「海老名をぶらり(相模国分寺編)」から続く。
<かしわ台1号踏切>
相模国分寺跡を後に県道を10分程歩くと、相鉄線の「かしわ台1号踏切」に着きました。
踏切で待っていると、上りの相鉄線が遣って来たので撮ってみました。
上りの線路脇に、鉄ちゃんがいたので私も踏切を渡りながら線路を撮ってみました。
<龍峰寺に向かう>
踏切を渡ると、右側に案内<自然と歴史のさんぽみち>があって、500mで龍峰寺に着けそうなので行ってみることにしました。
案内に従って暫く進むと、また案内が出ていたので、それに従って左側の坂道を登ります。
坂道を登っていると、右側の藪の中にご覧のような石碑があったので撮ってみました。
⇒ ”源頼朝〇”と彫ってありそうですが、誰が難の目的で建てたのでしょうね!?
坂道は高台に続いているので、上の方に着くと見晴らしの良い場所がありそうです。
見晴らしの良い場所があったので行ってみましたが、残念ながら富士山は見えませんでした。
<清水寺公園(しみずでらこうえん)>
案内に出ていた清水寺公園に着きました。
公園の名前の由来は、かつてこの地に清水寺(せいすいじ)があったことみたいです。
園内に、ご覧のような観音様(?)が立っていました。
折角なので、お顔をアップで撮らせて頂きました。
道路の反対側に、ご覧のような長い滑り台があったので撮ってみました。
この滑り台は無料のようで、ご覧のような入口から登るみたいです。
公園には、ご覧のような池もありました。
又、戦争で戦死した兵士の記念碑も祀られていました。
<龍峰寺(りゅほうじ)>
清水寺公園の先に行くと、ご覧のような仁王門のある龍峰寺に着きました。
尚、清水寺と龍峰寺の関係は、龍峰寺がこの地に移って来たときに、龍峰寺の末寺だった清水寺は龍峰寺に併合されたみたいです。
入口に、龍峰寺境内伽藍配置図があったので撮ってみました。
傍に、ご覧のような実を付けた黒ガネモチがあったので撮ってみました。
取り敢えず、海老名市の重要文化財に指定されている仁王門を撮ってみました。
吽形(うんぎょう)像を撮りに行ったのですが、柱が邪魔していたのでお顔と足だけにしました。
ついでに、阿形(あぎょう)像も同じように撮ってみました。
仁王門の天井にあった寺紋(丸に笹竜胆、北条鱗)を撮ってみました。
宣伝のために「第21回やきもの百人展」のポスターも撮ってみました。
ご覧のような参道を通って、正面にある観音堂に向かいました。
参道の左側に、鐘楼があったので撮ってみました。
参道に、ご覧のような実が落ちていたので撮ってみました。
見上げると、大きな木にいろんな色の実が生っていましたが木の名前は分かりません。
”黒ろうばい”の名札が付いているロウバイがありましたが、黄色ではなく黒い花を咲かせるのですかね!?
「心洗」の扁額が掛かっている、水屋に着いたので撮ってみました。
水屋で一休みしてから、薬師堂に行ってみました。
薬師堂は、相模国分尼寺に縁のある古刹(こさつ)、旧清水寺の本堂で、現在は龍峰寺の仏殿として使われているみたいです。
尚、観音堂は海老名市の重要文化財に指定されています。
お参りしてから扁額を撮ってみましたが、「奥徳山」となっていたので旧清水寺の山号ですかね!?
薬師堂の右側にある本堂に行ってみました。
写真に納まらないので少し離れて撮ってみました。
本堂でお参りしてから、山号「瑞雲山」をアップで撮ってみました。
本堂の左手奥に、吾妻社があったので撮りに行ってみました。
本堂の横に、黒い屏風のようなものが置いてあったので撮ってみました。
傍に行ってみると、「本堂建設寄付者御芳名」の碑でした。
碑の横に、花が咲いている桜があったので撮ってみました。
珍しかったのでアップで撮ってみました。
本堂の後ろから、薬師堂の後ろに行ってみました。
薬師堂の裏に、駕籠のようなものが置いてあったので撮ってみました。
折角なので、アップで撮ってみましたが何でしょうね!?
薬師堂の後ろに、国指定重要文化財の千手観音立像(木彫)が保存されている収蔵庫がありました。
傍に、海老名郷土かるた「せ」の「千手観音 仁王が守る 清水寺」がありました。
薬師堂の横に戻って来たので、薬師堂を斜めから撮ってみました。
薬師堂の横に、ご覧のような客殿「瑞龍殿」があったので行ってみました。
取り敢えず、立派な扁額をアップで撮ってみました。
玄関先に、”箱根山椒バラ”の名札の付いている木がありました。
アップで撮ってみましたが、花が開いていないのでバラには見えません。
境内に、ご覧のような寶掌地蔵尊(?)があったので撮ってみました。
参道を戻って仁王門から外に出ることにしました。
仁王門を撮っていると、右側に庫裡や本堂に行ける参道があったので撮ってみました。
<弥生神社>
仁王門の右側に、弥生神社の矢印が出ていたので進むと、弥生神社の石段の上に出ました。
石段を下りると、石段の脇に御神籤を結び着けた柵のようなものがあったので撮ってみました。
境内にベンチがあったので一休みして社殿を撮ってみました。
ついでに、社殿の横をアップでも撮ってみました。
取り敢えず、社殿でお参りをしました。
社殿の左側に、境内社の蚕影神社(こかげじんじゃ)があったので行ってみました。
お参りはしましたが、「安産」と「子授け」に御利益があるようです。
ここからは、ご覧のような階段を下って降ります。
階段を下りると、階段脇に手水舎があったので撮ってみました。
又、右側の奥に、ご覧のような神楽殿(?)があったので撮ってみました。
手水舎と一緒に、下りて来た階段を撮ってみました。
この階段の下にも、別のご覧のような階段がありました。
どうやら、この階段を上ってお参りするのが、弥生神社の正式な参拝ルートみたいです。
弥生神社の鳥居があったので、振り返って撮ってみました。
ご覧のような長い(200m?)参道を通って県道407号線に向いました。
参道の出口に、海老名郷土かるた「や」の「弥生神社は 四つのむらの 鎮守様」がありました。
<相模国分尼寺跡>
県道を南に向かって暫く歩くと、フェンスに囲まれている相模国分尼寺跡がありましたが、入口が分かりません。
向かい側の鮮魚店の前に、標柱<庚申大権現入口>があったので横断歩道を渡ってみました。
道路を暫く進むと、小田急線の踏切の手前に国分尼寺跡の出入口(?)がありました。
尚、この道路も国分尼寺跡の中にあることが、帰りがけに分かりました。
寺院跡の真ん中に、説明案内板「相模国分尼寺跡(金堂跡)」がありました。
説明案内板に依ると、近年の発掘調査で、金堂跡の他に講堂跡や鐘楼の基壇の一部が確認され、その結果、中門・金堂・講堂が南北に並び、講堂の両側に経蔵と鐘楼がつく伽藍配置で、国分尼寺跡の規模は国分寺跡より一回り小さいことが分かったみたいです。
説明案内板の後ろに、庚申堂があったので行ってみました。
庚申堂で、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから堂内を撮らせて頂きました。
庚申堂の傍に、ご覧のような庚申塔があったので撮ってみました。
近くに、海老名郷土かるた「に」の「尼寺跡に 庚申塔と ひがん花」がありました。
庚申堂の手前に、国分尼寺金堂阯の碑があったので撮ってみました。
ついでに、碑の南側の寺院跡を撮ってみました。
折角なので、寺院跡の東側も撮ってみました。
国分尼寺跡の出入口から道路に出ると、向かい側の空き地に碑があったので行ってみました。
国分尼寺講堂阯の碑が建っていたので撮ってみました。
相模国分尼寺跡を後に、小田急線の踏切を渡って小田急海老名電車基地に向かいました。
<国分尼寺児童公園>
少し遠回りしましたが、相模国分尼寺跡からは15分程で尼寺交差点の手前にある国分尼寺児童公園に着きました。
公園で一休みして、尼寺交差点に向かいました。
<小田急海老名電車基地>
国分尼寺児童公園からは、5分程で尼寺交差点に着きました。
尼寺交差点から電車基地は見えますが、電車基地の入口までは更に5分程歩く必要があります。
イベント会場に着きましたが、ご覧のように多くの来場者がいました。
電車が停まっている場所に着くまでは、人の行列の後に付いて行くしかありません。
電車が停まっている場所に着くと、ご覧のような保守車両(?)が停っていたので撮ってみました。
線路を渡って、ロマンスカーの方に行ってみました。
定期運行を終了(7/10)したロマンスカーLSEが停まっていたので、先頭の方に行ってみることにしました。
LSEのボディと先頭車両を撮ってみましたが、先頭車両の前には大勢のカメラマンがいました。
取り敢えず、横から先頭車両を撮ってみました。
アップで撮ると、運転手昇降用のハシゴがハッキリ見えました。
LSEの先頭を撮っている人達がいましたが、私も回り込んで撮りに行ってみました。
強引に割り込んで、LSEの先頭を撮らせて頂きました。
滅多に電車基地に入ることがないので、線路を撮ってみました。
ここにも、ご覧のような保守車両が停まっていたので撮ってみました。
電車基地の出口に向かっていると、ロマンスカーEXEが遣ってきたのでアップで撮ってみました。
小田急海老名電車基地を後に、準備中で入れなかった中華料理店「玲鈴」に行って、遅い昼食を食べることにしました。
<玲鈴>
15時前だったのですが、店前の看板は営業中になっていました。
入口の写真を撮って店内に入ると、15時迄と言うことで断われてしまいました(アチャ!)。
仕方がないので、来る途中にあった中華料理店に入って遅い昼食を食べました。
今回の「海老名をぶらり(相模国分寺・龍峰寺・電車基地編)」は、小田急海老名電車基地は人が多くてあまり楽しめませんでしたが、相模国分寺跡は素晴らしさが再認識できて為になりました。
又、予定に入れてなかった龍峰寺に行けたのは楽しめて良かったです。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので16,000歩近くになっていました。
<かしわ台1号踏切>
相模国分寺跡を後に県道を10分程歩くと、相鉄線の「かしわ台1号踏切」に着きました。
踏切で待っていると、上りの相鉄線が遣って来たので撮ってみました。
上りの線路脇に、鉄ちゃんがいたので私も踏切を渡りながら線路を撮ってみました。
<龍峰寺に向かう>
踏切を渡ると、右側に案内<自然と歴史のさんぽみち>があって、500mで龍峰寺に着けそうなので行ってみることにしました。
案内に従って暫く進むと、また案内が出ていたので、それに従って左側の坂道を登ります。
坂道を登っていると、右側の藪の中にご覧のような石碑があったので撮ってみました。
⇒ ”源頼朝〇”と彫ってありそうですが、誰が難の目的で建てたのでしょうね!?
坂道は高台に続いているので、上の方に着くと見晴らしの良い場所がありそうです。
見晴らしの良い場所があったので行ってみましたが、残念ながら富士山は見えませんでした。
<清水寺公園(しみずでらこうえん)>
案内に出ていた清水寺公園に着きました。
公園の名前の由来は、かつてこの地に清水寺(せいすいじ)があったことみたいです。
園内に、ご覧のような観音様(?)が立っていました。
折角なので、お顔をアップで撮らせて頂きました。
道路の反対側に、ご覧のような長い滑り台があったので撮ってみました。
この滑り台は無料のようで、ご覧のような入口から登るみたいです。
公園には、ご覧のような池もありました。
又、戦争で戦死した兵士の記念碑も祀られていました。
<龍峰寺(りゅほうじ)>
清水寺公園の先に行くと、ご覧のような仁王門のある龍峰寺に着きました。
尚、清水寺と龍峰寺の関係は、龍峰寺がこの地に移って来たときに、龍峰寺の末寺だった清水寺は龍峰寺に併合されたみたいです。
入口に、龍峰寺境内伽藍配置図があったので撮ってみました。
傍に、ご覧のような実を付けた黒ガネモチがあったので撮ってみました。
取り敢えず、海老名市の重要文化財に指定されている仁王門を撮ってみました。
吽形(うんぎょう)像を撮りに行ったのですが、柱が邪魔していたのでお顔と足だけにしました。
ついでに、阿形(あぎょう)像も同じように撮ってみました。
仁王門の天井にあった寺紋(丸に笹竜胆、北条鱗)を撮ってみました。
宣伝のために「第21回やきもの百人展」のポスターも撮ってみました。
ご覧のような参道を通って、正面にある観音堂に向かいました。
参道の左側に、鐘楼があったので撮ってみました。
参道に、ご覧のような実が落ちていたので撮ってみました。
見上げると、大きな木にいろんな色の実が生っていましたが木の名前は分かりません。
”黒ろうばい”の名札が付いているロウバイがありましたが、黄色ではなく黒い花を咲かせるのですかね!?
「心洗」の扁額が掛かっている、水屋に着いたので撮ってみました。
水屋で一休みしてから、薬師堂に行ってみました。
薬師堂は、相模国分尼寺に縁のある古刹(こさつ)、旧清水寺の本堂で、現在は龍峰寺の仏殿として使われているみたいです。
尚、観音堂は海老名市の重要文化財に指定されています。
お参りしてから扁額を撮ってみましたが、「奥徳山」となっていたので旧清水寺の山号ですかね!?
薬師堂の右側にある本堂に行ってみました。
写真に納まらないので少し離れて撮ってみました。
本堂でお参りしてから、山号「瑞雲山」をアップで撮ってみました。
本堂の左手奥に、吾妻社があったので撮りに行ってみました。
本堂の横に、黒い屏風のようなものが置いてあったので撮ってみました。
傍に行ってみると、「本堂建設寄付者御芳名」の碑でした。
碑の横に、花が咲いている桜があったので撮ってみました。
珍しかったのでアップで撮ってみました。
本堂の後ろから、薬師堂の後ろに行ってみました。
薬師堂の裏に、駕籠のようなものが置いてあったので撮ってみました。
折角なので、アップで撮ってみましたが何でしょうね!?
薬師堂の後ろに、国指定重要文化財の千手観音立像(木彫)が保存されている収蔵庫がありました。
傍に、海老名郷土かるた「せ」の「千手観音 仁王が守る 清水寺」がありました。
薬師堂の横に戻って来たので、薬師堂を斜めから撮ってみました。
薬師堂の横に、ご覧のような客殿「瑞龍殿」があったので行ってみました。
取り敢えず、立派な扁額をアップで撮ってみました。
玄関先に、”箱根山椒バラ”の名札の付いている木がありました。
アップで撮ってみましたが、花が開いていないのでバラには見えません。
境内に、ご覧のような寶掌地蔵尊(?)があったので撮ってみました。
参道を戻って仁王門から外に出ることにしました。
仁王門を撮っていると、右側に庫裡や本堂に行ける参道があったので撮ってみました。
<弥生神社>
仁王門の右側に、弥生神社の矢印が出ていたので進むと、弥生神社の石段の上に出ました。
石段を下りると、石段の脇に御神籤を結び着けた柵のようなものがあったので撮ってみました。
境内にベンチがあったので一休みして社殿を撮ってみました。
ついでに、社殿の横をアップでも撮ってみました。
取り敢えず、社殿でお参りをしました。
社殿の左側に、境内社の蚕影神社(こかげじんじゃ)があったので行ってみました。
お参りはしましたが、「安産」と「子授け」に御利益があるようです。
ここからは、ご覧のような階段を下って降ります。
階段を下りると、階段脇に手水舎があったので撮ってみました。
又、右側の奥に、ご覧のような神楽殿(?)があったので撮ってみました。
手水舎と一緒に、下りて来た階段を撮ってみました。
この階段の下にも、別のご覧のような階段がありました。
どうやら、この階段を上ってお参りするのが、弥生神社の正式な参拝ルートみたいです。
弥生神社の鳥居があったので、振り返って撮ってみました。
ご覧のような長い(200m?)参道を通って県道407号線に向いました。
参道の出口に、海老名郷土かるた「や」の「弥生神社は 四つのむらの 鎮守様」がありました。
<相模国分尼寺跡>
県道を南に向かって暫く歩くと、フェンスに囲まれている相模国分尼寺跡がありましたが、入口が分かりません。
向かい側の鮮魚店の前に、標柱<庚申大権現入口>があったので横断歩道を渡ってみました。
道路を暫く進むと、小田急線の踏切の手前に国分尼寺跡の出入口(?)がありました。
尚、この道路も国分尼寺跡の中にあることが、帰りがけに分かりました。
寺院跡の真ん中に、説明案内板「相模国分尼寺跡(金堂跡)」がありました。
説明案内板に依ると、近年の発掘調査で、金堂跡の他に講堂跡や鐘楼の基壇の一部が確認され、その結果、中門・金堂・講堂が南北に並び、講堂の両側に経蔵と鐘楼がつく伽藍配置で、国分尼寺跡の規模は国分寺跡より一回り小さいことが分かったみたいです。
説明案内板の後ろに、庚申堂があったので行ってみました。
庚申堂で、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから堂内を撮らせて頂きました。
庚申堂の傍に、ご覧のような庚申塔があったので撮ってみました。
近くに、海老名郷土かるた「に」の「尼寺跡に 庚申塔と ひがん花」がありました。
庚申堂の手前に、国分尼寺金堂阯の碑があったので撮ってみました。
ついでに、碑の南側の寺院跡を撮ってみました。
折角なので、寺院跡の東側も撮ってみました。
国分尼寺跡の出入口から道路に出ると、向かい側の空き地に碑があったので行ってみました。
国分尼寺講堂阯の碑が建っていたので撮ってみました。
相模国分尼寺跡を後に、小田急線の踏切を渡って小田急海老名電車基地に向かいました。
<国分尼寺児童公園>
少し遠回りしましたが、相模国分尼寺跡からは15分程で尼寺交差点の手前にある国分尼寺児童公園に着きました。
公園で一休みして、尼寺交差点に向かいました。
<小田急海老名電車基地>
国分尼寺児童公園からは、5分程で尼寺交差点に着きました。
尼寺交差点から電車基地は見えますが、電車基地の入口までは更に5分程歩く必要があります。
イベント会場に着きましたが、ご覧のように多くの来場者がいました。
電車が停まっている場所に着くまでは、人の行列の後に付いて行くしかありません。
電車が停まっている場所に着くと、ご覧のような保守車両(?)が停っていたので撮ってみました。
線路を渡って、ロマンスカーの方に行ってみました。
定期運行を終了(7/10)したロマンスカーLSEが停まっていたので、先頭の方に行ってみることにしました。
LSEのボディと先頭車両を撮ってみましたが、先頭車両の前には大勢のカメラマンがいました。
取り敢えず、横から先頭車両を撮ってみました。
アップで撮ると、運転手昇降用のハシゴがハッキリ見えました。
LSEの先頭を撮っている人達がいましたが、私も回り込んで撮りに行ってみました。
強引に割り込んで、LSEの先頭を撮らせて頂きました。
滅多に電車基地に入ることがないので、線路を撮ってみました。
ここにも、ご覧のような保守車両が停まっていたので撮ってみました。
電車基地の出口に向かっていると、ロマンスカーEXEが遣ってきたのでアップで撮ってみました。
小田急海老名電車基地を後に、準備中で入れなかった中華料理店「玲鈴」に行って、遅い昼食を食べることにしました。
<玲鈴>
15時前だったのですが、店前の看板は営業中になっていました。
入口の写真を撮って店内に入ると、15時迄と言うことで断われてしまいました(アチャ!)。
仕方がないので、来る途中にあった中華料理店に入って遅い昼食を食べました。
今回の「海老名をぶらり(相模国分寺・龍峰寺・電車基地編)」は、小田急海老名電車基地は人が多くてあまり楽しめませんでしたが、相模国分寺跡は素晴らしさが再認識できて為になりました。
又、予定に入れてなかった龍峰寺に行けたのは楽しめて良かったです。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので16,000歩近くになっていました。
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