結局ゴールデンウィークはどこにも遊びに行かずに稽古に励む事にしました。もっとも能楽師ってのは休日に催しがあって、平日が休みの事が多いので、たまに休日にスケジュールが空いていても、人混みの中に遊びに行く気は起こらないなー。。ちなみにこういう「大型連休」という時には、ぬえのほかにもヒマな能楽師は多いと思います。なんせ世間の皆様がこぞってお出かけになるこの時期は、公演はもとよりお弟子さんの稽古もしにくいのです。さあ、ヒマな能楽師の仲間のキミ! お互いにブログにコメントでもつけ合って、ヒマな時間を有意義に過ごそうぜ! 。。(;_:)/ シゴトクレ-
さて『朝長』が修羅能ではないのではないか、という点について。
前述の通り、源朝長という若い公達武者の物語と言うにはあまりにその主人公の人となりを深く掘り下げることをしない能『朝長』。修羅能が源平の武将の物語を描いた能とするならば、『朝長』はそれとはあまりに異質と言わざるを得ません。我々は、つい能『朝長』は修羅能の中の一曲として作られた能であるかのように思ってしまいがちですが、しかし能の曲目が神・男・女・狂・鬼のいわゆる「五番立て」に分類されたのは江戸中期頃とされていて、多くの能はその分類を意識して作られた能ではない事もまた事実なのです。
金春禅竹の『歌舞髄脳記』に引用があって、禅竹時代以前に成立したのは確実な能『朝長』は、「五番立て」とは違う、言うなれば世阿弥・禅竹時代のある種の規範に従って作られた能だったでしょう。世阿弥は『五音曲条々』の冒頭に「音曲ニ祝言・幽曲・恋慕・哀傷・闌曲 是アリ」と記していて、当時曲目を分類する意識はあったと思われますが、『二曲三体人形図』に「児姿遊舞、老体・老舞、女体・女舞、軍体、砕鬼風鬼、力動風鬼、天女、砕動之足踏」と、演技を身体の使い方によって分類したりもしていて、曲目を一つのグループに分類する「五番立て」とは少し違ったスタンスであるようです。
また禅竹は前掲書に演技の分類として「老体、軍体、女体、雑体」と、『二曲三体人形図』よりも「五番立て」に近い分類法が採られているのですが、一方『五音三曲集』では、世阿弥の分類を継承した「祝言・幽玄・恋慕・哀傷・闌曲」をさらに細分化しようとする記述があるなど、観念的な点も多く見られます。
いずれにせよ『朝長』が「源平の武将」を描いている能だからといって、「修羅能」として作られた能ではない事は確かでしょう。さらに上記 世阿弥の『五音曲条々』の分類に「音曲ニ」とある事や、禅竹の『五音三曲集』の「幽玄」の項に『田村』の前場のクセが載せられている事などを考えると、これらの分類は曲目のそれではなくて、場面ごとの「謡」のあり方を分類したものなのではないか、と考えられます。もしそうであるならば、これらは『二曲三体人形図』の演技法の分類と対を成すものなのかも知れません。
こう考えると、『朝長』は後シテこそ「軍体」の演技法で勤めるべき修羅能なのでしょうが、前シテは「女体」の演技で、「哀傷」の謡い方をする曲、と考える事ができそうです。これは当たり前のようですが、「五番立て」に基づいて一つの能をただ一つの分類に分けて、その範囲の中だけで演じる事と、世阿弥時代のように主人公の心境の変化によって場面ごとに独立して演技を考える事は大きな違いでしょう。
まあ、ぬえはさすがに「女体」「軍体」の定義づけはできないけれども。。少なくとも『朝長』は修羅能というジャンル分けに閉じこめる事は不可能ではないか、と思います。前シテは「四番目物」、と考えた方がよさそうで、『隅田川』や『木賊』のような味わいの曲なのではなかろうか。そして、ぬえはその「四番目物」の前場がやはり主眼であって、そこに「修羅能としての後場が追加されている能」だと思うのです
→次の記事 『朝長』について(その17)
→前の記事 『朝長』について(その15)
→保元の乱 『朝長』について(その1=朝長って。。誰?)
→平治の乱 『朝長』について(その5=平治の乱勃発。。朝長登場!)
さて『朝長』が修羅能ではないのではないか、という点について。
前述の通り、源朝長という若い公達武者の物語と言うにはあまりにその主人公の人となりを深く掘り下げることをしない能『朝長』。修羅能が源平の武将の物語を描いた能とするならば、『朝長』はそれとはあまりに異質と言わざるを得ません。我々は、つい能『朝長』は修羅能の中の一曲として作られた能であるかのように思ってしまいがちですが、しかし能の曲目が神・男・女・狂・鬼のいわゆる「五番立て」に分類されたのは江戸中期頃とされていて、多くの能はその分類を意識して作られた能ではない事もまた事実なのです。
金春禅竹の『歌舞髄脳記』に引用があって、禅竹時代以前に成立したのは確実な能『朝長』は、「五番立て」とは違う、言うなれば世阿弥・禅竹時代のある種の規範に従って作られた能だったでしょう。世阿弥は『五音曲条々』の冒頭に「音曲ニ祝言・幽曲・恋慕・哀傷・闌曲 是アリ」と記していて、当時曲目を分類する意識はあったと思われますが、『二曲三体人形図』に「児姿遊舞、老体・老舞、女体・女舞、軍体、砕鬼風鬼、力動風鬼、天女、砕動之足踏」と、演技を身体の使い方によって分類したりもしていて、曲目を一つのグループに分類する「五番立て」とは少し違ったスタンスであるようです。
また禅竹は前掲書に演技の分類として「老体、軍体、女体、雑体」と、『二曲三体人形図』よりも「五番立て」に近い分類法が採られているのですが、一方『五音三曲集』では、世阿弥の分類を継承した「祝言・幽玄・恋慕・哀傷・闌曲」をさらに細分化しようとする記述があるなど、観念的な点も多く見られます。
いずれにせよ『朝長』が「源平の武将」を描いている能だからといって、「修羅能」として作られた能ではない事は確かでしょう。さらに上記 世阿弥の『五音曲条々』の分類に「音曲ニ」とある事や、禅竹の『五音三曲集』の「幽玄」の項に『田村』の前場のクセが載せられている事などを考えると、これらの分類は曲目のそれではなくて、場面ごとの「謡」のあり方を分類したものなのではないか、と考えられます。もしそうであるならば、これらは『二曲三体人形図』の演技法の分類と対を成すものなのかも知れません。
こう考えると、『朝長』は後シテこそ「軍体」の演技法で勤めるべき修羅能なのでしょうが、前シテは「女体」の演技で、「哀傷」の謡い方をする曲、と考える事ができそうです。これは当たり前のようですが、「五番立て」に基づいて一つの能をただ一つの分類に分けて、その範囲の中だけで演じる事と、世阿弥時代のように主人公の心境の変化によって場面ごとに独立して演技を考える事は大きな違いでしょう。
まあ、ぬえはさすがに「女体」「軍体」の定義づけはできないけれども。。少なくとも『朝長』は修羅能というジャンル分けに閉じこめる事は不可能ではないか、と思います。前シテは「四番目物」、と考えた方がよさそうで、『隅田川』や『木賊』のような味わいの曲なのではなかろうか。そして、ぬえはその「四番目物」の前場がやはり主眼であって、そこに「修羅能としての後場が追加されている能」だと思うのです
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→保元の乱 『朝長』について(その1=朝長って。。誰?)
→平治の乱 『朝長』について(その5=平治の乱勃発。。朝長登場!)