ぬえの能楽通信blog

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『朝長』について(その25=舞台の実際その7)

2006-05-23 12:35:43 | 能楽
機会を見つけては ぬえの『朝長』に共演してくださるお囃子方の何人かとお話をしたのですが、少なくとも ぬえのほかに二人も今回『朝長』を初めて勤める、という方がある事が判明。。やはり。またまた分不相応感が濃厚に漂ってきましたが、今回は師匠のお勧めを頂いて勤めるのだから遠慮はいらないでしょう。出来る限りの事をしたいと思っているし、初役の人が多い舞台には「慣れ」というものが入り込まないから、手探りではあっても案外 緊張感だけは充実するかも。。

さて後シテの登場音楽「出端」は、囃子方にとっても位どりが難しいところでしょう。そしてまた太鼓が主導権を握るものであるからにさらに。。なにせ太鼓方にはこの部分に極重習いの小書「懺法」があって、どうしても『朝長』の上演にはそれを意識しないわけにはいかないでしょう。「懺法」を演奏しない『朝長』。それがスタンダードであるはずなのに、太鼓方にとっては常に目標でありあこがれでもあるだろう「懺法」の呪縛。。それが全く念頭にないとは言えますまい。。実際、ぬえの『朝長』の上演が決まった時、何人から「朝長! 懺法で?」と冷やかし半分に言われた事か。

「懺法」の事は今回は関係ないし、ぬえのような身には一生縁がない小書ですけれども、『朝長』を語るうえでは避けて通れないものでもあるでしょう。この稿の最後にでも、この小書についてはすこし触れておきたいと思っています。

ともあれ、今回は常の「出端」で登場します。しかし、その「出端」の位。。すなわち後シテの登場の印象というものについて ぬえもかなり悩んでいました。よく言われるように、この曲は前シテが命なのであって、陰鬱な前シテは重厚に勤め、後シテは一転して若武者なので、サラリと演じるのだと。ぬえもずっとそう思っていました。ところが型付けを精査していると、どうも後シテがそのように工まれて作られているとは到底思えない。

この稿の冒頭にも書いたと思いますが、稽古を始めてすぐに気がついたのですが、この曲の後シテは、同じ若武者の『敦盛』や『経正』などと比べると、どうもあちらこちら一つずつ型が少ないように感じます。すなわち『経正』と同じようなつもりで、そのような速度で演じてしまうと、たちまち地謡の文句を追い越してしまうのです。もちろん前シテから導き出される『朝長』の後シテは単純に『経正』と同じ気持ちで演じてよいはずもないのですが、それを差し引いても。。型付けが「動くな」と言っている。。(!)

この齟齬にはじつは ぬえは相当参りまして、この疑問を解消しようにも、それをぶつける相手さえもいないのですよね。。説明は難しいが、この疑問にぶち当たった当時は、まだ師匠に伺う段階でもなかった。そして先輩にも。。上演した人がいないのです。これはちょっと。。選曲がヤバかったか。。? と真剣に思った時期もありました。こういう時に、師匠よりももっと身近な。。親に聞ければどんなに楽か。。ヘンな話かも知れないが、一代目というのはこういう時に苦労しますね。『道成寺』の披キの時にそれは身にしみて感じたのですが、今また、こういう場面で同じ思いをするとは思わなかった。

そのため、自分で『朝長』という曲を徹底的に分析して、この型付けの指示する意味を自分なりに探ってみようと思い立ちました。その結果が まさにこのブログで書いている この稿そのものでして、なんとも曖昧な部分も多くてお恥ずかしい限りですが。。さて以前の稿にも書いたように、この曲は前シテと後シテがあまりにも違う印象の曲と思われがちなのですが、この曲について考えるうちに ぬえはそうではないと考えるようになりました。後シテの朝長は、僧ワキの回向によって成仏し、それを謝する立場でありながら、同時にワキや前シテの心の傷を癒す存在でもある。。

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