ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

キミは覚えているか。あの秋の日を

2006-06-27 11:19:07 | 能楽

キミは。。大相撲の土俵に、かつては能舞台と同じやうに四本の柱が建つてゐたことをご存じだらうか。そしてキミは。。答へられるだらうか。それが廃されて四つの房に取って代わられたのが何時の事であつたのか。。

ぬへは答えられる。。否、忘れるわけには往かぬ。あの大屋根が、力士たちが死力を尽して争ふを、慈母のやうに暖かく包み込んでをつたあの大屋根が、つひに天空に向かつて飛翔したその日のことを。その時の事を ぬへはまざまざと思ひ出す。。未だ生まれてなかつたけど。。

それは。。昭和27年9月21日。東京・蔵前の国技館でおこなはれた秋場所からの事だ。

無論、大相撲の土俵に掛る大屋根は往古より空中にあつた訳ではない。かのニウトン博士が提したやうに、万物は互に惹かれ合ふ。林檎は大地に惹かれ、人は人に惹かれ。。そして国技館の大屋根は土俵に惹かれていたのだ。かの四本柱はそれを。。二つの惹かれ合ふ魂を繋ぐ鵲の橋であつた。それなのに人は自らの欲望のために、土俵が見えない、という理由で鴛鴦の仲を裂き、四色の房に換たのだ。忌むべき哉 長月下旬のあの秋の日を。。

否、さうではあるまひ。あの日を境に大屋根は鳳凰のやうに、或は迦陵頻伽の如き優艶なる姿もて天空を翔る自由を得たのだ。それは力士が四本柱に衝突して怪我をする憂ひを取り除き得たのみならず、大屋根はあたかも慈母の如くに観客の善男善女をも暖かく包み込んだ記念すべき日であつたのだ。そして今や、国技館の大屋根が祝福してをるのは狭く日本の力士ばかりではなひ。蒙古の、そして勃牙利の力士(←チョツト古い?)をも大なる慈愛を以つて全地球の民をも慰撫し、鼓舞してをるのだ。嗚呼、偉大なる哉大相撲。

何故に ぬへはこの記念するべき日を知り得たのか。。それは全くの偶然であつた。数年前に ぬへは骨董屋で一面の「若女」と出逢ふた。入江美法氏の作になるその面は新面ではあつたが、ぬへはその「若女」を忽ちにして求めた。柔きその面差に惹かれたものであらう。ニウトン博士に対して ぬへは感謝の念に耐えぬ。さうして家に帰り、共箱を開たその刹那。ぬへの眼に飛び込で来た者こそは。。この昭和27年9月20日の読売新聞の夕刊であつたのだ。その新聞紙は面袋を包み込むクツシヨンのために、その箱の底に居た。数十年の星霜を経て ぬへに遭ふためにずつとそこで待つていたかのやうに。

この画像を見給へ!

新聞紙は、おそらく只、面を傷から保護すべきために桐箱の底に敷かれた者であらう。去乍、そこに認められた記事は、能舞台と同じく大相撲の土俵を四隅にて区切りおきし四本柱が、この翌日からの秋場所を以つて失はれた、と云ふ過去の事実を ぬへに知しめたのであつた。吃驚したなあもう。がちょをん。(←この部分、時代考証に責任持てません)

参照されたし→ 大相撲情報局



。。骨董市つながり、と云ふ事で。 (^◇^;)