ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

太鼓入りの『梅枝・越天楽』(その6)

2008-01-25 00:35:05 | 能楽
昨日は横浜能楽堂で催されたNHK能楽鑑賞会で梅若六郎師の『安宅 勧進帳・滝流』の地謡を勤めて参りました。変幻自在の六郎師。先日の『梅枝』とはまったく次元が異なったような能を、まったく自然に勤めておられるお姿を拝見できて ぬえは幸せでした。力強く、でも力みなく。。ぬえ、尊敬しちゃうなあ。

それでも公演当日は演者にとって必ずしも条件が良いわけではなかったと思います。開演前にカメラリハーサルがあって、部分的にではありましたが上演があって、それから『安宅』の本番の上演までは3時間以上の待ち時間があって。そのうえ上演時には舞台の上はものすごく乾燥していましたね~。地謡の ぬえも喉がカラカラで苦しかったし、おシテもやや苦しそうでした。当日収録された『安宅』も良かったけれど、申合はもっと良かった、と思います。テレビ収録ということで普段の公演とは勝手が違うところもあり、こういうところはベストコンディションで本番の上演を迎えられるように自分のクオリティを持っていくのは難しいですね。

さて『梅枝』。

そういえば『富士太鼓』で妻が太鼓を打つその曲は、はじめは曲にならない「攻め鼓」。持ちたる撥をば剣と定めて打つのです。ところが内裏の中という公的な場で修羅の太鼓を打って心を晴らした彼女がそのあとに打ったのは天下国家を鎮静する「五常楽」「千秋楽」。一方『梅枝』で彼女が住吉の小さな庵で懺悔のために奏す曲は、昔物語をはじめる時刻の「夜半楽」、住吉の景物の海の「青海波」、梅に宿る鶯が奏でる「越天楽」「梅枝(催馬楽の曲)」。。そして最後に演奏されたのが「想夫恋」。。『富士太鼓』と比べるとずっと彼女の心情を反映した曲ばかりが登場するのですね。そして彼女はこう付け加えます。「思へば古を語るはなほも執心」。。どこまでも彼女個人の心情の動きに、演奏された曲がハーモニーを奏でているというか。。よく練られ考えられて作られている曲だと思います。

さて、この「富士この役を賜るに依って」文句に話を戻して、これをおシテが謡わなかった事を疑問に思った ぬえは、終演後に後見に聞いてみました。その答えは。。「ああ。その一句はね、うちには無いんだよ」

。。そうだったのか。。六郎家にはこの句がない。。そう言われて気がついて、当日の公演パンフに別紙で挟み込まれている上演詞章を見てみました。なるほど。。ここにもこの一句が載っていない。。この上演詞章は、シテやワキなどの流儀の組み合わせによって、それぞれの流儀の謡本を機械的に組み合わせて作るのではなく、公演のたびに国立能楽堂から演者に校正の依頼があって、当日の上演の通りの詞章を掲載する事に注意が払われているものです。

先人がどう考えてこの句を削ったのか。。その理由は今となっては判明するにたどり着くのは容易ではないでしょう。しかし、もしも『富士太鼓』との内容の食い違いや、まして ぬえが気づいたように間狂言の語る物語との齟齬にまで思いを巡らして削除に踏み切ったとしたならば。。それは演者としての先人の卓見として、敬服して認めなければならないでしょう。う~ん勉強のタネは尽きないねえ。。

こんなワケで ぬえが今回の『梅枝・越天楽』について考えたことのご報告を終わらせて頂きます。

ぬえは、この上演に参加させて頂いて、いろいろ勉強させて頂きましたし、六郎師の実演を間近に拝見させて頂く貴重な機会に恵まれて感謝の気持ちも持っております。それにしても。。今回もっとも印象的だったのは、後シテが萌黄色の長袴を穿いて登場された事だったでしょうか。上演前の楽屋でこのお装束が並べられているのを見た ぬえは本当にビックリ! そして実演を拝見して、長袴の裾を見事にさばきながらクセを演じ、楽を舞うおシテの姿には またまたビックリ。『葵上』とか『道成寺』のような動きの激しい曲ならば、裾にさえ気を付けていれば長袴も苦にはならないでしょうが、一歩一歩と静かに歩みを進めるクセや舞で長袴を苦もなく使いこなしておられる。。う~ん、とても ぬえには到達できそうもない技術だなあ。。(あとで楽屋で聞いた話では六郎師、「やっぱり長袴だとラクだった」とおっしゃったらしい。。驚愕。。)

考えてみれば『草紙洗小町』の小書「替装束」ではシテは長袴で中之舞を舞う例があるし、ちょっと意味は違いますが男の役では『望月』に小書がついた場合や『木曽』ではやはり長袴で舞を舞います。でもクセを長袴で舞う、という曲は。。ぬえがど忘れしているだけかもしれませんが、ちょっと考えつかないです。。