ぬえの能楽通信blog

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『朝長』について(その22=舞台の実際その4)

2006-05-16 02:23:09 | 能楽
ワキ「さてさて朝長の御最期の仕儀、何とかござ候ひつる。委しく語つて御聞かせ候へ。

シテはワキの方へ向き出、正中に座して正面に向き「語リ」を謡う

【語リ】シテ「申すにつけて痛はしや。暮れし年の八日の夜に入りて。門を荒けなく敲く音す。誰なるらんと尋ねしに。鎌田殿と仰せられしほどに門を開かすれば。武具したる人四五人内に入り給ふ。(とワキへ向く)義朝御親子。鎌田、金王丸とやらん。わらはを頼み思し召す。明けなば川船にめされ。野間の内海へ御落ちあるべきとなり。(とワキへ向く)また朝長は。都大崩れにて膝の口を射させ。とかく煩ひ給ひしが。夜更け人静まつて後。朝長の御声にて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と二声のたまふ。鎌田殿まゐり。こはいかに朝長の御自害候と申させ候へば。義朝驚き御覧ずれば。はや御肌衣も紅に染みて。目もあてられぬ有様なり。その時義朝。何とて自害しけるぞと仰せられしかば。朝長息の下より。(とワキへ向く)さん候都大崩れにて膝の口を射させ。すでに難儀に候ひしを。馬にかゝりこれまでは参り候へども。今は一足も引かれ候はず。路次にて捨てられ申すならば。犬死すべく候。唯返すがへす御先途をも見届け申さで。かやうになりゆき候ふ事。さこそ言ひ甲斐なき者と。思し召され候はんずれども。道にて敵に逢ふならば。雑兵の手にかゝらん事。あまりに口惜しう候へば。是にてお暇たまはらんと。

地謡「これを最期のお言葉にて。(とワキへ向く)こときれさせ給へば。義朝正清とりつきて。嘆かせ給ふ御有様は。よその見る目も哀れさをいつか忘れん。(とワキへ向きシオリ)
【上歌】地謡「悲しきかなや。形をもとむれば。苔底が朽骨見ゆるもの今は更になし。さてその声を尋ぬれば。草径が亡骨となつて答ふるものも更になし。三世十方の。仏陀の聖衆も哀れむ心あるならば。亡魂幽霊もさこそ嬉しと思ふべき。(とワキへ向く)
【下歌】地謡「かくて夕陽影うつる。(と幕の方を見やる)かくて夕陽影うつる。(と立ち上がり常座へ行き)雲たえだえに行く空の。青野が原の露分けて。かの旅人を伴ひ(とワキと向き合い)青墓の宿に。帰りけり(と大小前の方へ少し歩み)青墓の宿に帰りけり。(とワキヘ向く)

シテ「御僧に申し候。見苦しく候へども。暫くこれに御逗留候ひて。朝長の御跡を御心静かに弔ひ参らせられ候へ。
ワキ「心得申し候。
シテ(幕の方へ向いて)「誰かある罷り出でて御僧に宮仕へ申し候へ。

中入(シテとツレ・トモは幕へ引く)

間狂言が再び登場し、長者に僧の世話を言いつけられた、と言ってワキと対面し、さきほど朝長の墓所の在処を教えた僧だった事を驚く。ワキの所望によって義朝や朝長の最期の様子を語り、ワキが「観音懺法」の法会を執り行って朝長の跡を弔うと聞き、客席の方へ向いてその旨を触れて退場する。

【語釈】
  暮れし年の八日の夜に入りて = 『平治物語』では師走二十八日。
  都大崩れにて = 「大崩れ」は「総崩れ」の意。
       朝長が膝を射られたのは「竜華越」という場所で、
      「大崩」は地名ではない。
  苔底が朽骨 = 墓の下に埋もれた遺骨
  草径が亡骨 = 草が茂った小道の遺骸
  三世十方  = 前世・現世・来世、四方四隅(を司る仏や菩薩)

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