」の入口があったので撮ってみました。
鎌倉街道を歩いていると、建長寺の手前に臨済宗建長寺派の円応寺(えんのうじ)がありました。
階段を上ってみましたが、撮影禁止だったので写真は撮れませんでした。
<東慶寺(とうけいじ)>
鎌倉街道を20分程歩くと東慶寺の入口に着きました。
尚、東慶寺は2011年3月「円覚寺と建長寺をぶらり」で来ています。
山門下にある石階に向かって歩いていると、右側に夏目漱石参禅百年記念碑があったので撮ってみました。
山門で拝観料(200円)を払って境内に入ると、左側に茅葺屋根の鐘楼がありました。
鐘楼の手前にある梅を撮ってみましたが、残念ながら花は咲いていませんでした。
仕方がないので、代わりに鐘楼と梵鐘を撮ってみました。
鐘楼を後に参道に戻って歩いていると、蕾の梅があったので撮ってみました。
黄色の細長いひも状の花弁が特徴的な満作(まんさく)が咲いていたので撮ってみました。
素晴らしい満作だったのでアップで撮ってみました。
又、ご覧のようなロウバイが咲いていたのでアップで撮ってみました。
本堂の中門の前に着くと、右側に四賀光子(しがみつこ)の歌碑『流らふる大悲の海によばふこゑ 時をへだててなほたしかなり』がありました。
中門をくぐって奥に行ってみると、ご覧のような立派な本堂がありました。
「波羅蜜(?)」の扁額が掛かっている本堂の内部を撮らせて頂きました。
折角なので、御本尊の釈迦如来坐像をアップと度アップで撮らせて頂きました。
本堂を後に参道を更に進むと、ご覧のような金仏がありました。
松ヶ岡宝蔵の前に遣って来ると、国歌「君が代」で詠まれている「さざれ石」がありました。
「さざれ石」は、石灰質角礫岩で長い年月のうち雨水に溶解し、小石を集結して大きくなり、やがて苔が生じるみたいです。
ご覧のような参道を通って、更に先に行ってみました。
参道の右側の岩壁に、ご覧のようなお地蔵さん(?)が祀ってあったので撮ってみました。
岩壁を過ぎると、右側に「後醍醐天皇・皇女 用堂女王墓」の石標があったので階段を登ってみました。
取り敢えず、用堂女王の墓を撮ってみました。
用堂女王の近くに、ご覧のような墓碑(歴代住職のお墓?)があったので撮ってみました。
墓苑まで来てしまったので参道に戻ることにしました。
書院の手前に遣って来ると、来る時には気が付かなかったロウバイが咲いていました。
折角なので、ロウバイをアップで撮ってみました。
山門を出て石段を降りていると、花が咲き始めた梅がありました。
東慶寺で最初で最後に見る梅の花だったのでアップで撮ってみました。
東慶寺を後に、鎌倉街道を通って北鎌倉駅に向かいました。
北鎌倉駅からは大船駅経由で藤沢駅に向かいました。
大船駅の手前で大船観音が見えたので撮ってみました。
藤沢駅でJR線から小田急線に乗り換えますが、藤沢駅で途中下車して馴染みの居酒屋に入って軽く飲んで帰りました。
今日は、神苑ぼたん庭園では「正月ぼたん」が楽しめたのですが、東慶寺では梅が楽しめなかったのが残念です。
尚、万歩計は10,000歩を超えていたので運動不足の解消にはなりました。
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