「上野原ハイキング(桂川の水辺編)」から続く。
<上野原市役所に向かう>
八幡神社を後に東の方に10分程歩くと、先の方に八ツ沢橋のある坂道に着きました。
右側に、ご覧のように補修されている崖があったので撮ってみました。
後方に中央自動車道が見えたので撮ってみました。
又、前方の八ツ沢橋を撮ってみましたが、下に流れているのは桂川です。
取り敢えず、これから渡る八ツ沢橋を撮ってみました。
八ツ沢橋を渡ると左側に、魚類供養塔があったので撮ってみました。
山口延勝翁の背中しか見えなかったので、前に回って撮ってみました。
右側に桂川フライルアー釣り場を見ながら、ご覧のような坂道を上ります。
尚、上に通っている道路は甲州街道です。
交通量の多い甲州街道は避けて、畑道を歩きながら中央自動車をくぐる道を探すことにしました。
畑道の脇に、ご覧のような石塔群があったので撮ってみました。
新田倉公民館横の坂道を上ると、中央自動車道をくぐれそうな道があったので行ってみました。
滅多に見ることのない中央自動車道の橋の下を撮ってみました。
ご覧のような急坂を上って中央自動車道の下をくぐります。
真下から中央自動車道を撮ってみました。
八幡神社から30分程で、甲州街道の新田倉の信号に着きました。
信号を渡ってガソリンスタンドの前の道を登ると、ご覧のような山道に出ました。
見晴らしの良い場所に着いたので、向かい側の山並みを撮ってみました。
折角なのでアップで撮ってみましたが、山頂に木のある山は要害山ですかね!?
ついでに、中央自動車道もアップで撮ってみました。
山道に、ご覧のような二十三夜塔があったので撮ってみました。
山道から広い道路に出て暫く歩くと、住宅街にご覧のようなたこ焼き屋がありました。
こんな場所の住宅街に、たこ焼き屋があるのは珍しいですね!?
<上野原市役所>
八幡神社から50分程で、甲州街道沿いにある上野原市役所に着きました。
庁舎棟の前に、ご覧のような「語らいのハーモニー」があったので撮ってみました。
文化ホール棟の4階にある展望室に行ってみました。
ぼんやりとしていますが、富士山が見えたのでアップで撮ってみました。
又、先日の「能岳・八重山ハイキング(八重山編)」で登った秋葉山も見えたので撮ってみました。
市役所の庁舎棟を撮って、甲州街道に戻って八王子方面に向かいます。
甲州街道を20分程歩くと、旧甲州街道(県道520合繊)との分岐になっている新町のY字路に着きました。
Y字路を右に進むみますが、旧甲州街道は交通量が多くないので車を気にすることなく歩けます。
<旧甲州街道>
旧甲州街道に入って5分程歩くと、ご覧のような実が生っている柿の木がありました。
近くに行ってアップで撮ってみましたが、採られていない所をみると渋柿ですかね!?
旧甲州街道を更に進むと、塚場一里塚の案内板の奥には神社がありました。
鳥居の扁額は疱瘡神社となっていましたが、珍しい名前の神社ですね!
疱瘡神社には、疱瘡(天然痘)の神様が祀られているみたいです。
取り敢えず、お参りしてから神社を撮ってみました。
ついでに、失礼して神社の内部も撮らせていただきました。
塚場一里塚の先に行くと、中央自動車道を超えるご覧のような橋がありました。
中央自動車道を超えると、道路脇に旧甲州街道の碑があったので撮ってみました。
<諏訪神社>
旧甲州街道の坂道を下っていると、左側にご覧のような大きな杉の木がありました。
更に坂道を下ると、赤い鳥居のある諏訪神社に着きました。
鳥居をくぐって拝殿を撮ってみましたが、拝殿の前にも大きな杉の木がありました。
拝殿を撮って、道に迷わでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから扁額を撮ってみましたが、諏訪神社ではなく古郡神社になっていました。
由来板によると、古郡神社は信州諏訪大社の御霊を分霊して祀ってあるようです。
境内の裏山を撮って、諏訪神社を後にしました。
<船守寺(ふなもりてら)>
諏訪神社の隣には、ご覧のような船守寺がありました。
由緒ありそうな山門を撮って小さな境内に入りました。
境内の奥は墓地になっていて、左側にはご覧のような本堂(?)がありました。
本堂でお参りしてから、境内の日蓮聖人7百遠忌記念碑(左)と弥三郎殿之分骨碑(右)を撮ってみました。
山門にあった屋号(上原山)を撮って、船守寺を後にしました。
<慈眼寺(じげんじ)>
船守寺を後に、旧甲州街道を暫く進むと左側に慈眼寺がありました。
境内には手水舎と鐘楼がありましたが、鐘楼には何故か鐘がありませんでした。
本殿で、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
本殿の手前左側に、愚痴聞地蔵の案内が出ていたので行ってみました。
ご覧のような柔和なお顔をした耳の大きいお地蔵様がいました。
慈眼寺を後に、旧甲州街道に戻って桂川沿いにある紅梅神社に向かいました。
住宅街を歩いていると、緋紅色の素晴らしいピラカンサスがあったので撮ってみました。
<紅梅神社(こうばいじんじゃ)>
旧甲州街道を歩きながら、右側の畑の中にある桂川に行けそうな坂道を探します。
どうやら行き過ぎてしまったようで、案内板<紅梅神社入口>を見つけるまで時間がかかってしまいました。
案内板に従って草が生い茂っている沼地(?)の脇の道を進みます。
沼地を抜けると、ご覧のような鳥居がありました。尚、桂川は右側の下に流れています。
鳥居をくぐって神社を撮ってみましたが、紅梅神社は桂川に向かって建っていました。
正面に回って、向拝を撮ってみました。
お参りしてから拝殿の奥を撮ってみました。
注連縄の張ってある石(自然石?)があったので撮ってみましたが御神体ですかね!?
拝殿の裏に横から行けた(無用心ですね!)ので、小さな社と御神体を撮ってみました。
ご覧のような大きな杉の木ある境内を撮って、案内板<紅梅神社入口>まで戻ります。
最後の神明社に向かって坂道を下っていると、ご覧のような紅葉があったので撮ってみました。
<下新田神明社(しもあらたしんめいしゃ)>
坂道を暫く下ると、右側のご覧の急な石段の上に神明社がありました。
この石段はかなり急な石段だったので、鳥居を撮りながら一休みしました。
尚、鳥居の扁額は御祭神の天照大神になっていました。
本殿の下に着いたので、ここから本殿を撮ってみました(本殿の前は狭いので全体は撮れそうにありません)。
お参りしてから、本殿の内部を撮ってみました。
神明社の急な石段を注意深く下りて、桂川沿いの散策路に向かいました。
<桂川沿いの散策路>
桂川が見渡せる場所に遣って来ると、与謝野晶子の歌『わが立つ瀬かの白き水石原も萩咲く道もみな桂川』があったので撮ってみました。
16時近くになると、陽が沈むのが早くなったのか薄暗くなってきました。
河川敷に下りないで、そのまま散策路を歩いてJR上野原駅に向かいました。
JR上野原駅の南口に着きましたが、食事処がなかったので北口の一福食堂に入ってみました。
食堂なので、中華系しかないと思っていたのですが、お刺身やフライ等もあってサービスの良いお店でした。
いつもは八王子駅で〆のお酒を飲むのですが、今日はここで飲むことにしました。
今回の「上野原ハイキング」は、思っていた以上にいろんな寺院を巡ることができたので大変満足しています。
尚、万歩計は大して歩いていないと思っていたら22,000歩を超えていました。
<上野原市役所に向かう>
八幡神社を後に東の方に10分程歩くと、先の方に八ツ沢橋のある坂道に着きました。
右側に、ご覧のように補修されている崖があったので撮ってみました。
後方に中央自動車道が見えたので撮ってみました。
又、前方の八ツ沢橋を撮ってみましたが、下に流れているのは桂川です。
取り敢えず、これから渡る八ツ沢橋を撮ってみました。
八ツ沢橋を渡ると左側に、魚類供養塔があったので撮ってみました。
山口延勝翁の背中しか見えなかったので、前に回って撮ってみました。
右側に桂川フライルアー釣り場を見ながら、ご覧のような坂道を上ります。
尚、上に通っている道路は甲州街道です。
交通量の多い甲州街道は避けて、畑道を歩きながら中央自動車をくぐる道を探すことにしました。
畑道の脇に、ご覧のような石塔群があったので撮ってみました。
新田倉公民館横の坂道を上ると、中央自動車道をくぐれそうな道があったので行ってみました。
滅多に見ることのない中央自動車道の橋の下を撮ってみました。
ご覧のような急坂を上って中央自動車道の下をくぐります。
真下から中央自動車道を撮ってみました。
八幡神社から30分程で、甲州街道の新田倉の信号に着きました。
信号を渡ってガソリンスタンドの前の道を登ると、ご覧のような山道に出ました。
見晴らしの良い場所に着いたので、向かい側の山並みを撮ってみました。
折角なのでアップで撮ってみましたが、山頂に木のある山は要害山ですかね!?
ついでに、中央自動車道もアップで撮ってみました。
山道に、ご覧のような二十三夜塔があったので撮ってみました。
山道から広い道路に出て暫く歩くと、住宅街にご覧のようなたこ焼き屋がありました。
こんな場所の住宅街に、たこ焼き屋があるのは珍しいですね!?
<上野原市役所>
八幡神社から50分程で、甲州街道沿いにある上野原市役所に着きました。
庁舎棟の前に、ご覧のような「語らいのハーモニー」があったので撮ってみました。
文化ホール棟の4階にある展望室に行ってみました。
ぼんやりとしていますが、富士山が見えたのでアップで撮ってみました。
又、先日の「能岳・八重山ハイキング(八重山編)」で登った秋葉山も見えたので撮ってみました。
市役所の庁舎棟を撮って、甲州街道に戻って八王子方面に向かいます。
甲州街道を20分程歩くと、旧甲州街道(県道520合繊)との分岐になっている新町のY字路に着きました。
Y字路を右に進むみますが、旧甲州街道は交通量が多くないので車を気にすることなく歩けます。
<旧甲州街道>
旧甲州街道に入って5分程歩くと、ご覧のような実が生っている柿の木がありました。
近くに行ってアップで撮ってみましたが、採られていない所をみると渋柿ですかね!?
旧甲州街道を更に進むと、塚場一里塚の案内板の奥には神社がありました。
鳥居の扁額は疱瘡神社となっていましたが、珍しい名前の神社ですね!
疱瘡神社には、疱瘡(天然痘)の神様が祀られているみたいです。
取り敢えず、お参りしてから神社を撮ってみました。
ついでに、失礼して神社の内部も撮らせていただきました。
塚場一里塚の先に行くと、中央自動車道を超えるご覧のような橋がありました。
中央自動車道を超えると、道路脇に旧甲州街道の碑があったので撮ってみました。
<諏訪神社>
旧甲州街道の坂道を下っていると、左側にご覧のような大きな杉の木がありました。
更に坂道を下ると、赤い鳥居のある諏訪神社に着きました。
鳥居をくぐって拝殿を撮ってみましたが、拝殿の前にも大きな杉の木がありました。
拝殿を撮って、道に迷わでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから扁額を撮ってみましたが、諏訪神社ではなく古郡神社になっていました。
由来板によると、古郡神社は信州諏訪大社の御霊を分霊して祀ってあるようです。
境内の裏山を撮って、諏訪神社を後にしました。
<船守寺(ふなもりてら)>
諏訪神社の隣には、ご覧のような船守寺がありました。
由緒ありそうな山門を撮って小さな境内に入りました。
境内の奥は墓地になっていて、左側にはご覧のような本堂(?)がありました。
本堂でお参りしてから、境内の日蓮聖人7百遠忌記念碑(左)と弥三郎殿之分骨碑(右)を撮ってみました。
山門にあった屋号(上原山)を撮って、船守寺を後にしました。
<慈眼寺(じげんじ)>
船守寺を後に、旧甲州街道を暫く進むと左側に慈眼寺がありました。
境内には手水舎と鐘楼がありましたが、鐘楼には何故か鐘がありませんでした。
本殿で、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
本殿の手前左側に、愚痴聞地蔵の案内が出ていたので行ってみました。
ご覧のような柔和なお顔をした耳の大きいお地蔵様がいました。
慈眼寺を後に、旧甲州街道に戻って桂川沿いにある紅梅神社に向かいました。
住宅街を歩いていると、緋紅色の素晴らしいピラカンサスがあったので撮ってみました。
<紅梅神社(こうばいじんじゃ)>
旧甲州街道を歩きながら、右側の畑の中にある桂川に行けそうな坂道を探します。
どうやら行き過ぎてしまったようで、案内板<紅梅神社入口>を見つけるまで時間がかかってしまいました。
案内板に従って草が生い茂っている沼地(?)の脇の道を進みます。
沼地を抜けると、ご覧のような鳥居がありました。尚、桂川は右側の下に流れています。
鳥居をくぐって神社を撮ってみましたが、紅梅神社は桂川に向かって建っていました。
正面に回って、向拝を撮ってみました。
お参りしてから拝殿の奥を撮ってみました。
注連縄の張ってある石(自然石?)があったので撮ってみましたが御神体ですかね!?
拝殿の裏に横から行けた(無用心ですね!)ので、小さな社と御神体を撮ってみました。
ご覧のような大きな杉の木ある境内を撮って、案内板<紅梅神社入口>まで戻ります。
最後の神明社に向かって坂道を下っていると、ご覧のような紅葉があったので撮ってみました。
<下新田神明社(しもあらたしんめいしゃ)>
坂道を暫く下ると、右側のご覧の急な石段の上に神明社がありました。
この石段はかなり急な石段だったので、鳥居を撮りながら一休みしました。
尚、鳥居の扁額は御祭神の天照大神になっていました。
本殿の下に着いたので、ここから本殿を撮ってみました(本殿の前は狭いので全体は撮れそうにありません)。
お参りしてから、本殿の内部を撮ってみました。
神明社の急な石段を注意深く下りて、桂川沿いの散策路に向かいました。
<桂川沿いの散策路>
桂川が見渡せる場所に遣って来ると、与謝野晶子の歌『わが立つ瀬かの白き水石原も萩咲く道もみな桂川』があったので撮ってみました。
16時近くになると、陽が沈むのが早くなったのか薄暗くなってきました。
河川敷に下りないで、そのまま散策路を歩いてJR上野原駅に向かいました。
JR上野原駅の南口に着きましたが、食事処がなかったので北口の一福食堂に入ってみました。
食堂なので、中華系しかないと思っていたのですが、お刺身やフライ等もあってサービスの良いお店でした。
いつもは八王子駅で〆のお酒を飲むのですが、今日はここで飲むことにしました。
今回の「上野原ハイキング」は、思っていた以上にいろんな寺院を巡ることができたので大変満足しています。
尚、万歩計は大して歩いていないと思っていたら22,000歩を超えていました。