最近このブログについて考える事があります。
演者が公演の事前に作品を研究して、発見したことや解釈のようなものを発信したり、稽古の状況や演じ方について書き込みをする。ここまでは良いのです。
。。でも演者のこういう発信の仕方は、大変危険でもあります。「こういうように演じるつもり」と書いているつもりが、いつの間にか「こういうように見てください」と舞台への接し方をお客さんに指示するようになってしまう可能性がある。
舞台人としては舞台での結果がすべてなのであって、舞台以外での場所での「言い訳」は絶対に許されないでしょう。ぬえもそのあたりは重々承知しているつもりだし、 ぬえの友人の某能楽師の中にも、公演当日の見所に自分の「抱負」を書いたプリントを配ったところ、一部の人から「潔くない」と不評が出た場面も見ているので、気を付けなければならないのですが。
このブログではこれまで『朝長』の人物像や作品の研究をとりあげてきましたが、いざ実演上の演出について語るとき、ぬえは、つい書きすぎてしまって無意識のうちに「こう演じますのでお楽しみに」という書き方に陥ってしまうのを恐れます。
かと言って、現代社会の中に暮らす人間として、『朝長』のような動きの少ない能は、よほど能楽に親しんでおられるお客さまを除けば、なんの情報もなしに見るにはあまりに退屈でもあるでしょう。前場で地謡が謡う【上歌】の中で「荻の焼原の跡までも げに北邙の夕煙」とシテが右へウケて静かに見廻すところ、動作はほとんどなく、謡でシテの心情を表現する前シテの【語リ】。このような場面は、シテの微妙な演技にお客さまも心を添わせて見て頂かない事には、単純に「役者が全然動かない。。」と思われてしまう。これがまたを現代演劇や映画などの方が身近な現代人にとっては非常に特異な世界なので、このようなブログなどで解説をしておく事はあながち無謀でもないとも信じています。
要するにバランスの問題でしょうね。このブログで『朝長』という作品について論じますが、役者として卑怯な態度に陥る事は慎まなければならない。舞台について先入観を植え付けるように誘導したり、舞台の言い訳をこの場に持ち込まない。このようなスタンスでこのブログを進めて行こうと思っておりますので、どうぞ読者の方々も ぬえが「どう演じたいのか」は舞台上の ぬえをご覧になってご判断頂きたいと存じます。
※このような事は「舞台の実際」の項の冒頭に書いておくべきだったかも知れません。。反省。数日中にこれまでの記事を整理して再アップしておきます。。
さて、そのうえで。。続きです。(^^;)
◆間狂言が橋掛りに退くと、ワキとワキツレは後シテを待ち受ける【待謡】を謡います。内容は夜更けに「観音懺法」を読誦して朝長の霊を弔う、というもの。
ワキ「さても幽霊朝長の。仏事は様々多けれども。
ワキツレ「とりわき亡者の尊み給ひし。観音懺法読みたてまつり。
ワキ「声仏事をもなすとかや
【待謡】三人「声満つや。法の山風月ふけて。法の山風月ふけて。光和らぐ春の夜の。眠りを覚ます鈸鼓。時も移るや初夜の鐘。音澄み渡る折からの。御法の夜声感涙も浮むばかりの気色かな。浮むばかりの気色かな。
◆この【待謡】の終わりに笛が甲高い「ヒシギ」を吹き、太鼓が打ち出して後シテの登場音楽である「出端(では)」が奏され、やがて後シテが登場します。
→次の記事 『朝長』について(その25=舞台の実際その7)
→前の記事 『朝長』について(その23=舞台の実際その5)
→このトピックの先頭 『朝長』について(その19=舞台の実際その1)
演者が公演の事前に作品を研究して、発見したことや解釈のようなものを発信したり、稽古の状況や演じ方について書き込みをする。ここまでは良いのです。
。。でも演者のこういう発信の仕方は、大変危険でもあります。「こういうように演じるつもり」と書いているつもりが、いつの間にか「こういうように見てください」と舞台への接し方をお客さんに指示するようになってしまう可能性がある。
舞台人としては舞台での結果がすべてなのであって、舞台以外での場所での「言い訳」は絶対に許されないでしょう。ぬえもそのあたりは重々承知しているつもりだし、 ぬえの友人の某能楽師の中にも、公演当日の見所に自分の「抱負」を書いたプリントを配ったところ、一部の人から「潔くない」と不評が出た場面も見ているので、気を付けなければならないのですが。
このブログではこれまで『朝長』の人物像や作品の研究をとりあげてきましたが、いざ実演上の演出について語るとき、ぬえは、つい書きすぎてしまって無意識のうちに「こう演じますのでお楽しみに」という書き方に陥ってしまうのを恐れます。
かと言って、現代社会の中に暮らす人間として、『朝長』のような動きの少ない能は、よほど能楽に親しんでおられるお客さまを除けば、なんの情報もなしに見るにはあまりに退屈でもあるでしょう。前場で地謡が謡う【上歌】の中で「荻の焼原の跡までも げに北邙の夕煙」とシテが右へウケて静かに見廻すところ、動作はほとんどなく、謡でシテの心情を表現する前シテの【語リ】。このような場面は、シテの微妙な演技にお客さまも心を添わせて見て頂かない事には、単純に「役者が全然動かない。。」と思われてしまう。これがまたを現代演劇や映画などの方が身近な現代人にとっては非常に特異な世界なので、このようなブログなどで解説をしておく事はあながち無謀でもないとも信じています。
要するにバランスの問題でしょうね。このブログで『朝長』という作品について論じますが、役者として卑怯な態度に陥る事は慎まなければならない。舞台について先入観を植え付けるように誘導したり、舞台の言い訳をこの場に持ち込まない。このようなスタンスでこのブログを進めて行こうと思っておりますので、どうぞ読者の方々も ぬえが「どう演じたいのか」は舞台上の ぬえをご覧になってご判断頂きたいと存じます。
※このような事は「舞台の実際」の項の冒頭に書いておくべきだったかも知れません。。反省。数日中にこれまでの記事を整理して再アップしておきます。。
さて、そのうえで。。続きです。(^^;)
◆間狂言が橋掛りに退くと、ワキとワキツレは後シテを待ち受ける【待謡】を謡います。内容は夜更けに「観音懺法」を読誦して朝長の霊を弔う、というもの。
ワキ「さても幽霊朝長の。仏事は様々多けれども。
ワキツレ「とりわき亡者の尊み給ひし。観音懺法読みたてまつり。
ワキ「声仏事をもなすとかや
【待謡】三人「声満つや。法の山風月ふけて。法の山風月ふけて。光和らぐ春の夜の。眠りを覚ます鈸鼓。時も移るや初夜の鐘。音澄み渡る折からの。御法の夜声感涙も浮むばかりの気色かな。浮むばかりの気色かな。
◆この【待謡】の終わりに笛が甲高い「ヒシギ」を吹き、太鼓が打ち出して後シテの登場音楽である「出端(では)」が奏され、やがて後シテが登場します。
→次の記事 『朝長』について(その25=舞台の実際その7)
→前の記事 『朝長』について(その23=舞台の実際その5)
→このトピックの先頭 『朝長』について(その19=舞台の実際その1)