飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

上野をぶらり(上野公園編)

2016年01月11日 | Weblog
 「上野をぶらり(寛永寺・浄名院編」から続く。

 寛永寺の表門からは東京芸大の敷地を左に見ながら上野公園を目指します。
 都道452号線を左折して、東京芸大の校舎を両側に見ながら暫く歩くと、「東京国立博物館」との交差点に出ました。

<東京芸大と東京国立博物館の交差点>

 交差点の近くに、ご覧のような案内矢印があったので行き先を確認しました。
 案内矢印には、右上から<100m 国際子ども図書館>、<850m JR鶯谷駅方面>、<250m 東京国立博物館>、<250m 噴水広場>等が載っていました。


 交差点の角に、ご覧のような西洋式建物があったので行ってみました。


 国会議事堂のような小さな建物ですが、「博物館動物園駅跡」の名板がありました。
 この建物は、昭和8(1933)年から平成9(1997)年まで使われていた京成本線の地下駅、博物館動物園駅の地上出入り口部分みたいでしたが、残念ながら中へは入れませんでした。


 向かい側にも西洋式建物があったので行ってみました。
 この建物は、平成14(2002)年に国の登録有形文化財に指定された「黒田記念館」です。


 入口を撮っていると、何か展示してあるようなので館内に入ってみました。
 黒田清輝の絵画が展示してありましたが、私が分かったのは「湖畔」と「風景(富士遠望)」だけでした。


 「黒田記念館」の並びにある「国際子ども図書館」にも行って見ましたが、残念ながらご覧のように工事中でした。

 「国際子ども図書館」の向かい側に、「東京国立博物館」の西門(通用口)があったのですが入れませんでした。
 仕方がないので、先程の交差点まで戻って正門に回ることにしました。


 交差点に戻って「東京国立博物館」を左に見ながら暫く歩くと、「旧因州池田屋敷表門(黒門)」がありました。
 説明板には、『・・・創建年代は明らかでないが、形式と手法からみて、江戸時代末期のものである。屋根は入母屋造、門の左右に向唐破風造の番所を備えており、大名屋敷表門としては最も格式が高い。昭和26年9月、重要文化財に指定。』と書いてありました。


 「東京国立博物館」の正門に着きました。
 特別展では『始皇帝と大兵馬俑』を遣っているようでしたが今回はスルーしました。
 取り敢えず、「東京国立博物館」の本館を撮って、道路の向かい側にある「噴水広場」に行ってみました。


 「上野恩賜公園案内図」に依ると、JR上野駅の公園口側にある「東京国立博物館」を含めた広大な敷地(約53.5ha)が上野公園であることが分かりました。
 取り敢えず、「上野動物園(東園)」の傍にある「上野東照宮」を目指します。


 遠くに東京スカイツリーが見えたのでアップで撮ってみました。


 公園内から先程の「黒門」が真正面に見えたのでドーム屋根と一緒に撮ってみました。
 このドーム屋根の建物は、「東京国立博物館」にある美術館の「表慶館」です。


 公園の西の方に行ってみると「旧東京音楽学校泰楽堂」がありました。


 「泰楽堂」を正面から撮ってみましたが、現在は保存修理工事で休館していました。


 公園の西側に行き過ぎたので、「噴水広場」に戻ることにしました。
 途中に、「ボードワン博士像」があったので撮ってみました。
 ボードワン博士は、明治政府に上野公園造りを提言した軍医みたいですよ!


 「噴水広場」に着いたので、広場から「東京国立博物館」の本館を撮ってみました。


 運良く噴水が噴き出したのでアップでも撮ってみました。

 公園内の「さくら通り」に向かって暫く歩くと、「ばたん苑」の案内が出ていました(ホッ!)。
 

 「ばたん苑」に行く道の手前に、「小松宮彰仁親王銅像」がありました。
 説明板には、『小松宮彰仁親王は、幕末の鳥羽・伏見の戦いや戊辰戦争に参戦し、後に、西南戦争の負傷者救護団体としての博愛社(後の日本赤十字社)が創立されると総長に就任し、赤十字社活動の発展に貢献した。』と書いてありました。

<上野東照宮>

 道なりに暫く歩くと、「上野東照宮」の大石鳥居と山門が見えてきました。


 大石鳥居は、国指定重要文化財で、関東大震災の際にも傾かなかったと言われています。




 由緒ある山門なのか(?)、写真を撮っている人達がいたので私もアップで撮ってみました。


 山門をくぐると左側に「ばたん苑」の入口がありました。
 入苑料の案内はなかったのですが、小田急ポイントカードを見せると100円引きの600円になりました(何となく得した感じがしますね!?)。
 入口に番傘を差した牡丹があったので撮ってみました。




 「ばたん苑」の牡丹には、ご覧のような雪よけのわら帽子があるので、写真撮影はかなり難しいです。

 取り敢えず、苑内を散策しながら気に入った牡丹を撮ってみましたが、10種類位の牡丹はありそうです。


 こちらの牡丹には「八千代椿」の名が付いていましたが、牡丹なのに椿とは妙な感じがしますが・・・


 「聖代」の名が付いた牡丹があったのでアップで撮ってみました。


 こちらの牡丹には「島錦」の名が付いていました。


 別の場所にも「八千代椿」があったので、こちらはアップで撮ってみました。


 「黄冠」の名が付いた素晴らしい色の牡丹があったのでアップで撮ってみました。


 こちらの牡丹には「島大臣」の名が付いていました。


 「ばたん苑」の出口近くにある日本庭園に着きました。


 日本庭園から「五重塔」が見えたので撮ってみました。


 ついでに、「五重塔」をアップで撮ってみました。


 「ばたん苑」は、ご覧のような出口から出ますが、旅館の風呂場の暖簾のような感じがしますね!?


 出口を出ると左手に、国指定重要文化財の「唐門」がありました。


 柱内外の四額面には、左甚五郎作の「昇り龍・降り龍」の彫刻があるので撮ってみました。
 右側の龍の頭が下を向いているのでこちらが「昇り龍」ですかね!?


 ついでに、国指定重要文化財の「透塀」もアップで撮ってみましたが、「社殿」はこの奥にあります。


 帰りがけに、「神楽殿」を撮って「上野東照宮」を後にしました。

<JR上野駅に向かう>

 「大石鳥居」をくぐって右に行くと、ご覧のような大きな灯篭がありました。
 燈籠の大きさは、高さは約6m、笠石の周囲は約3.3mと巨大で「お化け燈籠」と呼ばれているようです。


 「お化け燈籠」の後ろの小さな丘に、寛永寺の「上野大仏」があったので行ってみました。
 丘を登ると、正面に大仏パゴダの仏塔がありましたが、内部は撮影禁止になっていました。


 パゴダにお参りしてから左手を見ると、ご覧のような顔面部だけの大仏様がいました。
 説明板には、『17世紀に建立された大仏様は、大正12(1923)年の関東大震災で頭部が落下、昭和15(1940)年には戦況の悪化による金属供出令で顔面をのぞく頭部、胴体が軍に供出されてしまい、その後、昭和47(1972)年に、寛永寺に保管されていた顔面部がレリーフとして安置され現在のお姿となった。』と書いてありました。


 「上野大仏」の近くに、寛永寺の「時の鐘」があったので行ってみました。
 現在の鐘は、天明7(1787)年に鋳造され、現在も午前・午後6時と正午に撞かれているみたいです。
 

 素晴らしい紅葉と一緒に「時の鐘」を撮ってみました。


 「さくら通り」に戻ると、左の丘の上に指定重要文化財の「清水観音堂」がありました。
 江戸時代の浮世絵師の歌川広重が「名所江戸百景」で描いた「月の松」が復元されていました。


 「清水観音堂」にお参りしてから、「名所江戸百景」と同じような位置から「月の松」を撮ってみましたが、広重が描いた「月の松」とは大分違っているような感じがするのですが・・・


 お腹も大分空いて来たので食事処を探していたら「西郷隆盛銅像」まで来てしまいました。

 上野公園内には適当な食事処がなかったので、公園の外に出て飲みながら遅い昼食を取りましたが、かなり飲んでしまったので今日はそのまま帰ることにしました。

 今回の「上野をぶらり」は、寛永寺と浄名院は比較的ゆっくり回れましたが、上野公園については、「ぼたん苑」はそれなりに満足していますが、他の場所は見る所が多過ぎるのか(?)何となく消化不良気味です。
 次に、上野公園に来る機会が有ったらいろんな所をじっくり回ってみたいと思っています。
 尚、万歩計は12,000歩を越える程度でした。

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