「羽根木公園~豪徳寺(羽根木公園編)」から続く。
豪徳寺は小田急線梅ヶ丘駅からは南西の方角にあります(道に迷わなければ30分掛からないで豪徳寺に着ける筈です)。
梅丘商店街からは閑静な住宅地の中を通って豪徳寺に行ってみました。
<豪徳寺に向かう>
住宅地を歩いていると、「満足院」の看板(?)が出ている寺院があって、珍しい名前だったので行ってみました。
取り敢えず、本堂(?)の玄関を撮ってみました。
山号「歴劫山」も撮ってみましたが、宗派などは分かりません。
本堂に入れそうな雰囲気ではなかったので、門の脇の素晴らしい白梅を撮って満足院を後にしました。
住宅地を歩いていると、住宅の玄関先に蕾が膨らみかけた沈丁花がありました。
取り敢えずアップで撮ってみましたが、もう沈丁花の花が咲く時期になったのですね!
住宅地を更に進むと、ご覧のような杓子稲荷神社がありました。
⇒ ”杓子”の読み方は、”しゃくし”それとも”しゃもじ”ですかね!?
右側に、「杓子稲荷神社記」があったので撮ってみました。
「杓子稲荷神社記」には、杓子稲荷神社は、室町時代に吉良治部大輔治が世田谷城の鬼門鎮護として、伏見稲荷を勧請して創建し、その後、衰滅・再建されたようなことが書いてありました。
又、杓子の謂れについては、杓子の食物を掬うは救うに通じ、総ての病難・災難を払い、福徳円満・長寿開運・万福招来の象徴と記されていました。
「杓子稲荷神社記」の横に、招福祈願の杓子納所があったのでアップで撮ってみました。
扁額が掲げられている立派な鳥居だったのでアップで撮ってみました。
一の鳥居をくぐると、右側に手水と供養庚申塔があったので撮ってみました。
二の鳥居の先にはご覧のような社殿があって、左には御神木の「不老長寿の松」がありました。
取り敢えず、社殿を撮って、道に迷わないで豪徳寺に着けますようにお参りをしました。
お参りしてから社殿の内部(本殿?)を撮らせていただきました。
折角なので、アップでも撮ってみました。
道路に出て、背の高い御神木の「不老長寿の松」を撮って杓子稲荷神社を後にしました。
住宅地を歩いていると、民家の庭先にご覧のようなロウバイが咲いていました。
素晴らしいロウバイだったのでアップで撮らせていただきました。
都道423号線に出る曲がり角に、ご覧のような地蔵堂があったので撮ってみました。
お地蔵さんをアップで撮ってみましたが、由来などは分かりません。
<豪徳寺>
都道423号線に出て西に向かって歩いていると、左側の奥の方に鬱蒼とした森が見えたので行ってみました。
都道を左に曲がって坂道を下ると、ご覧のような豪徳寺の裏門に着きました。
裏門から境内には入れませんが、裏門の扉には正面の山門までの案内矢印が出ていました。
案内矢印に従って塀沿いの道を進むと、今度はご覧のような東門がありました。
東門からも境内には入れませんが、手前の案内板には、この先塀沿いに右折して約100m行くと山門(碧運閣)があると書いてありました。
小田急線梅ヶ丘駅からは40分程で豪徳寺の山門に着きました(途中、寄り道をしたので止むを得ませんね!)。
因みに、豪徳寺の裏門から山門までは5分以上掛かっていました。
山門の由緒ありそうな扁額を撮ってみましたが、達筆で何(碧運閣?)と書いてあるのか分かりません。
山門をくぐると、香炉の先に仏殿が見えたのでアップで撮ってみました。
左側に「忠正公神道碑」があったので三重塔と一緒に撮ってみました。
⇒ 後で調べたら、碑主は井伊直弼の次男の忠正で、第14代彦根藩主みたいです。
折角なので、三重塔を横から撮ってみました。
ついでに、三重塔の上部をアップで撮ってみました。
香炉の手前に遣って来たので、仏殿と一緒に撮ってみました。
香炉の周りに人がいなくなったので、香炉と狛犬(?)を撮ってみました。
仏殿の前に着いたので、建物全体を撮ってみましたが大きすぎて収まりません。
仏殿の扁額(弐世仏)を撮って、参拝者が立ち去るのを待つことにしました。
奥にも扁額が掛かっていましたが、ここからでは読めません。
お参りしてから仏殿の内部を撮らせていただきました。
折角なので、アップで仏壇も撮らせていただきました。
お参りしてから、奥の扁額を撮ってみましたが、山号(大谿山)が掛かっていました。
仏殿に貼ってあった境内案内図で現在地を確認すると、三重塔の先に井伊家墓所があるので行ってみることにしました。
仏殿を横から撮って、三重塔の前を通って井伊家墓所に向かいました。
三重塔の前に遣って来たので下をアップで撮ると、十二支が彫られているようでした。
鼠の中心に招き猫がいたので一緒にアップで撮ってみました。
折角なので、干支の犬を探してアップで撮ってみました。
三重塔の向かい側に、招福殿が掲げられている門があったので入ってみました。
門をくぐると、ご覧のような招福堂がありました。
お参りしてから、お堂の引き戸入口を撮ってみました。
引き戸の小窓から、お堂の内部が見えたので撮ってみました。
祭壇にも、ご覧のような招き猫がいたのでアップで撮ってみました。
お堂の左側に、招福猫児と呼ばれる白い招き猫がいました。
御利益がありそうなので、招福猫児をアップで撮ってみました。
お堂の左側の通路には、ご覧のような招福猫児が奉納されていました。
尚、この招福猫児は、願い事が成就した際に奉納されるみたいです。
愛らしい招福猫児をアップで撮ってみました。
手水の周りにも、ご覧のような招福猫児が奉納されていました。
招福観音さま(?)の周りにも招福猫児が奉納されていたので撮ってみました。
ひな壇には、収まりきれないぐらいの招福猫児が奉納されていました。
愛らしい招福猫児の頭に、小さな招福猫児がいたのでアップで撮ってみました。
招福堂の手前にあった石灯籠にも招福猫児がいたので撮ってみました。
招福堂を後に元の道に戻ると、無名戦士慰霊記念碑があったので撮ってみました。
日本大学教授の山田孝雄が詠んだ歌碑「いくさの旅に さまよい果てたる はらからよ ここにかえりて やすらいたまえ」が刻まれたいました。
歌碑の上にあった若者の裸体をアップで撮ってみました。
ご覧のような門のある井伊家墓所の入口に着きました。
左側に井伊家墓所全体図があったので、2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』の井伊直虎のお墓を探したのですが見当たりませんでした。
「桜田門外の変」で暗殺された井伊直弼のお墓があったので行ってみることにしました。
ご覧のような参道を通って、井伊直弼のお墓に行ってみました。
参道右側の大きな木の上で鳥の鳴き声がするので見上げると、ご覧のようなインコ(?)がいました。
参道を進むと、正面に左から10代直幸世子直富(龍泉院殿)、2代直孝(久昌院殿)、9代直禔(見性院殿)のお墓があったので撮ってみました。
参道を左に曲がって奥に行くと、ご覧のような説明案内板と井伊直弼のお墓がありました。
石碑の花立に花が生けてあったので、参拝者が来ていたようです。
卒塔婆に”祥当月”と書いてあったので、井伊直弼は3月に暗殺されたようです。
因みに、説明案内板には『・・・安政7年3月、江戸城外桜田門外において、水戸・薩摩の浪士らに暗殺された。・・・』と書いてありました。
井伊直弼のお墓でお参りしてから、他の墓所を見ながら井伊家墓所を後にしました。
元の道に戻って、ご覧のような門をくぐって仏殿の後ろにあった法堂に行ってみました。
法堂の前に着いたので、八角灯篭と一緒に法堂を撮ってみました。
法堂には、ご覧のような扁額(豪徳禅寺)が掲げてありました。
お参りしてから法堂の内部を撮らせていただきました。尚、御本尊は釈迦如来です。
法堂の左側に紅梅が咲いていたのでアップで撮ってみました。
奥にあったエキゾチックな納骨堂を撮ってみました。
法堂の前を通って、ご覧のような招き猫がいる建物(総受付)に行ってみました。
愛らしい招き猫を撮って、建物の中に入ってみました。
建物の中では大小さまざまな招福猫児を販売していました。
総受付の先に、ご覧のような寺務所(?)があったので行ってみました。
素晴らしい唐破風の向拝だったので正面に回って撮ってみました。
右側に五葉松(?)があったのでアップで撮ってみました。
山門に向かっていると、右手に仏殿が見えたので近くに行ってみました。
仏殿の前に、ご覧のような枝垂れ桜(?)があったので一緒に撮ってみました。
尚、仏殿内には木造5躯(大権修利菩薩像、弥勒菩薩像、釈迦如来像、阿弥陀如来像、達磨大師像、)が安置されています。
駐車場の近くに、ご覧のような白梅が咲いていたので近くに行ってみました。
素晴らしい白梅だったのでアップで撮ってみました。
鐘楼の手前に、ご覧のような四角い鉢(?)があったので撮ってみました。
鐘楼を撮って山門に向かいました。
山門をくぐって、ご覧のような松ノ木に挟まれた参道を下って石門に向かいました。
柱の上に狛犬がいる石門に着いたので、松ノ木と一緒に撮ってみました。
豪徳寺を後に、世田谷城阯公園を通って松陰神社に行ってみることにしました。
<世田谷城阯公園>
豪徳寺からは2~3分で世田谷城阯公園に着いてしまいました。
公園内に世田谷城跡があったので入ってみました。
高台に着いたのですが、近くに城の跡は見つけられませんでした。
高台から城跡や堀跡らしき場所があったので撮ってみました。
ご覧のような散策路を通って世田谷城阯公園を後にしました。
<松陰神社>
世田谷城阯公園からは国士舘大の脇を通って松陰神社に行ったので20分程かかってしまいました。
松陰神社に着いたので、黒光した立派な鳥居を撮ってみました。
説明案内板には、吉田松陰は30歳の若さで刑死され、高杉晋作や伊藤博文の弟子がいると書かれていました。
参道を通って社殿と松下村塾に向かいました。
参道を歩いていると、左側に神楽殿と手水舎があったので撮ってみました。
又、右側に松陰先生像があったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような参道を通って社殿に向かいました。
社殿の前に着いたので全体を撮ってみました。
社殿で、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから社殿の内部をアップで撮ってみました。
社殿に、ご覧のような虎の額があったので撮ってみました。
社殿の右側に松下村塾があったので行ってみました。
ご覧のような講義室があったので撮ってみました。
松陰先生の掛け軸があったので撮ってみました。
松下村塾を後に、手水舎の横から松陰先生他烈士墓所に行ってみました。
参道にはご覧のような鳥居あって、鳥居の先には松陰先生墓所の案内がありました。
鳥居をくぐって右に曲がると、またご覧のような鳥居がありました。
鳥居の右に、ご覧のような松陰先生他烈士墓所の説明案内板がありました。
下の松陰先生墓域案内図には12基の墓域が記されていました。
参道を進むと、正面に松陰先生のお墓を中心に5基のお墓が並んでいました。
折角なので、松陰先生のお墓を中心に3基のお墓をアップで撮ってみました。
松陰先生他烈士墓所を後に、参道に戻って社殿を撮って松陰神社を後にしました。
<山下駅の桜>
松陰神社からは、居酒屋を探しながら東急世田谷線の松陰神社前駅まで歩いてみました。
適当な居酒屋がなかったので、東急世田谷線で山下駅まで行って、乗り換える小田急線の豪徳寺駅近くで飲むことにしました。
山下駅の西口で降りると、ホーム脇の植込みにご覧のような河津桜(?)が咲いていました。
素晴らしい河津桜だったのでアップで撮ってみました。
豪徳寺駅の商店街でも開店している居酒屋がなかったので、ラーメン屋に入って軽く飲んで帰りました。
今回の「羽根木公園~豪徳寺」は、羽根木公園で素晴らしい梅が楽しめたのと念願の豪徳寺に行けたので満足しています。
又、万歩計が15,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。
豪徳寺は小田急線梅ヶ丘駅からは南西の方角にあります(道に迷わなければ30分掛からないで豪徳寺に着ける筈です)。
梅丘商店街からは閑静な住宅地の中を通って豪徳寺に行ってみました。
<豪徳寺に向かう>
住宅地を歩いていると、「満足院」の看板(?)が出ている寺院があって、珍しい名前だったので行ってみました。
取り敢えず、本堂(?)の玄関を撮ってみました。
山号「歴劫山」も撮ってみましたが、宗派などは分かりません。
本堂に入れそうな雰囲気ではなかったので、門の脇の素晴らしい白梅を撮って満足院を後にしました。
住宅地を歩いていると、住宅の玄関先に蕾が膨らみかけた沈丁花がありました。
取り敢えずアップで撮ってみましたが、もう沈丁花の花が咲く時期になったのですね!
住宅地を更に進むと、ご覧のような杓子稲荷神社がありました。
⇒ ”杓子”の読み方は、”しゃくし”それとも”しゃもじ”ですかね!?
右側に、「杓子稲荷神社記」があったので撮ってみました。
「杓子稲荷神社記」には、杓子稲荷神社は、室町時代に吉良治部大輔治が世田谷城の鬼門鎮護として、伏見稲荷を勧請して創建し、その後、衰滅・再建されたようなことが書いてありました。
又、杓子の謂れについては、杓子の食物を掬うは救うに通じ、総ての病難・災難を払い、福徳円満・長寿開運・万福招来の象徴と記されていました。
「杓子稲荷神社記」の横に、招福祈願の杓子納所があったのでアップで撮ってみました。
扁額が掲げられている立派な鳥居だったのでアップで撮ってみました。
一の鳥居をくぐると、右側に手水と供養庚申塔があったので撮ってみました。
二の鳥居の先にはご覧のような社殿があって、左には御神木の「不老長寿の松」がありました。
取り敢えず、社殿を撮って、道に迷わないで豪徳寺に着けますようにお参りをしました。
お参りしてから社殿の内部(本殿?)を撮らせていただきました。
折角なので、アップでも撮ってみました。
道路に出て、背の高い御神木の「不老長寿の松」を撮って杓子稲荷神社を後にしました。
住宅地を歩いていると、民家の庭先にご覧のようなロウバイが咲いていました。
素晴らしいロウバイだったのでアップで撮らせていただきました。
都道423号線に出る曲がり角に、ご覧のような地蔵堂があったので撮ってみました。
お地蔵さんをアップで撮ってみましたが、由来などは分かりません。
<豪徳寺>
都道423号線に出て西に向かって歩いていると、左側の奥の方に鬱蒼とした森が見えたので行ってみました。
都道を左に曲がって坂道を下ると、ご覧のような豪徳寺の裏門に着きました。
裏門から境内には入れませんが、裏門の扉には正面の山門までの案内矢印が出ていました。
案内矢印に従って塀沿いの道を進むと、今度はご覧のような東門がありました。
東門からも境内には入れませんが、手前の案内板には、この先塀沿いに右折して約100m行くと山門(碧運閣)があると書いてありました。
小田急線梅ヶ丘駅からは40分程で豪徳寺の山門に着きました(途中、寄り道をしたので止むを得ませんね!)。
因みに、豪徳寺の裏門から山門までは5分以上掛かっていました。
山門の由緒ありそうな扁額を撮ってみましたが、達筆で何(碧運閣?)と書いてあるのか分かりません。
山門をくぐると、香炉の先に仏殿が見えたのでアップで撮ってみました。
左側に「忠正公神道碑」があったので三重塔と一緒に撮ってみました。
⇒ 後で調べたら、碑主は井伊直弼の次男の忠正で、第14代彦根藩主みたいです。
折角なので、三重塔を横から撮ってみました。
ついでに、三重塔の上部をアップで撮ってみました。
香炉の手前に遣って来たので、仏殿と一緒に撮ってみました。
香炉の周りに人がいなくなったので、香炉と狛犬(?)を撮ってみました。
仏殿の前に着いたので、建物全体を撮ってみましたが大きすぎて収まりません。
仏殿の扁額(弐世仏)を撮って、参拝者が立ち去るのを待つことにしました。
奥にも扁額が掛かっていましたが、ここからでは読めません。
お参りしてから仏殿の内部を撮らせていただきました。
折角なので、アップで仏壇も撮らせていただきました。
お参りしてから、奥の扁額を撮ってみましたが、山号(大谿山)が掛かっていました。
仏殿に貼ってあった境内案内図で現在地を確認すると、三重塔の先に井伊家墓所があるので行ってみることにしました。
仏殿を横から撮って、三重塔の前を通って井伊家墓所に向かいました。
三重塔の前に遣って来たので下をアップで撮ると、十二支が彫られているようでした。
鼠の中心に招き猫がいたので一緒にアップで撮ってみました。
折角なので、干支の犬を探してアップで撮ってみました。
三重塔の向かい側に、招福殿が掲げられている門があったので入ってみました。
門をくぐると、ご覧のような招福堂がありました。
お参りしてから、お堂の引き戸入口を撮ってみました。
引き戸の小窓から、お堂の内部が見えたので撮ってみました。
祭壇にも、ご覧のような招き猫がいたのでアップで撮ってみました。
お堂の左側に、招福猫児と呼ばれる白い招き猫がいました。
御利益がありそうなので、招福猫児をアップで撮ってみました。
お堂の左側の通路には、ご覧のような招福猫児が奉納されていました。
尚、この招福猫児は、願い事が成就した際に奉納されるみたいです。
愛らしい招福猫児をアップで撮ってみました。
手水の周りにも、ご覧のような招福猫児が奉納されていました。
招福観音さま(?)の周りにも招福猫児が奉納されていたので撮ってみました。
ひな壇には、収まりきれないぐらいの招福猫児が奉納されていました。
愛らしい招福猫児の頭に、小さな招福猫児がいたのでアップで撮ってみました。
招福堂の手前にあった石灯籠にも招福猫児がいたので撮ってみました。
招福堂を後に元の道に戻ると、無名戦士慰霊記念碑があったので撮ってみました。
日本大学教授の山田孝雄が詠んだ歌碑「いくさの旅に さまよい果てたる はらからよ ここにかえりて やすらいたまえ」が刻まれたいました。
歌碑の上にあった若者の裸体をアップで撮ってみました。
ご覧のような門のある井伊家墓所の入口に着きました。
左側に井伊家墓所全体図があったので、2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』の井伊直虎のお墓を探したのですが見当たりませんでした。
「桜田門外の変」で暗殺された井伊直弼のお墓があったので行ってみることにしました。
ご覧のような参道を通って、井伊直弼のお墓に行ってみました。
参道右側の大きな木の上で鳥の鳴き声がするので見上げると、ご覧のようなインコ(?)がいました。
参道を進むと、正面に左から10代直幸世子直富(龍泉院殿)、2代直孝(久昌院殿)、9代直禔(見性院殿)のお墓があったので撮ってみました。
参道を左に曲がって奥に行くと、ご覧のような説明案内板と井伊直弼のお墓がありました。
石碑の花立に花が生けてあったので、参拝者が来ていたようです。
卒塔婆に”祥当月”と書いてあったので、井伊直弼は3月に暗殺されたようです。
因みに、説明案内板には『・・・安政7年3月、江戸城外桜田門外において、水戸・薩摩の浪士らに暗殺された。・・・』と書いてありました。
井伊直弼のお墓でお参りしてから、他の墓所を見ながら井伊家墓所を後にしました。
元の道に戻って、ご覧のような門をくぐって仏殿の後ろにあった法堂に行ってみました。
法堂の前に着いたので、八角灯篭と一緒に法堂を撮ってみました。
法堂には、ご覧のような扁額(豪徳禅寺)が掲げてありました。
お参りしてから法堂の内部を撮らせていただきました。尚、御本尊は釈迦如来です。
法堂の左側に紅梅が咲いていたのでアップで撮ってみました。
奥にあったエキゾチックな納骨堂を撮ってみました。
法堂の前を通って、ご覧のような招き猫がいる建物(総受付)に行ってみました。
愛らしい招き猫を撮って、建物の中に入ってみました。
建物の中では大小さまざまな招福猫児を販売していました。
総受付の先に、ご覧のような寺務所(?)があったので行ってみました。
素晴らしい唐破風の向拝だったので正面に回って撮ってみました。
右側に五葉松(?)があったのでアップで撮ってみました。
山門に向かっていると、右手に仏殿が見えたので近くに行ってみました。
仏殿の前に、ご覧のような枝垂れ桜(?)があったので一緒に撮ってみました。
尚、仏殿内には木造5躯(大権修利菩薩像、弥勒菩薩像、釈迦如来像、阿弥陀如来像、達磨大師像、)が安置されています。
駐車場の近くに、ご覧のような白梅が咲いていたので近くに行ってみました。
素晴らしい白梅だったのでアップで撮ってみました。
鐘楼の手前に、ご覧のような四角い鉢(?)があったので撮ってみました。
鐘楼を撮って山門に向かいました。
山門をくぐって、ご覧のような松ノ木に挟まれた参道を下って石門に向かいました。
柱の上に狛犬がいる石門に着いたので、松ノ木と一緒に撮ってみました。
豪徳寺を後に、世田谷城阯公園を通って松陰神社に行ってみることにしました。
<世田谷城阯公園>
豪徳寺からは2~3分で世田谷城阯公園に着いてしまいました。
公園内に世田谷城跡があったので入ってみました。
高台に着いたのですが、近くに城の跡は見つけられませんでした。
高台から城跡や堀跡らしき場所があったので撮ってみました。
ご覧のような散策路を通って世田谷城阯公園を後にしました。
<松陰神社>
世田谷城阯公園からは国士舘大の脇を通って松陰神社に行ったので20分程かかってしまいました。
松陰神社に着いたので、黒光した立派な鳥居を撮ってみました。
説明案内板には、吉田松陰は30歳の若さで刑死され、高杉晋作や伊藤博文の弟子がいると書かれていました。
参道を通って社殿と松下村塾に向かいました。
参道を歩いていると、左側に神楽殿と手水舎があったので撮ってみました。
又、右側に松陰先生像があったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような参道を通って社殿に向かいました。
社殿の前に着いたので全体を撮ってみました。
社殿で、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから社殿の内部をアップで撮ってみました。
社殿に、ご覧のような虎の額があったので撮ってみました。
社殿の右側に松下村塾があったので行ってみました。
ご覧のような講義室があったので撮ってみました。
松陰先生の掛け軸があったので撮ってみました。
松下村塾を後に、手水舎の横から松陰先生他烈士墓所に行ってみました。
参道にはご覧のような鳥居あって、鳥居の先には松陰先生墓所の案内がありました。
鳥居をくぐって右に曲がると、またご覧のような鳥居がありました。
鳥居の右に、ご覧のような松陰先生他烈士墓所の説明案内板がありました。
下の松陰先生墓域案内図には12基の墓域が記されていました。
参道を進むと、正面に松陰先生のお墓を中心に5基のお墓が並んでいました。
折角なので、松陰先生のお墓を中心に3基のお墓をアップで撮ってみました。
松陰先生他烈士墓所を後に、参道に戻って社殿を撮って松陰神社を後にしました。
<山下駅の桜>
松陰神社からは、居酒屋を探しながら東急世田谷線の松陰神社前駅まで歩いてみました。
適当な居酒屋がなかったので、東急世田谷線で山下駅まで行って、乗り換える小田急線の豪徳寺駅近くで飲むことにしました。
山下駅の西口で降りると、ホーム脇の植込みにご覧のような河津桜(?)が咲いていました。
素晴らしい河津桜だったのでアップで撮ってみました。
豪徳寺駅の商店街でも開店している居酒屋がなかったので、ラーメン屋に入って軽く飲んで帰りました。
今回の「羽根木公園~豪徳寺」は、羽根木公園で素晴らしい梅が楽しめたのと念願の豪徳寺に行けたので満足しています。
又、万歩計が15,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。
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