ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

太鼓入りの『梅枝・越天楽』

2008-01-18 23:49:58 | 能楽
今日は国立能楽堂の定例公演、梅若六郎師の『梅枝・越天楽』があり、ぬえも地謡に参加させて頂きました。お正月から六郎先生のお舞台に参加できて、ぬえ、今年はとても幸運です。さて ところで、じつは ぬえは『梅枝』の地謡を謡うのは初めてなのです。なかなか上演されない稀曲の部類に入る曲ではありましょうが、まあ ぬえも仕舞や舞囃子の地謡程度は謡った覚えがあるものの、前場の地謡はまったく頭に入っておらず、どうやら素謡で謡った事さえないようです。今回はじめて『梅枝』の地謡を全曲に渡って覚えました。ところが今回の『梅枝』はちょっと変わっていて、「越天楽」の小書が付いていまして、そのうえ太鼓方が出演されたのです。

『梅枝』、その類曲である『富士太鼓』、そして『天鼓』の三曲は、シテが同じ「楽」を舞う曲ながら、太鼓が入らない「大小楽」を舞う事が大きな特徴です。なぜこの三曲だけが「大小楽」なのか。。いろいろと理由は考えられているようですが、明確な説明はいまだ提出されていないのが現状でしょう。よく言われるのは この三曲には共通して「太鼓の作物」が舞台上に出されるので、囃子方の中の太鼓がその作物と重複するため、あえて太鼓を入れないで上演するのだ、という説明。しかし脇能である『難波』には同じように太鼓の作物が出される(観世流の場合は「鞨鼓出之伝」の小書の時だけ)のに太鼓が参加している、とか、『天鼓』でも下掛りでは太鼓が参加する(ただし出端だけを打ち「楽」は打たない)し、観世流の『天鼓』でも「弄鼓之舞」の小書が付けられる場合は やはり太鼓が入る とか、例外がたくさんあって、どうも もう一つ説得力には乏しいように思います。

この三曲の中で『天鼓』は「楽」を舞う後シテが童子で、とても明るい曲ですので、この後シテの場面に太鼓が入ることも、理由はともあれ効果的。ですから観世流でも「弄鼓之舞」での上演される機会が圧倒的に多いように思います。ところが『梅枝』『富士太鼓』はともに同じ人物 ~夫を殺害された妻~ で、夫の形見の装束を着て、同じく形見の太鼓を打っては思いが高じて狂乱する、という、深刻な内容の曲です。ですから この二曲には「どんな場合も太鼓が入ることは絶対にない」。。と、ぬえは思っていました。。今日までは。

今回の『梅枝・越天楽』に太鼓が入る事は、去年の秋頃に番組を見て知ったのですが、いや それを知った時は本当に驚きました。そして今日楽屋で配られた上演パンフで事情を知ったのです。村上湛氏の解説によれば「本日は珍しい小書・越天楽による上演です。これは、太鼓の入らない常の〔楽〕に替えて、太鼓入りの〔盤渉楽〕(略)を舞う演出。観世流梅若派に伝わり、二世梅若実、先代梅若六郎が演じた記録があります。今回は過去に当代梅若六郎と金春惣右衛門とが工夫を加えた改訂版。(略)」。。いや、同じ梅若家の門下なのに。。不勉強ながら ぬえはこの事情をまったく知りませんでした。お恥ずかしい。。

そういうワケで、どこを見ても初めての経験だらけの上演への参加となりましたが、地謡は絶対に間違えないようにシッカリと覚えたし、申合で能全体の構造もよくわかったので、当日はまあ安心して舞台に出ることはできました。

それにしても。。このように演出としてカッチリと仕組まれた部分は、勉強したり、実演に参加する事で仕組みを理解するのは、まあ可能でしょう。ぬえは今回の公演で「それ以外の部分」に たくさんの発見を得る事ができました。これは大きな収穫でしたね~。

次回、少しくご紹介してみたいと思いますが、まずはこの能について知った事を、忘れないように早めに ぬえの「上演控え帳」に記しておかねば。