1月6日(土)は、神奈川県藤沢市内の寺社を巡る「相州村岡七福神めぐり」をしてみました。
「七福神めぐり」は、藤沢駅から一番遠そうな「柄沢神社」へバスで行って、次のように巡ることにしました。
藤沢駅北口ー(バス)ー柄沢神社(恵比須神)ー渡内日枝神社(弁財天)ー高谷大神宮(大黒天)ー小塚荒神社(布袋尊)ー弥勒寺(毘沙門天)ー宮前御霊神社(寿老人)ー川名御霊神社(福禄寿)ー藤沢駅南口
藤沢駅北口から神奈中バス(2便程度/時)に乗ると、10分程でバス停「柄沢神社入口」に着きました。
<柄沢神社(からさわじんじゃ):恵比須神>
バス停から住宅地を右(東)の方に5分程歩くと、柄沢神社の境内に鳥居がありました。
境内の入り口の両側に、ご覧のような石造物があったので撮ってみました。
境内に入って鳥居を撮ってみました。
参道の右側には、ご覧のような手水舎がありました。
折角なので、近くに行って手水石を撮ってみました。
左側に、鐘楼があったので撮ってみました。
鐘楼の前に、石碑「柄澤神社由緒」があったので撮ってみました。
石碑に依ると、柄沢神社は創立は不詳ですが、建久4年(1193)に、右大将の源頼朝が武州入間川に狩り行く途中で参拝したと記されていました。
社殿に行ってお参りすることにしました。
取り敢えず、社殿をアップで撮ってみました。
折角なので、向拝の龍の彫り物を倍率を上げて撮ってみました。
お参りしてから扁額「柄澤神社」を撮ってみました。
手水舎の後に、恵比寿神が祀られていたので行ってみました。
取り敢えず、恵比寿神を撮ってみました。
近くに、御神木があったので撮ってみました。
境内の端に、「村岡ふるさとマップ」があったので現在地(中央上)を確認しました。
柄沢神社を後に、東側の道路に出て県道302号線に向いました。
歩き始めると、路傍に道祖神(?)が祀られていたので撮ってみました。
<隆昌院(りゅうしょういん)>
道路(柄沢線?)を暫く下ると、右側に隆昌院のお墓に行ける入り口がありました。
お墓に行くと、本堂の屋根が見えたのでアップで撮ってみました。
折角なので、お墓の脇を通って本堂に行ってみました。
本堂の前に着いたので、転輪蔵(回転式のお経)を回してお参りをしました。
お参りしてから扁額「隆昌院」を撮ってみました。
尚、隆昌院は元禄16年(1703)に創立され「柄沢の鬼子母神」と呼ばれいます。
本堂の上から、本来の参道階段を撮ってみました。
本堂からは、再び、お墓の脇を通って道路に戻りました。
道路を暫く歩くと、県道302号線との交差点に着きました。
次の七福神は、弁財天が祀られている渡内日枝神社なので大船方面に行ってみました。
<慈眼寺(じげんじ)>
交差点「村岡消防出張所前」から暫く歩くと、慈眼寺があったので行ってみました。
石段の左側に、ご覧のような石造物があったので撮ってみました。
石造物の後に、小僧さんが祀られている参道(?)がありました。
参道は、石段の途中までだったので上るのは止めました。
急な石段を上って山門に向いました。
山門の前に着いたので、立派な山門を撮ってみました。
山門に見事な立体彫りの彫刻があったので撮ってみました。
又、山門に山号の扁額「無量山」が掛かっていたのでアップで撮ってみました。
山門の左側に、案内板「平 氏満の墓」があったので撮ってみました。
案内板には、「坂戸町(現在の藤沢本町)の旅龍小松屋の隠居。歌名を旦上平氏満という。詩歌を好み、・・・」と出ていました。
山門をくぐると、ご覧のような古木があったのでアップで撮ってみました。
手前に、案内板「藤沢市指定文化財(天然記念物) 混成樹(寄り木)」があったので撮ってみました。
案内板に依ると、モチノキ、タブノキ、シイノキの根八株が互いに密着し、一本の木のように見える混成樹で樹齢300年以上あるみたいです。
取り敢えず、境内に行ってみることにしました。
右側に、本堂があったのでお参りすることにしました。
お参りしてから扁額「慈眼寺」を撮ってみました。
慈眼寺は、曹洞宗のお寺で、創建は天文年間(1532~1555年)、開基は北条綱成、開山は韓嶺和尚、ご本尊は木造十一面観音菩薩像です。
境内には鐘楼がない梵鐘が置いてありました。
梵鐘をアップで撮ってみましたが、鐘楼がない理由は分かりません。
土塀側に、ご覧のような石柱があったので撮ってみました。
近くに、案内パネル「地球上の生命を生み 育んできた青海原」があったので撮ってみました。
案内パネルには、「3015枚の瓦で描いた青海原の中央の石柱には、十一面観音を象徴する種字が刻み込まれています・・・」と記されていました。
本堂の手前に戻って来ると、本堂の右側に「お腰さま 貼り仏」と奥に半鐘がありました。
取り敢えず、「お腰さま 貼り仏」をアップで撮ってみました。
ついでに、奥にあった半鐘を撮ってみました。
混成樹の前に戻って来たので別角度から撮ってみました。
混成樹の後に、二百観音霊場巡拝供養塔があったので撮ってみました。
この供養塔は、西国三十三所・坂東三十三所・秩父三十四所・三浦三十三所・鎌倉郡三十三所・武州金沢三十四所の巡拝で得た功徳を人々に施すものです。
反対側から山門を撮って県道302号線に戻りました。
七福神巡りを始めてから1ヶ所しか巡っていないのに約1時間掛かっていました。
ここからはあまり寄り道をしないで、次の「渡内日枝神社」に行くことにしました。
県道302号線を大船方面に5分程歩くと交差点「渡内(わたうち)」に着きました。
<渡内日枝神社(わたうちひえじんじゃ):弁財天>
交差点「渡内」から住宅地の中を東南方向に10分程歩くと、渡内日枝神社の裏側に着きました。
神社の横に行くと、鳥居があったので社殿に行ってみました。
社殿に扁額「渡内日枝神社」が掛かっていたので撮ってみました。
取り敢えず、社殿でお参りをしました。
社殿の左側にあった境内に行くと、弁財天が祀られていました。
取り敢えず、弁財天をアップで撮ってみました。
弁財天の案内板があったので撮ってみました。
案内板には「藤沢市の東部に位置する村岡地区(七地区)の歴史をたどると、古事記に縁があると云われます。・・・」と記されていました。
境内に、桜のような木があったのでアップで撮ってみました。
又、ご覧のような石祠があったので撮ってみました。
社殿から参道石段にあった鳥居を撮ってみました。
折角なので、石段から社殿を撮ってみました。
石段の踊り場に着いたので、振り返って社殿を撮ってみました。
右側に、案内板「日枝神社の由来」があったので撮ってみました。
案内板には「渡内の日枝神社は渡内の鎮守となっておりますが、発祥は裏山の台地宮山に平良文が京都より延長年間(923〜940)宅の守護神として日吉山王大権現(大山咋命)を勧請したと伝えられています。・・・」と記されていました。
奥に、周辺にあった石祠が並べられていたので撮ってみました。
石段の下に着いたので、社殿をバックに鳥居を撮ってみました。
右側に、ご覧のような石造物があったので撮ってみました。
次の高谷大神宮は村岡226号線沿いにあるので、渡内地区の住宅地の中を歩いて南の方に行ってみました。
村岡226号線を5分程南下すると、ご覧のような石塔群がありました。
取り敢えず、石塔群を正面から撮ってみました。
石塔群の左側に、案内柱<➡ 高谷大神宮 200m>が出ていました(ホッ!)。
先に行ってみましたが、山(?)の上に神社の屋根は見えますが入り口は分かりません。
<高谷大神宮(たかやだいじんぐう):大黒天>
回り込むように先に行くと、住宅の路地の奥に高谷大神宮の鳥居がありました。
鳥居の先には、ご覧のような急な石段がありました。
立派な石の鳥居をアップで撮ってみました。
鳥居には扁額「大神宮」が掛かっていました。
取り敢えず、これから上る急な石段を撮ってみました。
石段の途中で、社殿をアップ撮ってみました。
石段の上の方に着いたので社殿を撮ってみましたが、木々が生茂っているので全体は撮れません。
石段の上に着いたので、社殿の前にあった狛犬を撮ってみました。
社殿の前は狭く、全体が取れないので社殿の屋根を撮ってみました。
取り敢えず、社殿でお参りをしました。
お参りを済ませたので、社殿の右側に行ってみました。
ご覧のような石碑「高谷大神宮」があったので撮ってみました。
石碑には、「祭神天照大御神 創立慶安3年(1650)当時高谷部落約十軒の農民が五穀豊穣と郷土の安穏を祈念し建立・・・」と記されていました。
左側に、稲荷神社があったので撮ってみました。
奥に大黒天が祀られていたのでアップで撮ってみました。
高谷大神宮は小さな山の上にあるので見晴は良さそうです。
境内を一回りしたので、これから下りる急な石段を撮ってみました。
次は小塚荒神社に行くので、石塔群に戻って村岡259号線を経由して県道312号線(田谷藤沢線)に向いました。
村岡259号線を歩いていると、左側に高谷第2公園があったので一休みしました。
公園から5分程歩くと、県道312号線(田谷藤沢線)の下にある交差点「弥勒寺高架下」に着きました。
取り敢えず、高架下を通って藤沢方面に行ってみました。
<小塚荒神社(こつかこうじんしゃ):布袋尊>
高架下を暫く歩くと、荒神社の社殿の裏に着きました。
取り敢えず、正面に回って社殿を撮ってみました。
社殿の扁額「荒神社」を撮ってお参りをしました。
社殿の左側に、布袋尊が祀られていたのでアップで撮ってみました。
折角なので、荒神社の正規の入り口に行ってみました。
標柱の左側に、朽ちたお祭り用の山車(?)があったので撮ってみました。
参道の先に鳥居が見えたので撮ってみました。
参道の右側に、大正12年9月1日震災(関東大震災)の碑がありました。
鳥居の前に着いたので撮ってみました。
再び、社殿の前に遣って来たので社殿を撮ってみました。
社殿の左側には、白いフワフワした花穂を付けたススキがありました。
取り敢えず、倍率を上げて撮ってみました。
折角なので、高架下に行って素晴らしいススキを近くで撮ることにしました。
素晴らしいススキをアップで撮ってみました。
更に、倍率を上げて撮ってみました。
小塚荒神社を後に、高架下の道路に戻り藤沢方面に行ってみました。
高架下の道路の先に行くと、左側の奥に、垂直な岩壁があったので撮ってみました。
別角度から、垂直な岩壁を撮ってみました。
折角なので、近くに行って岩壁を撮ってみました。
岩壁の上に、建物(?)があったのでアップで撮ってみました。
<弥勒寺(みろくじ):毘沙門天>
岩壁から先に行くと、弥勒寺の本堂の横に出ました。
取り敢えず、本堂の正面に行ってみました。
扁額「弥勒寺」が掛かっている本堂の向拝を撮ってみました。
お参りしてから、扁額「弥勒寺」を倍率を上げて撮ってみました。
七福神の毘沙門天を探しに本堂の右側に行ってみました。
ご覧のような石段があったので上に行ってみました。
石段を上っていると上の方にお堂(?)が見えたので撮ってみました。
上に着くと、扁額が掛かっている弥勒堂がありました。
取り敢えず、扁額を撮ってお参りをしました。
弥勒堂の右側に、七福神の毘沙門天が祀られていたのでアップで撮ってみました。
弥勒堂の後に行くと、県道312号線の高架が見えたのでアップで撮ってみました。
若しかしたら、岩壁の上に見えた建物は弥勒堂だったのかもね!?
弥勒堂を後に、本堂の前に戻って来ました。
本堂の前に、立派なイヌマキ(犬槇?)があったので撮ってみました。
本堂を後に、本堂の前にある参道を通って山門に向いました。
山門には、「南無妙法蓮華経」と彫られている標柱がありました。
山門をアップで撮って弥勒寺を後にしました。
次は、東海道線を越えて寿老人が祀られている「宮前御霊神社」に行ってみます。
<弥勒寺歩道橋>
弥勒寺の山門の前の道路を歩いて田谷藤沢線の高架下に戻りました。
高架下に着きましたが、東海道線を越える箇所が分かりません。
Googleマップの進行方向がちゃんと表示されなかったので、辺りをウロウロしてしましました。
高架下に、ご覧のような歩道橋上り口があったので行ってみました。
歩道橋から下は見えませんが、東海道線は越えられるようでした。
歩道橋を渡って下に行くと、高架下の柱の奥に東海道線の線路が見えました(ホッ!)。
踊り場から、東海道線の下り方面が見えたので撮ってみました。
東海道線の線路を撮っていると、下りの電車が遣って来たので撮ってみました。
東海道線を越えて高架下に着いたので撮ってみました。
<宮前御霊神社(みやまえごりょうじんじゃ):寿老人>
県道(村岡304号線)に出て道なりに15分程歩くと、四つ角の手前に「村岡ふるさとマップ」がありました。
「村岡ふるさとマップ」で現在地(やや右下)を確認しました。
四つ角を左(北東)に行くと、宮前御霊神社があるみたいです(ホッ!)。
四つ角に着くと、左の方に御霊神社の鳥居が見えました。
参道(?)の先に行くと、右側に稲荷神社があったので行ってみました。
二重鳥居を倍率を上げて撮ってみましたが、どうして二重になっているのでしょうね!?
折角なので、アップで撮って参道に戻りました。
鳥居に着いたのでアップで撮ってみました。
取り敢えず、扁額「御霊神社」をアップで撮ってみました。
鳥居の右側に、御神木のタブノキ(椨の木)があったので撮ってみました。
タブノキの案内板には、幹回りは5.21mと出ていました。
折角なので、幹空洞があるタブノキをアップで撮ってみました。
鳥居をくぐると、ご覧のような手水場があったのでアップで撮ってみました。
手水場の先に行くと、左側に神輿殿や神楽殿があったので撮ってみました。
参道の先には、急な石段があって、上り口には石碑「御霊神社」がありました。
折角なので、石碑を倍率を上げて撮ってみました。
石段の下に行って、これから上る石段を撮ってみました。
石段の下に、ご覧のような狛犬がいたので撮ってみました。
右側の狛犬の後に、御霊神社の由緒碑があったので撮ってみました。
男坂の急な石段を上って上に行ってみました。
尚、石段の右側には、女坂がありましたが帰りに下りることにしました。
石段の上に着くと、正面に社殿があったので撮ってみました。
取り敢えず、由緒ありそうな社殿に行ってお参りをしました。
お参りしてから社殿の内部を撮らせて頂きましたが、お供え物(鏡餅?)があるだけでした。
上に、扁額「村岡神社」が掛かっていたので撮ってみました。
お参りを済ませたので、上って来た石段を撮ってみました。
社殿の右側には、七福神の寿老人が祀られていました。
折角なので、寿老人をアップで撮ってみました。
ご覧のような絵馬堂があったので撮ってみました。
社殿の左側に、七面宮があったので撮ってみました。
近くに、案内板「兜山七面宮」と石碑「折笹矢竹稲荷大明神と兜松」の案内があったので撮ってみました。
尚、詳しいことは分かりませんでした。
折角なので、折笹矢竹稲荷大明神をアップで撮ってみました。
境内を一回りしたので、社殿を撮って女坂に行ってみました。
女坂と云っても、なだらかな坂道ではありませんでした。
下に着くと、確かに女坂(右)の案内がありました。
女坂の下から、ご覧のような大樹が見えたので撮ってみました。
石段右側の石灯籠の奥に、ピンク色の花を付けた梅のような木がありました。
取り敢えず、倍率を上げて撮ってみました。
宮前御霊神社の入り口に戻って来たので、振り返って歩いて来た参道を撮ってみました。
近くに、案内板「大門」があったので撮ってみました。
案内板には、「この一帯を通称大門町と呼んでいる・・・」と出ていました。
時間が14時近くになっていたので、何処で昼食を食べることにしました。
四つ角から県道(村岡399号線)を経由して、食事処がありそうなバス通りに行ってみました。
食事処を探しながらバス通りを歩いていると、藤沢駅行の江ノ電バスが遣って来ました。
バス通りには食事処がなさそうなので、バスに乗って藤沢駅に行くことにしました。
バスに乗ると5分程で藤沢駅南口に着いたので、馴染みの居酒屋に行って遅い昼食を取りました。
居酒屋で飲んでしまったので、残りの福禄寿が祀られている川名御霊神社に行くのは止めました。
今回の「相州村岡七福神めぐり」は、歩き始めて4時間弱掛かっていましたが完遂は出来ませんでした。
川名御霊神社に行けなかったので、幸福・財宝・長寿の御利益を得るのは難しいかも知れませんね!
なるべく早く川名御霊神社に行ってみるつもりです。
尚、万歩計は24,000歩を超えていました。
「相州村岡七福神めぐり(川名御霊神社編)」に続く。
「七福神めぐり」は、藤沢駅から一番遠そうな「柄沢神社」へバスで行って、次のように巡ることにしました。
藤沢駅北口ー(バス)ー柄沢神社(恵比須神)ー渡内日枝神社(弁財天)ー高谷大神宮(大黒天)ー小塚荒神社(布袋尊)ー弥勒寺(毘沙門天)ー宮前御霊神社(寿老人)ー川名御霊神社(福禄寿)ー藤沢駅南口
藤沢駅北口から神奈中バス(2便程度/時)に乗ると、10分程でバス停「柄沢神社入口」に着きました。
<柄沢神社(からさわじんじゃ):恵比須神>
バス停から住宅地を右(東)の方に5分程歩くと、柄沢神社の境内に鳥居がありました。
境内の入り口の両側に、ご覧のような石造物があったので撮ってみました。
境内に入って鳥居を撮ってみました。
参道の右側には、ご覧のような手水舎がありました。
折角なので、近くに行って手水石を撮ってみました。
左側に、鐘楼があったので撮ってみました。
鐘楼の前に、石碑「柄澤神社由緒」があったので撮ってみました。
石碑に依ると、柄沢神社は創立は不詳ですが、建久4年(1193)に、右大将の源頼朝が武州入間川に狩り行く途中で参拝したと記されていました。
社殿に行ってお参りすることにしました。
取り敢えず、社殿をアップで撮ってみました。
折角なので、向拝の龍の彫り物を倍率を上げて撮ってみました。
お参りしてから扁額「柄澤神社」を撮ってみました。
手水舎の後に、恵比寿神が祀られていたので行ってみました。
取り敢えず、恵比寿神を撮ってみました。
近くに、御神木があったので撮ってみました。
境内の端に、「村岡ふるさとマップ」があったので現在地(中央上)を確認しました。
柄沢神社を後に、東側の道路に出て県道302号線に向いました。
歩き始めると、路傍に道祖神(?)が祀られていたので撮ってみました。
<隆昌院(りゅうしょういん)>
道路(柄沢線?)を暫く下ると、右側に隆昌院のお墓に行ける入り口がありました。
お墓に行くと、本堂の屋根が見えたのでアップで撮ってみました。
折角なので、お墓の脇を通って本堂に行ってみました。
本堂の前に着いたので、転輪蔵(回転式のお経)を回してお参りをしました。
お参りしてから扁額「隆昌院」を撮ってみました。
尚、隆昌院は元禄16年(1703)に創立され「柄沢の鬼子母神」と呼ばれいます。
本堂の上から、本来の参道階段を撮ってみました。
本堂からは、再び、お墓の脇を通って道路に戻りました。
道路を暫く歩くと、県道302号線との交差点に着きました。
次の七福神は、弁財天が祀られている渡内日枝神社なので大船方面に行ってみました。
<慈眼寺(じげんじ)>
交差点「村岡消防出張所前」から暫く歩くと、慈眼寺があったので行ってみました。
石段の左側に、ご覧のような石造物があったので撮ってみました。
石造物の後に、小僧さんが祀られている参道(?)がありました。
参道は、石段の途中までだったので上るのは止めました。
急な石段を上って山門に向いました。
山門の前に着いたので、立派な山門を撮ってみました。
山門に見事な立体彫りの彫刻があったので撮ってみました。
又、山門に山号の扁額「無量山」が掛かっていたのでアップで撮ってみました。
山門の左側に、案内板「平 氏満の墓」があったので撮ってみました。
案内板には、「坂戸町(現在の藤沢本町)の旅龍小松屋の隠居。歌名を旦上平氏満という。詩歌を好み、・・・」と出ていました。
山門をくぐると、ご覧のような古木があったのでアップで撮ってみました。
手前に、案内板「藤沢市指定文化財(天然記念物) 混成樹(寄り木)」があったので撮ってみました。
案内板に依ると、モチノキ、タブノキ、シイノキの根八株が互いに密着し、一本の木のように見える混成樹で樹齢300年以上あるみたいです。
取り敢えず、境内に行ってみることにしました。
右側に、本堂があったのでお参りすることにしました。
お参りしてから扁額「慈眼寺」を撮ってみました。
慈眼寺は、曹洞宗のお寺で、創建は天文年間(1532~1555年)、開基は北条綱成、開山は韓嶺和尚、ご本尊は木造十一面観音菩薩像です。
境内には鐘楼がない梵鐘が置いてありました。
梵鐘をアップで撮ってみましたが、鐘楼がない理由は分かりません。
土塀側に、ご覧のような石柱があったので撮ってみました。
近くに、案内パネル「地球上の生命を生み 育んできた青海原」があったので撮ってみました。
案内パネルには、「3015枚の瓦で描いた青海原の中央の石柱には、十一面観音を象徴する種字が刻み込まれています・・・」と記されていました。
本堂の手前に戻って来ると、本堂の右側に「お腰さま 貼り仏」と奥に半鐘がありました。
取り敢えず、「お腰さま 貼り仏」をアップで撮ってみました。
ついでに、奥にあった半鐘を撮ってみました。
混成樹の前に戻って来たので別角度から撮ってみました。
混成樹の後に、二百観音霊場巡拝供養塔があったので撮ってみました。
この供養塔は、西国三十三所・坂東三十三所・秩父三十四所・三浦三十三所・鎌倉郡三十三所・武州金沢三十四所の巡拝で得た功徳を人々に施すものです。
反対側から山門を撮って県道302号線に戻りました。
七福神巡りを始めてから1ヶ所しか巡っていないのに約1時間掛かっていました。
ここからはあまり寄り道をしないで、次の「渡内日枝神社」に行くことにしました。
県道302号線を大船方面に5分程歩くと交差点「渡内(わたうち)」に着きました。
<渡内日枝神社(わたうちひえじんじゃ):弁財天>
交差点「渡内」から住宅地の中を東南方向に10分程歩くと、渡内日枝神社の裏側に着きました。
神社の横に行くと、鳥居があったので社殿に行ってみました。
社殿に扁額「渡内日枝神社」が掛かっていたので撮ってみました。
取り敢えず、社殿でお参りをしました。
社殿の左側にあった境内に行くと、弁財天が祀られていました。
取り敢えず、弁財天をアップで撮ってみました。
弁財天の案内板があったので撮ってみました。
案内板には「藤沢市の東部に位置する村岡地区(七地区)の歴史をたどると、古事記に縁があると云われます。・・・」と記されていました。
境内に、桜のような木があったのでアップで撮ってみました。
又、ご覧のような石祠があったので撮ってみました。
社殿から参道石段にあった鳥居を撮ってみました。
折角なので、石段から社殿を撮ってみました。
石段の踊り場に着いたので、振り返って社殿を撮ってみました。
右側に、案内板「日枝神社の由来」があったので撮ってみました。
案内板には「渡内の日枝神社は渡内の鎮守となっておりますが、発祥は裏山の台地宮山に平良文が京都より延長年間(923〜940)宅の守護神として日吉山王大権現(大山咋命)を勧請したと伝えられています。・・・」と記されていました。
奥に、周辺にあった石祠が並べられていたので撮ってみました。
石段の下に着いたので、社殿をバックに鳥居を撮ってみました。
右側に、ご覧のような石造物があったので撮ってみました。
次の高谷大神宮は村岡226号線沿いにあるので、渡内地区の住宅地の中を歩いて南の方に行ってみました。
村岡226号線を5分程南下すると、ご覧のような石塔群がありました。
取り敢えず、石塔群を正面から撮ってみました。
石塔群の左側に、案内柱<➡ 高谷大神宮 200m>が出ていました(ホッ!)。
先に行ってみましたが、山(?)の上に神社の屋根は見えますが入り口は分かりません。
<高谷大神宮(たかやだいじんぐう):大黒天>
回り込むように先に行くと、住宅の路地の奥に高谷大神宮の鳥居がありました。
鳥居の先には、ご覧のような急な石段がありました。
立派な石の鳥居をアップで撮ってみました。
鳥居には扁額「大神宮」が掛かっていました。
取り敢えず、これから上る急な石段を撮ってみました。
石段の途中で、社殿をアップ撮ってみました。
石段の上の方に着いたので社殿を撮ってみましたが、木々が生茂っているので全体は撮れません。
石段の上に着いたので、社殿の前にあった狛犬を撮ってみました。
社殿の前は狭く、全体が取れないので社殿の屋根を撮ってみました。
取り敢えず、社殿でお参りをしました。
お参りを済ませたので、社殿の右側に行ってみました。
ご覧のような石碑「高谷大神宮」があったので撮ってみました。
石碑には、「祭神天照大御神 創立慶安3年(1650)当時高谷部落約十軒の農民が五穀豊穣と郷土の安穏を祈念し建立・・・」と記されていました。
左側に、稲荷神社があったので撮ってみました。
奥に大黒天が祀られていたのでアップで撮ってみました。
高谷大神宮は小さな山の上にあるので見晴は良さそうです。
境内を一回りしたので、これから下りる急な石段を撮ってみました。
次は小塚荒神社に行くので、石塔群に戻って村岡259号線を経由して県道312号線(田谷藤沢線)に向いました。
村岡259号線を歩いていると、左側に高谷第2公園があったので一休みしました。
公園から5分程歩くと、県道312号線(田谷藤沢線)の下にある交差点「弥勒寺高架下」に着きました。
取り敢えず、高架下を通って藤沢方面に行ってみました。
<小塚荒神社(こつかこうじんしゃ):布袋尊>
高架下を暫く歩くと、荒神社の社殿の裏に着きました。
取り敢えず、正面に回って社殿を撮ってみました。
社殿の扁額「荒神社」を撮ってお参りをしました。
社殿の左側に、布袋尊が祀られていたのでアップで撮ってみました。
折角なので、荒神社の正規の入り口に行ってみました。
標柱の左側に、朽ちたお祭り用の山車(?)があったので撮ってみました。
参道の先に鳥居が見えたので撮ってみました。
参道の右側に、大正12年9月1日震災(関東大震災)の碑がありました。
鳥居の前に着いたので撮ってみました。
再び、社殿の前に遣って来たので社殿を撮ってみました。
社殿の左側には、白いフワフワした花穂を付けたススキがありました。
取り敢えず、倍率を上げて撮ってみました。
折角なので、高架下に行って素晴らしいススキを近くで撮ることにしました。
素晴らしいススキをアップで撮ってみました。
更に、倍率を上げて撮ってみました。
小塚荒神社を後に、高架下の道路に戻り藤沢方面に行ってみました。
高架下の道路の先に行くと、左側の奥に、垂直な岩壁があったので撮ってみました。
別角度から、垂直な岩壁を撮ってみました。
折角なので、近くに行って岩壁を撮ってみました。
岩壁の上に、建物(?)があったのでアップで撮ってみました。
<弥勒寺(みろくじ):毘沙門天>
岩壁から先に行くと、弥勒寺の本堂の横に出ました。
取り敢えず、本堂の正面に行ってみました。
扁額「弥勒寺」が掛かっている本堂の向拝を撮ってみました。
お参りしてから、扁額「弥勒寺」を倍率を上げて撮ってみました。
七福神の毘沙門天を探しに本堂の右側に行ってみました。
ご覧のような石段があったので上に行ってみました。
石段を上っていると上の方にお堂(?)が見えたので撮ってみました。
上に着くと、扁額が掛かっている弥勒堂がありました。
取り敢えず、扁額を撮ってお参りをしました。
弥勒堂の右側に、七福神の毘沙門天が祀られていたのでアップで撮ってみました。
弥勒堂の後に行くと、県道312号線の高架が見えたのでアップで撮ってみました。
若しかしたら、岩壁の上に見えた建物は弥勒堂だったのかもね!?
弥勒堂を後に、本堂の前に戻って来ました。
本堂の前に、立派なイヌマキ(犬槇?)があったので撮ってみました。
本堂を後に、本堂の前にある参道を通って山門に向いました。
山門には、「南無妙法蓮華経」と彫られている標柱がありました。
山門をアップで撮って弥勒寺を後にしました。
次は、東海道線を越えて寿老人が祀られている「宮前御霊神社」に行ってみます。
<弥勒寺歩道橋>
弥勒寺の山門の前の道路を歩いて田谷藤沢線の高架下に戻りました。
高架下に着きましたが、東海道線を越える箇所が分かりません。
Googleマップの進行方向がちゃんと表示されなかったので、辺りをウロウロしてしましました。
高架下に、ご覧のような歩道橋上り口があったので行ってみました。
歩道橋から下は見えませんが、東海道線は越えられるようでした。
歩道橋を渡って下に行くと、高架下の柱の奥に東海道線の線路が見えました(ホッ!)。
踊り場から、東海道線の下り方面が見えたので撮ってみました。
東海道線の線路を撮っていると、下りの電車が遣って来たので撮ってみました。
東海道線を越えて高架下に着いたので撮ってみました。
<宮前御霊神社(みやまえごりょうじんじゃ):寿老人>
県道(村岡304号線)に出て道なりに15分程歩くと、四つ角の手前に「村岡ふるさとマップ」がありました。
「村岡ふるさとマップ」で現在地(やや右下)を確認しました。
四つ角を左(北東)に行くと、宮前御霊神社があるみたいです(ホッ!)。
四つ角に着くと、左の方に御霊神社の鳥居が見えました。
参道(?)の先に行くと、右側に稲荷神社があったので行ってみました。
二重鳥居を倍率を上げて撮ってみましたが、どうして二重になっているのでしょうね!?
折角なので、アップで撮って参道に戻りました。
鳥居に着いたのでアップで撮ってみました。
取り敢えず、扁額「御霊神社」をアップで撮ってみました。
鳥居の右側に、御神木のタブノキ(椨の木)があったので撮ってみました。
タブノキの案内板には、幹回りは5.21mと出ていました。
折角なので、幹空洞があるタブノキをアップで撮ってみました。
鳥居をくぐると、ご覧のような手水場があったのでアップで撮ってみました。
手水場の先に行くと、左側に神輿殿や神楽殿があったので撮ってみました。
参道の先には、急な石段があって、上り口には石碑「御霊神社」がありました。
折角なので、石碑を倍率を上げて撮ってみました。
石段の下に行って、これから上る石段を撮ってみました。
石段の下に、ご覧のような狛犬がいたので撮ってみました。
右側の狛犬の後に、御霊神社の由緒碑があったので撮ってみました。
男坂の急な石段を上って上に行ってみました。
尚、石段の右側には、女坂がありましたが帰りに下りることにしました。
石段の上に着くと、正面に社殿があったので撮ってみました。
取り敢えず、由緒ありそうな社殿に行ってお参りをしました。
お参りしてから社殿の内部を撮らせて頂きましたが、お供え物(鏡餅?)があるだけでした。
上に、扁額「村岡神社」が掛かっていたので撮ってみました。
お参りを済ませたので、上って来た石段を撮ってみました。
社殿の右側には、七福神の寿老人が祀られていました。
折角なので、寿老人をアップで撮ってみました。
ご覧のような絵馬堂があったので撮ってみました。
社殿の左側に、七面宮があったので撮ってみました。
近くに、案内板「兜山七面宮」と石碑「折笹矢竹稲荷大明神と兜松」の案内があったので撮ってみました。
尚、詳しいことは分かりませんでした。
折角なので、折笹矢竹稲荷大明神をアップで撮ってみました。
境内を一回りしたので、社殿を撮って女坂に行ってみました。
女坂と云っても、なだらかな坂道ではありませんでした。
下に着くと、確かに女坂(右)の案内がありました。
女坂の下から、ご覧のような大樹が見えたので撮ってみました。
石段右側の石灯籠の奥に、ピンク色の花を付けた梅のような木がありました。
取り敢えず、倍率を上げて撮ってみました。
宮前御霊神社の入り口に戻って来たので、振り返って歩いて来た参道を撮ってみました。
近くに、案内板「大門」があったので撮ってみました。
案内板には、「この一帯を通称大門町と呼んでいる・・・」と出ていました。
時間が14時近くになっていたので、何処で昼食を食べることにしました。
四つ角から県道(村岡399号線)を経由して、食事処がありそうなバス通りに行ってみました。
食事処を探しながらバス通りを歩いていると、藤沢駅行の江ノ電バスが遣って来ました。
バス通りには食事処がなさそうなので、バスに乗って藤沢駅に行くことにしました。
バスに乗ると5分程で藤沢駅南口に着いたので、馴染みの居酒屋に行って遅い昼食を取りました。
居酒屋で飲んでしまったので、残りの福禄寿が祀られている川名御霊神社に行くのは止めました。
今回の「相州村岡七福神めぐり」は、歩き始めて4時間弱掛かっていましたが完遂は出来ませんでした。
川名御霊神社に行けなかったので、幸福・財宝・長寿の御利益を得るのは難しいかも知れませんね!
なるべく早く川名御霊神社に行ってみるつもりです。
尚、万歩計は24,000歩を超えていました。
「相州村岡七福神めぐり(川名御霊神社編)」に続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます