1月9日(土)は、小田急線車内の中吊り広告に載っていた上野東照宮の「冬ぼたん」を見に行ってきました。
何故か、小田急ポイントカードを見せると「上野東照宮ぼたん苑」の入園料(700円)が100円引きになるみたいですよ!
折角なので、JR鶯谷駅で降りて寛永寺にお参りしてから上野公園を通って上野東照宮に行ってみることにしました。
鶯谷駅南口で降りて、タクシー乗り場の近くにあった観光案内図で現在地を確認します。
山手線沿いに寛永寺霊園、その先に寛永寺がありますが、上野公園とその周辺は、かつては寛永寺の境内だったみたいですよ!
<徳川家綱霊廟の勅額門>
案内図に従って、道なりに5分程歩くと、重要文化財に指定されている4代将軍の徳川家綱霊廟の勅額門がありました。
説明板に依ると、勅額門は江戸時代延宝9年(1681年)に建立されたみたいです。
柵が邪魔だったので、勅額門を斜めから撮ってみました。
勅額門を後に、暫く歩くと御霊廟の入口があったのですが、参拝は出来そうにありませんでした。
<常慶院殿霊廟の勅額門>
霊廟の前の道を更に進むと、右側にご覧のような広い敷地があって奥に立派な建物が見えました。
広い敷地の右側には、江戸時代宝永6年(1709年)に建立された重要文化財の常慶院殿霊廟の勅額門がありました。
常憲院は誰か分からなかったのですが、5代将軍の徳川綱吉の法号でした。
勅額門を見てから敷地の正面にあった建物を見に行ってみました。
ご覧のような立派な永代供養墓・納骨堂の光明閣がありました。
光明閣のお墓は、徳川歴代将軍霊廟に隣接しているので価格はそれなりにするのでしょうね!?
光明閣の前にあった枝垂桜(?)を撮って寛永寺の本堂に向かいました。
<寛永寺>
道なりに参道(?)を暫く歩くと寛永寺の本堂が見えました。
寛永寺では、本堂にあたる建物を根本中堂と言っているみたいです。
後ろの扉にご覧のような立派な葵の御紋があったのでアップで撮ってみました。
どうやら寛永寺の根本中堂へは裏から入ってしまったようです。
取り敢えず、寛永寺の根本中堂を横から撮ってみました。
寛永寺の根本中堂を正面から撮ってお参りすることにしました。
根本中堂へは上がれましたが、内部は撮影禁止になっていました。
根本中堂でお参りしてから瑠璃殿と書かれた扁額を撮ってみました。
根本中堂を斜めから撮って境内を散策してみました。
都指定旧跡の了翁禅師塔碑(りょうおうぜんじとうひ)があったので、アップで撮ってみました。
説明板には、『了翁禅師(1630~1707)は、江戸時代前期の黄檗宗(おおばくしゅう)の僧で、難民救済や寛永寺に勧学寮(図書館)の設置などを行った。』と書いてありました。
都指定旧跡の慈海僧正(じかいそうじょう)墓があったので撮ってみましたが、赤い前掛け(?)がありましたが何のためでしょうね!?
「蟲塚」と刻まれた都指定有形文化財の虫塚碑があったのでアップで撮ってみました。
虫塚碑の後ろに寛永寺の鬼瓦が展示してあったのでアップで撮ってみました。
実際の寛永寺の鬼瓦もアップで撮ってみました。
瓦の先端に何か彫ってあって気になったのでアップで撮ってみました。
”覚永寺”となっていましたが、細工が細かいですね!
寛永寺は裏から入ってしまったので、再度、正面から境内を撮って寛永寺を後にしました。
近くの「言問通り」に、「江戸六地蔵尊」の六番地蔵尊が祀ってある浄名院があったので行ってみました。
<浄名院>
寛永寺の表門から「言問通り」に出ると、浄名院の山門がありました。
浄名院の本堂はご覧のようなお寺さんらしくない建物でした。
取り敢えず、本堂の入口をアップで撮ってみました。
お参りしてから本堂の内部を撮らせていただきました。
お参りした後、境内を半時計回りに一周してみることにしました。
本堂の左側に十二地蔵尊が祀ってあったので撮ってみましたが、十二地蔵尊とは珍しいですね!
十二地蔵尊の後ろには、ご覧のようなお地蔵さんが所せましと置いてありました。
境内の壁際にもご覧のようなお地蔵さんが置いてありました。
「六地蔵巡り」の番外地蔵(弘法大師)が祀ってあったので撮ってみましたが、番外地蔵とは笑ってしまいますね!
本堂が正面に見える所まで遣って来たのでお地蔵さんと一緒に撮ってみました。
「六地蔵巡り」の第五番地蔵があったので撮ってみました。
手前のお地蔵さんに「八万四千体之内 四万八XXX番」と彫ってあったので、浄名院には八万四千体の石地蔵尊が祀ってあるみたいですよ!?
周りのお地蔵さんより大きな「六地蔵巡り」の第四番地蔵(妙運大和尚)がありました。
どうやら、浄名院では心願成就の「六地蔵巡り」が出来るようで、番外地蔵はそれから外れたお地蔵さんですかね!?
「六地蔵巡り」の第三番地蔵を見つけたので、後ろの彫り物と一緒に撮ってみました。
入口近くに戻って来ると、ご覧のような地蔵堂(?)があったので行ってみました。
地蔵堂には、頭上に蓮の葉がある総本尊地蔵が祀られていました。
説明板には、『八万四千体のお地蔵さんを代表する本尊である』と書いてありました。
失礼して、総本尊地蔵をアップで撮らせていただきました。
近くに「六地蔵巡り」の第一番地蔵を見つけたので撮ってみましたが、小さくて最初は気が付きませんでした。
隣に、「江戸六地蔵」の六番地蔵尊が祀ってあったので撮ってみました。
蓮の下の石には”六番”と彫ってありました。
尚、「江戸六地蔵」とは京都の六地蔵に倣って、江戸の出入口6箇所に造立・設置されているお地蔵さまです。
失礼してこちらもアップで撮らせていただきました。
「江戸六地蔵尊」の六番地蔵尊の手前に、<開運 石大黒天>の旗が立っていたので大黒様を探してみました。
何処にいるのか分からなかったのですが、旗の下に板表札より小さな大黒様がいました。
『福徳をいただけます』ように大黒様をアップで撮ってみました。
浄名院の「六地蔵巡り」は完遂できませんでしたが、「江戸六地蔵」の六番地蔵尊と石大黒天を一緒に撮って、「六地蔵巡り」の心願成就の代わりにしました。
浄名院からは、再び、寛永寺の表門に戻って上野公園に向かうことにしました。
「上野をぶらり(上野公園編)」に続く。
何故か、小田急ポイントカードを見せると「上野東照宮ぼたん苑」の入園料(700円)が100円引きになるみたいですよ!
折角なので、JR鶯谷駅で降りて寛永寺にお参りしてから上野公園を通って上野東照宮に行ってみることにしました。
鶯谷駅南口で降りて、タクシー乗り場の近くにあった観光案内図で現在地を確認します。
山手線沿いに寛永寺霊園、その先に寛永寺がありますが、上野公園とその周辺は、かつては寛永寺の境内だったみたいですよ!
<徳川家綱霊廟の勅額門>
案内図に従って、道なりに5分程歩くと、重要文化財に指定されている4代将軍の徳川家綱霊廟の勅額門がありました。
説明板に依ると、勅額門は江戸時代延宝9年(1681年)に建立されたみたいです。
柵が邪魔だったので、勅額門を斜めから撮ってみました。
勅額門を後に、暫く歩くと御霊廟の入口があったのですが、参拝は出来そうにありませんでした。
<常慶院殿霊廟の勅額門>
霊廟の前の道を更に進むと、右側にご覧のような広い敷地があって奥に立派な建物が見えました。
広い敷地の右側には、江戸時代宝永6年(1709年)に建立された重要文化財の常慶院殿霊廟の勅額門がありました。
常憲院は誰か分からなかったのですが、5代将軍の徳川綱吉の法号でした。
勅額門を見てから敷地の正面にあった建物を見に行ってみました。
ご覧のような立派な永代供養墓・納骨堂の光明閣がありました。
光明閣のお墓は、徳川歴代将軍霊廟に隣接しているので価格はそれなりにするのでしょうね!?
光明閣の前にあった枝垂桜(?)を撮って寛永寺の本堂に向かいました。
<寛永寺>
道なりに参道(?)を暫く歩くと寛永寺の本堂が見えました。
寛永寺では、本堂にあたる建物を根本中堂と言っているみたいです。
後ろの扉にご覧のような立派な葵の御紋があったのでアップで撮ってみました。
どうやら寛永寺の根本中堂へは裏から入ってしまったようです。
取り敢えず、寛永寺の根本中堂を横から撮ってみました。
寛永寺の根本中堂を正面から撮ってお参りすることにしました。
根本中堂へは上がれましたが、内部は撮影禁止になっていました。
根本中堂でお参りしてから瑠璃殿と書かれた扁額を撮ってみました。
根本中堂を斜めから撮って境内を散策してみました。
都指定旧跡の了翁禅師塔碑(りょうおうぜんじとうひ)があったので、アップで撮ってみました。
説明板には、『了翁禅師(1630~1707)は、江戸時代前期の黄檗宗(おおばくしゅう)の僧で、難民救済や寛永寺に勧学寮(図書館)の設置などを行った。』と書いてありました。
都指定旧跡の慈海僧正(じかいそうじょう)墓があったので撮ってみましたが、赤い前掛け(?)がありましたが何のためでしょうね!?
「蟲塚」と刻まれた都指定有形文化財の虫塚碑があったのでアップで撮ってみました。
虫塚碑の後ろに寛永寺の鬼瓦が展示してあったのでアップで撮ってみました。
実際の寛永寺の鬼瓦もアップで撮ってみました。
瓦の先端に何か彫ってあって気になったのでアップで撮ってみました。
”覚永寺”となっていましたが、細工が細かいですね!
寛永寺は裏から入ってしまったので、再度、正面から境内を撮って寛永寺を後にしました。
近くの「言問通り」に、「江戸六地蔵尊」の六番地蔵尊が祀ってある浄名院があったので行ってみました。
<浄名院>
寛永寺の表門から「言問通り」に出ると、浄名院の山門がありました。
浄名院の本堂はご覧のようなお寺さんらしくない建物でした。
取り敢えず、本堂の入口をアップで撮ってみました。
お参りしてから本堂の内部を撮らせていただきました。
お参りした後、境内を半時計回りに一周してみることにしました。
本堂の左側に十二地蔵尊が祀ってあったので撮ってみましたが、十二地蔵尊とは珍しいですね!
十二地蔵尊の後ろには、ご覧のようなお地蔵さんが所せましと置いてありました。
境内の壁際にもご覧のようなお地蔵さんが置いてありました。
「六地蔵巡り」の番外地蔵(弘法大師)が祀ってあったので撮ってみましたが、番外地蔵とは笑ってしまいますね!
本堂が正面に見える所まで遣って来たのでお地蔵さんと一緒に撮ってみました。
「六地蔵巡り」の第五番地蔵があったので撮ってみました。
手前のお地蔵さんに「八万四千体之内 四万八XXX番」と彫ってあったので、浄名院には八万四千体の石地蔵尊が祀ってあるみたいですよ!?
周りのお地蔵さんより大きな「六地蔵巡り」の第四番地蔵(妙運大和尚)がありました。
どうやら、浄名院では心願成就の「六地蔵巡り」が出来るようで、番外地蔵はそれから外れたお地蔵さんですかね!?
「六地蔵巡り」の第三番地蔵を見つけたので、後ろの彫り物と一緒に撮ってみました。
入口近くに戻って来ると、ご覧のような地蔵堂(?)があったので行ってみました。
地蔵堂には、頭上に蓮の葉がある総本尊地蔵が祀られていました。
説明板には、『八万四千体のお地蔵さんを代表する本尊である』と書いてありました。
失礼して、総本尊地蔵をアップで撮らせていただきました。
近くに「六地蔵巡り」の第一番地蔵を見つけたので撮ってみましたが、小さくて最初は気が付きませんでした。
隣に、「江戸六地蔵」の六番地蔵尊が祀ってあったので撮ってみました。
蓮の下の石には”六番”と彫ってありました。
尚、「江戸六地蔵」とは京都の六地蔵に倣って、江戸の出入口6箇所に造立・設置されているお地蔵さまです。
失礼してこちらもアップで撮らせていただきました。
「江戸六地蔵尊」の六番地蔵尊の手前に、<開運 石大黒天>の旗が立っていたので大黒様を探してみました。
何処にいるのか分からなかったのですが、旗の下に板表札より小さな大黒様がいました。
『福徳をいただけます』ように大黒様をアップで撮ってみました。
浄名院の「六地蔵巡り」は完遂できませんでしたが、「江戸六地蔵」の六番地蔵尊と石大黒天を一緒に撮って、「六地蔵巡り」の心願成就の代わりにしました。
浄名院からは、再び、寛永寺の表門に戻って上野公園に向かうことにしました。
「上野をぶらり(上野公園編)」に続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます