10月20日・21日は、小田急線海老名駅で「小田急ファミリー鉄道展2018」を開催していました。
折角なので、海老名を散策した後に第1会場(小田急海老名電車基地)に行ってみることにしました。
尚、歩くコースは次のようにしました。
ビナウォーク→相模国分寺→海老名の大ケヤキ→相模国分寺跡→相模国分尼寺跡→小田急海老名電車基地
ところで、海老名を散策するのは、2014年7月「海老名をぶらり」以来になります。
<ビナウォーク>
ビナウォークは、ハロウィンが近いのでご覧のような飾りをしていた。
第2会場には、ロマンスカー模型に乗る人達の長い行列が出来ていました。
取り敢えず、ロマンスカー模型を撮って先に行ってみました。
七重塔の傍に、ロマンスカーLSEのエアー遊具があったので撮ってみました。
折角なので、七重塔をアップで撮ってみました。
ビナウォークを後に、相模国分寺に向かいました。
<玲鈴(りんりん)>
交差点「中央公園入口」を左折(県道40号線)しないで間違えて直進してしまいました。
歩いていると中華料理店「玲鈴」があって、店前が珍しかったので行ってみました。
ご覧のような兵馬俑が展示されていたので撮ってみました。
兵馬俑の前には、ご覧のような半鐘(?)がありました。
奥に、ご覧のような観賞堂があったので見に行ってみました。
堂内に、ご覧のような亀蛇(?)がいたのでアップで撮ってみました。
店前に準備中の看板が出ていましたが、時間があれば帰りに寄ってみます。
玲鈴を撮って、県道40号線に向かいました。
<県道40号線に向かう>
海老名市立中学校(?)の駐車場に、競うように大きな木が聳えていたので撮ってみました。
県道40号線に着いたので、ご覧のような跨道橋を通って相模国分寺に向かいました。
<相模国分寺(さがみこくぶんじ)>
相模国分寺に着いたので本堂を撮ってみました。
取り敢えず、回向柱を左右に本堂を撮ってみました。
先ずは、本堂に行ってお参りをしました。
お参りしてから、本堂の向拝と扁額をアップで撮ってみました。
境内に、「尼の泣き水」と言われる如意輪観音と尼が祀られている東屋(?)がありました。
「尼の泣き水」は、漁師と恋に落ちた国分尼寺の尼僧が、国分寺のまぶしい輝きが元で付近の川魚が逃げてしまうとの訴えに、国分寺に火を付けてしまい、刑に処せられてしまいます。その後、不思議なことに、その場所から一滴二滴と湧き水が流れ出し、村人は尼さんが罪をわびて流している涙だと云って、その湧き水を「尼の泣き水」と呼んだと云われています。
折角なので、如意輪観音と尼をアップで撮ってみました。
又、近くに、海老名郷土かるた「わ」の「若き尼の 恋物語 尼の泣き水」がありました。
近くに、六地蔵尊が祀ってあったので撮ってみました。
庫裡の玄関に、ご覧のようなお坊さんが立っていたので撮ってみました。
国指定重要文化財の梵鐘があったので撮ってみました。
この梵鐘は、鎌倉時代の正応5年(1292)に鋳造されたものみたいです。
取り敢えず、梵鐘をアップで撮ってみました。
ここにも、海老名郷土かるた「つ」の「釣鐘は 国分季頼の 銘残す」がありました。
階段下の先の方に、「海老名の大ケヤキ」が見えたので撮ってみました。
相模国分寺の階段上り口にも、海老名郷土かるた「る」の「瑠璃光の 如来あらたか 薬師堂」がありました。
<海老名の大ケヤキ>
「海老名の大ケヤキ」に着いたので、下から大ケヤキを撮ってみました。
この大ケヤキは、根回り13.5m、目通り7.5m、樹高20mの神奈川県指定天然記念物です。
尚、目通りとは、木に人間が並んで立ったときの木の直径のことみたいです。
取り敢えず、「海老名の大ケヤキ」の根の回りをアップで撮ってみました。
ここにも、海老名郷土かるた「け」の「県央に さすが海老名の 大欅」がありました。
「海老名の大ケヤキ」の保護面を撮って、相模国分寺跡に向かいました。
<相模国分寺跡>
海老名郷土かるた「て」の「天平の 礎石が語る 国分寺」ある相模国分寺跡に着きました。
相模国分寺跡は、塔跡、金堂跡、中門跡、僧坊跡に分かれている国指定史跡です。
相模国分寺跡に上がると、ご覧のような回廊跡があって中程に中門跡がありました。
回廊は、塔と金堂を取り囲むように、中門と講堂(塔と金堂の中間線の北側の位置)を繋いでいます。
回廊の手前に、相模国分寺阯の碑があったので撮ってみました。
碑の左手奥に、金堂跡の小高い所があったのでアップで撮ってみました。
又、左手に塔跡が見えたので撮ってみました。
取り敢えず、金堂跡に行って相模国分寺遺蹟の碑を撮ってみました。
金堂跡の右の方に、秋の七草のオミナエシが咲いていたので撮りに行ってみました。
取り敢えず、オミナエシをアップで撮ってみました。
ついでに、カンナも咲いていたので撮ってみました。
塔跡を撮って近くに行ってみました。
この塔跡は、天平13(741)年の「国分寺建立詔」をうけて建てられた七重塔跡です。
基壇は一辺の長さが20.6m、高さは1.3mで、その上に七重塔を建て初重(1階)の広さは10.8m四方で、塔の高さは約65mあったと推定されています。
尚、ビナウォークの七重塔モニュメントは、この七重塔を1/3に縮小したものです。
相模国分寺跡の北側に、遺蹟を二分する道路があったので渡ってみました。
道路を渡ると、国分寺講堂跡の碑がありました。
どうやら、塔と金堂を取り囲んでいた回廊は、ここまで延びていたようです。
国分寺講堂跡の後にも、建物の敷地跡があったので行ってみました。
途中に、ご覧のような防火用水槽があったので撮ってみました。
建物の敷地跡に着いたので、西の方に行くと僧坊跡の説明案内板がありました。
説明案内板に依ると、僧坊は国分寺の僧が住んでいた建物で、「国分寺建立詔」では僧は20名が定員とされていたようです。
尚、1部屋の大きさは、桁行が約9.0m(30尺)、梁行が約6.57m(22尺)みたいです。
遺蹟を二分する道路脇に、国指定史跡の案内板に相模国分寺跡の復元図が載っていました。
相模国分寺跡の復元模型が、海老名市温故館に展示してあるので行ってみました。
<海老名市温故館>
取り敢えず、海老名市温故館を撮ってみました。
入口に、海老名市郷土資料館「海老名市温故館」(旧海老名村役場庁舎)の案内が出ていました。
ここにも、海老名郷土かるた「と」の「土器・石器・瓦や板碑 温故館」がありました。
展示室に、相模国分寺跡の復元模型が展示してあったので撮ってみました。
塔と金堂を取り囲んでいる回廊が、中門から講堂まで繋がっているのが分かります。
出土した奈良時代の平瓦と丸瓦が展示されていたので撮ってみました。
又、七重塔の水煙も出土・展示されていたので撮ってみました。
奈良~平安時代に似たような瓦が出土しているので、修復が何回か行われていたことが分かります。
海老名市柏ケ谷長ヲサ遺蹟では、旧石器時代のいろんな石器が出土しているのですね!
海老名市温故館を後に、相模国分寺跡を二分している道路に戻りました。
取り敢えず、道路の南側(塔跡、金堂跡、中門跡)を撮ってみました。
この道路から県道407号線に出て、相模国分尼寺跡に行ってみることにしました。
「海老名をぶらり(龍峰寺・電車基地編)」に続く。
折角なので、海老名を散策した後に第1会場(小田急海老名電車基地)に行ってみることにしました。
尚、歩くコースは次のようにしました。
ビナウォーク→相模国分寺→海老名の大ケヤキ→相模国分寺跡→相模国分尼寺跡→小田急海老名電車基地
ところで、海老名を散策するのは、2014年7月「海老名をぶらり」以来になります。
<ビナウォーク>
ビナウォークは、ハロウィンが近いのでご覧のような飾りをしていた。
第2会場には、ロマンスカー模型に乗る人達の長い行列が出来ていました。
取り敢えず、ロマンスカー模型を撮って先に行ってみました。
七重塔の傍に、ロマンスカーLSEのエアー遊具があったので撮ってみました。
折角なので、七重塔をアップで撮ってみました。
ビナウォークを後に、相模国分寺に向かいました。
<玲鈴(りんりん)>
交差点「中央公園入口」を左折(県道40号線)しないで間違えて直進してしまいました。
歩いていると中華料理店「玲鈴」があって、店前が珍しかったので行ってみました。
ご覧のような兵馬俑が展示されていたので撮ってみました。
兵馬俑の前には、ご覧のような半鐘(?)がありました。
奥に、ご覧のような観賞堂があったので見に行ってみました。
堂内に、ご覧のような亀蛇(?)がいたのでアップで撮ってみました。
店前に準備中の看板が出ていましたが、時間があれば帰りに寄ってみます。
玲鈴を撮って、県道40号線に向かいました。
<県道40号線に向かう>
海老名市立中学校(?)の駐車場に、競うように大きな木が聳えていたので撮ってみました。
県道40号線に着いたので、ご覧のような跨道橋を通って相模国分寺に向かいました。
<相模国分寺(さがみこくぶんじ)>
相模国分寺に着いたので本堂を撮ってみました。
取り敢えず、回向柱を左右に本堂を撮ってみました。
先ずは、本堂に行ってお参りをしました。
お参りしてから、本堂の向拝と扁額をアップで撮ってみました。
境内に、「尼の泣き水」と言われる如意輪観音と尼が祀られている東屋(?)がありました。
「尼の泣き水」は、漁師と恋に落ちた国分尼寺の尼僧が、国分寺のまぶしい輝きが元で付近の川魚が逃げてしまうとの訴えに、国分寺に火を付けてしまい、刑に処せられてしまいます。その後、不思議なことに、その場所から一滴二滴と湧き水が流れ出し、村人は尼さんが罪をわびて流している涙だと云って、その湧き水を「尼の泣き水」と呼んだと云われています。
折角なので、如意輪観音と尼をアップで撮ってみました。
又、近くに、海老名郷土かるた「わ」の「若き尼の 恋物語 尼の泣き水」がありました。
近くに、六地蔵尊が祀ってあったので撮ってみました。
庫裡の玄関に、ご覧のようなお坊さんが立っていたので撮ってみました。
国指定重要文化財の梵鐘があったので撮ってみました。
この梵鐘は、鎌倉時代の正応5年(1292)に鋳造されたものみたいです。
取り敢えず、梵鐘をアップで撮ってみました。
ここにも、海老名郷土かるた「つ」の「釣鐘は 国分季頼の 銘残す」がありました。
階段下の先の方に、「海老名の大ケヤキ」が見えたので撮ってみました。
相模国分寺の階段上り口にも、海老名郷土かるた「る」の「瑠璃光の 如来あらたか 薬師堂」がありました。
<海老名の大ケヤキ>
「海老名の大ケヤキ」に着いたので、下から大ケヤキを撮ってみました。
この大ケヤキは、根回り13.5m、目通り7.5m、樹高20mの神奈川県指定天然記念物です。
尚、目通りとは、木に人間が並んで立ったときの木の直径のことみたいです。
取り敢えず、「海老名の大ケヤキ」の根の回りをアップで撮ってみました。
ここにも、海老名郷土かるた「け」の「県央に さすが海老名の 大欅」がありました。
「海老名の大ケヤキ」の保護面を撮って、相模国分寺跡に向かいました。
<相模国分寺跡>
海老名郷土かるた「て」の「天平の 礎石が語る 国分寺」ある相模国分寺跡に着きました。
相模国分寺跡は、塔跡、金堂跡、中門跡、僧坊跡に分かれている国指定史跡です。
相模国分寺跡に上がると、ご覧のような回廊跡があって中程に中門跡がありました。
回廊は、塔と金堂を取り囲むように、中門と講堂(塔と金堂の中間線の北側の位置)を繋いでいます。
回廊の手前に、相模国分寺阯の碑があったので撮ってみました。
碑の左手奥に、金堂跡の小高い所があったのでアップで撮ってみました。
又、左手に塔跡が見えたので撮ってみました。
取り敢えず、金堂跡に行って相模国分寺遺蹟の碑を撮ってみました。
金堂跡の右の方に、秋の七草のオミナエシが咲いていたので撮りに行ってみました。
取り敢えず、オミナエシをアップで撮ってみました。
ついでに、カンナも咲いていたので撮ってみました。
塔跡を撮って近くに行ってみました。
この塔跡は、天平13(741)年の「国分寺建立詔」をうけて建てられた七重塔跡です。
基壇は一辺の長さが20.6m、高さは1.3mで、その上に七重塔を建て初重(1階)の広さは10.8m四方で、塔の高さは約65mあったと推定されています。
尚、ビナウォークの七重塔モニュメントは、この七重塔を1/3に縮小したものです。
相模国分寺跡の北側に、遺蹟を二分する道路があったので渡ってみました。
道路を渡ると、国分寺講堂跡の碑がありました。
どうやら、塔と金堂を取り囲んでいた回廊は、ここまで延びていたようです。
国分寺講堂跡の後にも、建物の敷地跡があったので行ってみました。
途中に、ご覧のような防火用水槽があったので撮ってみました。
建物の敷地跡に着いたので、西の方に行くと僧坊跡の説明案内板がありました。
説明案内板に依ると、僧坊は国分寺の僧が住んでいた建物で、「国分寺建立詔」では僧は20名が定員とされていたようです。
尚、1部屋の大きさは、桁行が約9.0m(30尺)、梁行が約6.57m(22尺)みたいです。
遺蹟を二分する道路脇に、国指定史跡の案内板に相模国分寺跡の復元図が載っていました。
相模国分寺跡の復元模型が、海老名市温故館に展示してあるので行ってみました。
<海老名市温故館>
取り敢えず、海老名市温故館を撮ってみました。
入口に、海老名市郷土資料館「海老名市温故館」(旧海老名村役場庁舎)の案内が出ていました。
ここにも、海老名郷土かるた「と」の「土器・石器・瓦や板碑 温故館」がありました。
展示室に、相模国分寺跡の復元模型が展示してあったので撮ってみました。
塔と金堂を取り囲んでいる回廊が、中門から講堂まで繋がっているのが分かります。
出土した奈良時代の平瓦と丸瓦が展示されていたので撮ってみました。
又、七重塔の水煙も出土・展示されていたので撮ってみました。
奈良~平安時代に似たような瓦が出土しているので、修復が何回か行われていたことが分かります。
海老名市柏ケ谷長ヲサ遺蹟では、旧石器時代のいろんな石器が出土しているのですね!
海老名市温故館を後に、相模国分寺跡を二分している道路に戻りました。
取り敢えず、道路の南側(塔跡、金堂跡、中門跡)を撮ってみました。
この道路から県道407号線に出て、相模国分尼寺跡に行ってみることにしました。
「海老名をぶらり(龍峰寺・電車基地編)」に続く。
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