ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

扇の話(その2)

2008-01-28 22:49:38 | 能楽
あ~、そうだそうだ、扇のお話をしていたのでした~。前回、シテ方各流が使う扇の話から、とくに観世流の「尺一扇」のお話をしました。観世流の扇は一尺一寸という、五流の中ではもっとも大きい扇を使い、そこに観世水の文様を描いたものを流儀の扇としています。尺一扇には、その親骨に ほかのお流儀の扇にはない三箇所の透かし彫りが入れられているのも大きな特徴ですが、尺一という寸法も、三箇所の透かし彫りも、じつは能の役が持つ扇「中啓」が持っている特徴です。ですから観世流の扇は中啓を元にして、それを鎮メ扇に作り替えたもので、ほかのお流儀で使う扇は中啓とは別に、はじめからそれぞれのお流儀の独自の鎮メ扇を定めたのかもしれませんね。ちなみに鎮メ扇にはこのようにシテ方各流によって長さも親骨の形も様々なのですが、中啓には流儀による仕立ての区別はありません。ですから、能のシテやワキ、ツレなどが持つ中啓は、すべて観世流の鎮メ扇と同じ三箇所の透かし彫りがなされている、同じ仕立てのものを使うのです(そこに描かれる文様は、曲目により流儀により、様々な違いがあります)

で、観世流の尺一扇に話を戻して、さきに ぬえは観世流の鎮メ扇には中啓と同じ三箇所の彫り物がある、と書きましたが、厳密にはそうばかりではありません。梅若の扇は仕立てこそ観世流と同じで、寸法も尺一なのですが、三箇所の透かし彫りは「松葉」の形になっています。ちょっと画像でご紹介できればよかったんですが。。じつは ぬえの師家は梅若家ですけれども、この「松葉」の鎮メ扇は使っておりません。「松葉」の扇をもっぱら使っておられるのは六郎先生のお家で、ぬえの師家である梅若万三郎家では観世流の扇を使うのです。これは、戦前から戦後の一時期まで続いた、いわゆる「観梅問題」。。観世流から梅若家が独立しようとした問題が複雑な経緯をたどって、今にまで影響を残しているのです。もちろん今では梅若家も観世流の中にあって、三家あるそれぞれの梅若家はお互いに親密に交流しております。先日も六郎先生がおシテを勤められ、ぬえの師匠が地頭を勤めた能が二度もあって、そのどちらにも ぬえもお手伝いに参上させて頂きました。

面白いのは、梅若六郎先生のお家では、扇の透かし彫りの違いだけではなくて、能のときに地謡が扇を構える、その扇の持ち方が、ちょっと独特ですね。ご存じの通り、能では(シテ方のどのお流儀の場合も)地謡は膝の前に扇を立てて、要を床につけて構えて謡います。このとき、扇の地紙の面を自分の正面の方に向けて、扇を立てて構えています。わかります? ちょうど、脇正面のお客さまの方に向けて、そちらの方面から見れば扇の親骨の透かし彫りも、地紙も見えるように構えるわけです。

ところが六郎先生のお家ではこれとは逆に、扇の親骨を舞台の正面の方に向けて持っておられますね。つまり正面のお席から親骨が見えるように扇を構えるのです。ですから、先日のように混成部隊の地謡の場合は、扇をどちらのお家のやり方に合わせて構えるのか、と地謡があらかじめ話し合わないと、扇の持ち方がバラバラになってしまいます。まあ、普通は地頭の方のやり方に合わせるのが自然で、先日テレビ収録があった『安宅』でも、地謡8名のうち六郎先生のご門下が5名までを占めていて、ぬえの師家からは師匠を含めて3名しか参加していなかったのですが、地謡の中から自然に「今日は万三郎先生が地頭だから、そちらのやり方に合わせて扇を構えましょう」と打合せがまとまりました。

話は飛ぶけれど、この『安宅』の収録の楽屋で、ぬえも久しぶりに六郎先生の門下の友人と旧交を温めましたし、他門のお舞台にご一緒させて頂けるのは勉強の良い機会にもなりました。お囃子方のお手伝いに来ていた友人からも「ぬえくん、こういう他流試合みたいな機会に呼ばれて嬉しいんだろう?」と聞かれて「うん。。うれしい」と答えたら「ぬえくん、こういうの好きそうだもんなあ」だって。それと可笑しかったのは、だいいたいみんなの装束の着付が終わったところでNHKの担当者の方が「着付ができた方から あちらの別室に行ってメイクしてもらってくださ~い」と言われていたこと。メイク!? やっぱり登場人物が直面ばかりだと修正されちゃうんでしょか。。メイクされた山伏が顔を見合わせて、もう開演前だというのに楽屋は大爆笑でした。。