ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『朝長』おわりました(その2)

2006-06-07 01:44:36 | 能楽
休暇を終えて東京に帰って参りましたー。

さて「橘香会」が終わってから、何通か『朝長』について感想のメールを頂戴致しました。どれもお褒めのお言葉を頂きまして恐縮しました。m(__)m

わけても本日、ぬえがいま最も信頼を置いている観客の方からメールを頂戴しました。この方は毎度欠かさず ぬえの舞台をご覧になって下さり、また毎度必ず感想をメールで寄せて下さいます。ところがその観察眼の鋭さ、確かさといい、観能歴の豊富さといい、ぬえが教えられる事が多いほど。そのうえこの方は ぬえに対して批判も堂々となさる。その批判となる部分というのが ぬえも自覚している箇所なので ぬえも納得できます。舞台上の失敗というのは もちろん ぬえも気がつくのだけれど、それが露呈しないようにすぐに取り繕って、ほとんどのお客さまには失敗に気づかれないようにします。それでもこの方は気がついちゃうんだから。。ぬえにとっては恐ろしいお客さま、と言えるかも。でも舞台人は褒められた言葉をそのまま鵜呑みにしてしまってはダメで、堕落の始まりの甘い誘惑なのです。ぬえ、そんな人を何人も見てきました。。客観的に自分を見ることがいかに難しいか。だからこそ ぬえはこの方からのメールを毎度心待ちにしています。そしてようやく今日頂いたそのメールを読むと、まあまあ及第には到ったらしい。そしてうまくいかなかった場面もちゃんとその通りにご覧になったようです。これで ぬえも安心して自分の『朝長』を総括できます。

それにしても今年になってからこのブログを始めて、当初は自分の稽古状況や作品研究を発信できるこういうツールを得た事は喜びだったのですが、公演の前まではそれでよろしいのですが、さて公演が終了すると、はて困った。自分の舞台の成果をどう書いたものか。。

諸手をあげて自画自賛するような事は論外として、何ヶ月もの間ずうっと考えながら構築してきたものを、個別に自分なりの成否を言うのも、これまた簡単なようでいて難しい。その「成否」というものが、当日の舞台に接したお客さまの目にどう映っていたのかは、ぬえ自身の思いとはまったく別だし、それは舞台に立っている人間にはわからないからです。そして、ここが最も肝心なのだけれど、演技にこめる自分の思いというものは自分の内部で自己完結してはならないのです。自分が万感の思いを込めて型なり謡なりを演じるとして、それは自己陶酔のマスターベーションに陥っている危険性は常にはらんでいます。自分が演じる役柄について、その人物像を描き出す作業をずっと稽古で行うわけだけれども、自分が「こう」と思う演じ方を見つけても、それで得心するのが自分だけ、ではプロではないでしょう。お客さまにどのように伝えるか。。否、どうやってお客さまにも「共感」して頂けるかを考えなければならない。

そこまで気を配って舞台を作り上げるべく努力したとしても、その共感というものをお客さまに呼び起こせたかどうかは、はてどうやって知ればよいのか。。師匠から事前に受ける稽古がこの点についてひとつの目安になるでしょうが、当日の舞台そのものの結果となると。

このブログでも、公演のあとにどうやって自分の舞台を総括するのかは、あまり考えていませんでした。ブログを始めてからも正月の『翁付賀茂』のツレや『鵜飼』のシテのお役はあったのですが、どちらも自分としては自信があったので、今回の『朝長』のようには悩まずに書き込みができたのですが。やっぱり大曲というのは恐ろしい影響を、後々までも及ぼすのですね。。

今日は ぬえが信頼する方からのメールを頂いて、ようやく自分の舞台の事を書けると思います。また、すでに舞台は終わったのだから、本当は舞台上で ぬえはどんな意図を持っていたのか、をお話しするのも解禁になったでしょう。。次回はそのへんについて少し突っこんで書いてみたいと思っています。