昨日、伊豆の国市の狩野川薪能実行委員会から、去る7月8日に ぬえらが中心になって行った薪能の画像が送られてきました。サイトの方にアップしておきましたので、ぜひご覧下さいまし~~
さて話題がズレてきてしまっているなあ。。と思いつつ、結婚式での『高砂』の謡について、と松戸での能楽講座でやはり『高砂』を謡ってみせたので、これらを絡ませてればなんとか話題は元に戻ろう。
今回の松戸能楽講座では謡について少し触れました。いわくヨワ吟とツヨ吟の違いを、謡ってみせる事で体感して頂くのです。このへん、このブログを読まれている方は謡の稽古をしておられる方ばかりではないのでちょっと面白い話題かも。
能の声楽の部分は「詞=コトバ」と、「謡」とか「節」と呼ばれる部分とに大別できて、「詞」はいわゆるセリフ、「謡」は歌と考える事ができます。「詞」はセリフに近いものですが、その抑揚には決マリがあって、純然たるセリフとはちょっと違います。そしてこの「詞」の部分も「話す」ではなく「謡う」と称するので、やはり声楽の一部とも考えられる、ちょっと特殊な位置づけになりますね。ぬえが思うに、能ができるだけリアリズムから離れて、様式の中で演技を構築していくうえで、謡ほど束縛がないはずのセリフの部分の抑揚にも決マリを設けてあるのでしょう。
さて謡の部分ですが、これも二つに大別できて、ひとつはピアノでもメロディをなぞれるほど豊かな音階を持った「ヨワ吟」で、もう一つは“メロディのない歌”である「ツヨ吟」です。メロディがない歌、というのはちょっと不思議ですね。モンゴルのホーミーのように、基本的に音階構造に対する意識がない歌(?)も世界には例があるかもしれないけれど、能の「ツヨ吟」は幕末頃に「ヨワ吟」から変化した、とされていて、上演の歴史の中で“敢えてメロディを捨てた”と言っても良いかもしれません。一方では「ヨワ吟」はちゃんと残っていて、場面や曲目によってどちらの謡い方で謡うかが決められているので、能の声楽はかなり音楽的に高度に洗練されている、と ぬえは感心しています。。囃子の音楽理論はもっと高度で精緻だとは思いますけれども。(どうして場面で謡い方を変えるのか、についての考察は長くなるのでまた別の機会に。。また「ツヨ吟」と「ヨワ吟」の両方の特徴を持つ「和吟」という謡も、例外的ではあるけれど存在している事も、ここでは指摘だけしておきます)
で、『高砂』のような祝言性の高い曲の場合はほとんど「ツヨ吟」で謡われるのですが、だからこそ声のダイナミズムで謡わないと、まるでお経を読んでるみたい。(^^;) 時代劇番組などで結婚式(祝言をあげる、ってヤツですね)の場面で『高砂』が謡われる事がありますが、あれが滑稽に聞こえるのは、役者さんは謡の発声の訓練を受けていないからで、めでたい場面で抑揚のない陰気な『高砂』ではいかにも ちぐはぐで、だからおかしいのです。
ところで なぜ結婚式で『高砂』の待謡の部分を謡うのでしょうか。
これについてはハッキリとした理由付けは ぬえはこれまで目にした事がありません。詞章の内容から言うとワキ(阿蘇宮神主友成)が松の精である前シテ・ツレの老人夫婦に誘われるままに高砂浦から船出して住吉大社に向かう、というもので、『高砂』の能全体の中でも、もっとも祝言性が希薄な部分とも言えます。船出して未知の土地に向かう。。この姿が 新郎の家に嫁ぐ新婦の姿と重なる、という見方もあるでしょうが、ぬえは違う考えを持っています。
この待謡というもの、複式夢幻能の形式の能にはほとんど必ずあるものですが、要するに後シテを「待ち受ける」ための謡。。言い換えれば後シテを勧請する「言寄せ」のような呪術性を発揮する機能があるのではないか、と ぬえは思っています。典型的な待謡はワキ僧が読経している場面である事からも、これは首肯できるでしょう。『高砂』では詞章こそ船出なのですが、むしろこの待謡が終わったところで、この能では後シテの住吉明神が登場して、この現世を言祝ぐのだ、というところに注目するべきだと思います。結婚式の場で新しい門出を迎える二人のために神の加護を祈る。。彼らのもとに神が降臨して祝福する事を呪術的に約束するのが、ここで待謡が謡われる理由だ、と ぬえは考えます。仲人がそれを謡うのが本来であるならば、「人」として二人を繋ぐ役割である仲人としてはシテの部分を謡って「神」に扮するよりも、「人」であるままで、目に見えぬ神を新郎新婦のために呼び寄せる呪術を行う事の方が遙かにその役割に合致しているでしょう。そして、周囲の「人」が神に扮して直接的に新郎新婦を祝福するよりも、神を呼び寄せて、神そのものは目に見えぬままに「ここにおわす」と信じる方が、日本人の文化に合致していると思います。
結婚式の話題でこんなに書くことがあるとは思わなかった。次回こそ最終回。「結婚式で本当にあった話」。
さて話題がズレてきてしまっているなあ。。と思いつつ、結婚式での『高砂』の謡について、と松戸での能楽講座でやはり『高砂』を謡ってみせたので、これらを絡ませてればなんとか話題は元に戻ろう。
今回の松戸能楽講座では謡について少し触れました。いわくヨワ吟とツヨ吟の違いを、謡ってみせる事で体感して頂くのです。このへん、このブログを読まれている方は謡の稽古をしておられる方ばかりではないのでちょっと面白い話題かも。
能の声楽の部分は「詞=コトバ」と、「謡」とか「節」と呼ばれる部分とに大別できて、「詞」はいわゆるセリフ、「謡」は歌と考える事ができます。「詞」はセリフに近いものですが、その抑揚には決マリがあって、純然たるセリフとはちょっと違います。そしてこの「詞」の部分も「話す」ではなく「謡う」と称するので、やはり声楽の一部とも考えられる、ちょっと特殊な位置づけになりますね。ぬえが思うに、能ができるだけリアリズムから離れて、様式の中で演技を構築していくうえで、謡ほど束縛がないはずのセリフの部分の抑揚にも決マリを設けてあるのでしょう。
さて謡の部分ですが、これも二つに大別できて、ひとつはピアノでもメロディをなぞれるほど豊かな音階を持った「ヨワ吟」で、もう一つは“メロディのない歌”である「ツヨ吟」です。メロディがない歌、というのはちょっと不思議ですね。モンゴルのホーミーのように、基本的に音階構造に対する意識がない歌(?)も世界には例があるかもしれないけれど、能の「ツヨ吟」は幕末頃に「ヨワ吟」から変化した、とされていて、上演の歴史の中で“敢えてメロディを捨てた”と言っても良いかもしれません。一方では「ヨワ吟」はちゃんと残っていて、場面や曲目によってどちらの謡い方で謡うかが決められているので、能の声楽はかなり音楽的に高度に洗練されている、と ぬえは感心しています。。囃子の音楽理論はもっと高度で精緻だとは思いますけれども。(どうして場面で謡い方を変えるのか、についての考察は長くなるのでまた別の機会に。。また「ツヨ吟」と「ヨワ吟」の両方の特徴を持つ「和吟」という謡も、例外的ではあるけれど存在している事も、ここでは指摘だけしておきます)
で、『高砂』のような祝言性の高い曲の場合はほとんど「ツヨ吟」で謡われるのですが、だからこそ声のダイナミズムで謡わないと、まるでお経を読んでるみたい。(^^;) 時代劇番組などで結婚式(祝言をあげる、ってヤツですね)の場面で『高砂』が謡われる事がありますが、あれが滑稽に聞こえるのは、役者さんは謡の発声の訓練を受けていないからで、めでたい場面で抑揚のない陰気な『高砂』ではいかにも ちぐはぐで、だからおかしいのです。
ところで なぜ結婚式で『高砂』の待謡の部分を謡うのでしょうか。
これについてはハッキリとした理由付けは ぬえはこれまで目にした事がありません。詞章の内容から言うとワキ(阿蘇宮神主友成)が松の精である前シテ・ツレの老人夫婦に誘われるままに高砂浦から船出して住吉大社に向かう、というもので、『高砂』の能全体の中でも、もっとも祝言性が希薄な部分とも言えます。船出して未知の土地に向かう。。この姿が 新郎の家に嫁ぐ新婦の姿と重なる、という見方もあるでしょうが、ぬえは違う考えを持っています。
この待謡というもの、複式夢幻能の形式の能にはほとんど必ずあるものですが、要するに後シテを「待ち受ける」ための謡。。言い換えれば後シテを勧請する「言寄せ」のような呪術性を発揮する機能があるのではないか、と ぬえは思っています。典型的な待謡はワキ僧が読経している場面である事からも、これは首肯できるでしょう。『高砂』では詞章こそ船出なのですが、むしろこの待謡が終わったところで、この能では後シテの住吉明神が登場して、この現世を言祝ぐのだ、というところに注目するべきだと思います。結婚式の場で新しい門出を迎える二人のために神の加護を祈る。。彼らのもとに神が降臨して祝福する事を呪術的に約束するのが、ここで待謡が謡われる理由だ、と ぬえは考えます。仲人がそれを謡うのが本来であるならば、「人」として二人を繋ぐ役割である仲人としてはシテの部分を謡って「神」に扮するよりも、「人」であるままで、目に見えぬ神を新郎新婦のために呼び寄せる呪術を行う事の方が遙かにその役割に合致しているでしょう。そして、周囲の「人」が神に扮して直接的に新郎新婦を祝福するよりも、神を呼び寄せて、神そのものは目に見えぬままに「ここにおわす」と信じる方が、日本人の文化に合致していると思います。
結婚式の話題でこんなに書くことがあるとは思わなかった。次回こそ最終回。「結婚式で本当にあった話」。