楽屋での録音を頼りに、記憶の糸をたぐり寄せつつ、長い時間を掛けて『梅枝・越天楽』の演出と演奏を ぬえの上演控えに書き留めました~。いや、しんど。申合と当日と、2度拝見しているわけですから もう少し細部まで覚えているかと思いきや、地謡座にいながらおシテの動作をジロジロ見るわけにはもちろんいかないので、型の細部までは書き留めるには到っておりませんが。。 数ヶ月後、これは国立能楽堂の定例公演でしたから上演ビデオが能楽堂地下の図書室で一般に公開されるでしょう。その時に ぬえも上演ビデオを拝見して細部を確認しようと思います。この上演についてご興味のおありになる方がおられれば、同じように数ヶ月後に図書室をお訪ねください。
さて今回の『梅枝』で、ぬえにとっては「越天楽」の小書が付けられていたために常とは変わる演出の部分、そしてそこに太鼓が入るというという点が非常に大きな興味でありました。当然ではありますが。太鼓云々については前回ご紹介したように公演パンフに「今回は過去に当代梅若六郎と金春惣右衛門とが工夫を加えた改訂版」とありましたが、ぬえの友人の太鼓方に聞いたところ「その初演のとき、僕は書生だったので拝見してたよ」と意外な答えが返ってきました。ふむ、ということは今回のバージョンが作られたのは今から20年も遡らない新しい演出なのか。。と言っても梅若家には太鼓入りの「越天楽」は昔から伝えられていたワケですから、それとこの新演出とがどう違うのかは不明で、同じパンフに前掲の部分に加えて「〔盤渉楽〕の舞上げで太鼓を打ち納めず「うつつなの我が有様やな」まで打ち延べ、狂乱の趣を強調します」と記されている通り謡の部分まで太鼓を打ち続けるところが新作なのかもしれません。
もっとも、この「盤渉楽」のあとの地謡の部分を打つ、のは実は大変でして、太鼓では普通打たない平ノリの拍子当たり、そのうえ「片地」と呼ばれる6拍で終わる変拍子の句まであるのです。「〔盤渉楽〕の舞上げで太鼓を打ち納め」るのが梅若家に伝わる「越天楽」であるとするならば、それは太鼓方としては至極当然な作曲であったはずと思われます。ところが、この難しい平ノリの部分、それも たった4小節の平ノリのあとには、再びノリのよい、いかにも太鼓が乗りそうな大ノリの謡が続く。。ですから、この4小節の平ノリを克服する太鼓の手を作曲して、大ノリにまで繋げたのが、新バージョンの「越天楽」の最大の功績なのだと言えると思います。
ちなみに6拍までしかない変拍子の「片地」は、じつは狂言アシライには しばしば登場するのだそうですね。それならば「越天楽」の盤渉楽あとの「片地」もそれを応用して簡単に作曲できるのではないか、と思われがちですが、狂言方が謡う謡の音律やリズムパターンは能のそれ(大ノリとか平ノリ)よりもずっと多種で複雑であるうえ、アシライの演奏。。つまり作曲にも一定の約束事があるので、単純に能の平ノリに移植することはできなかったのかもしれません。
かくして盤渉楽が終わると同時に太鼓も打ちやめてしまうのではなく、大ノリの部分まで太鼓が続く、作曲としては むしろ自然な流れになった新「越天楽」ですが、ぬえが面白く感じたのは、その大ノリの部分に付けられていた大小鼓の手組。これは地謡を覚えているときに気がついたのですが、この部分の大小鼓の手組は太鼓が入る事を想定して作曲されていません。これは当然で、『梅枝』には太鼓が入っても不思議ではないほどノリの良い地謡の作曲がなされているのに、太鼓は入らない事が前提であるから、大小鼓だけで打つのに効果的であるように手組が作曲されているのです。ただ、このままでは、今回のように いざ太鼓が演奏に加わると、とたんにこの手組では齟齬が起こってしまうのです。実演を拝見したところ、やはりこの大ノリの部分も今回は太鼓が入ったために大小鼓の手も少し変更が加えられてありました。なるほど~
でも ぬえが今回『梅枝』で発見したのは、もうちょっと違う点だったのです。。
さて今回の『梅枝』で、ぬえにとっては「越天楽」の小書が付けられていたために常とは変わる演出の部分、そしてそこに太鼓が入るというという点が非常に大きな興味でありました。当然ではありますが。太鼓云々については前回ご紹介したように公演パンフに「今回は過去に当代梅若六郎と金春惣右衛門とが工夫を加えた改訂版」とありましたが、ぬえの友人の太鼓方に聞いたところ「その初演のとき、僕は書生だったので拝見してたよ」と意外な答えが返ってきました。ふむ、ということは今回のバージョンが作られたのは今から20年も遡らない新しい演出なのか。。と言っても梅若家には太鼓入りの「越天楽」は昔から伝えられていたワケですから、それとこの新演出とがどう違うのかは不明で、同じパンフに前掲の部分に加えて「〔盤渉楽〕の舞上げで太鼓を打ち納めず「うつつなの我が有様やな」まで打ち延べ、狂乱の趣を強調します」と記されている通り謡の部分まで太鼓を打ち続けるところが新作なのかもしれません。
もっとも、この「盤渉楽」のあとの地謡の部分を打つ、のは実は大変でして、太鼓では普通打たない平ノリの拍子当たり、そのうえ「片地」と呼ばれる6拍で終わる変拍子の句まであるのです。「〔盤渉楽〕の舞上げで太鼓を打ち納め」るのが梅若家に伝わる「越天楽」であるとするならば、それは太鼓方としては至極当然な作曲であったはずと思われます。ところが、この難しい平ノリの部分、それも たった4小節の平ノリのあとには、再びノリのよい、いかにも太鼓が乗りそうな大ノリの謡が続く。。ですから、この4小節の平ノリを克服する太鼓の手を作曲して、大ノリにまで繋げたのが、新バージョンの「越天楽」の最大の功績なのだと言えると思います。
ちなみに6拍までしかない変拍子の「片地」は、じつは狂言アシライには しばしば登場するのだそうですね。それならば「越天楽」の盤渉楽あとの「片地」もそれを応用して簡単に作曲できるのではないか、と思われがちですが、狂言方が謡う謡の音律やリズムパターンは能のそれ(大ノリとか平ノリ)よりもずっと多種で複雑であるうえ、アシライの演奏。。つまり作曲にも一定の約束事があるので、単純に能の平ノリに移植することはできなかったのかもしれません。
かくして盤渉楽が終わると同時に太鼓も打ちやめてしまうのではなく、大ノリの部分まで太鼓が続く、作曲としては むしろ自然な流れになった新「越天楽」ですが、ぬえが面白く感じたのは、その大ノリの部分に付けられていた大小鼓の手組。これは地謡を覚えているときに気がついたのですが、この部分の大小鼓の手組は太鼓が入る事を想定して作曲されていません。これは当然で、『梅枝』には太鼓が入っても不思議ではないほどノリの良い地謡の作曲がなされているのに、太鼓は入らない事が前提であるから、大小鼓だけで打つのに効果的であるように手組が作曲されているのです。ただ、このままでは、今回のように いざ太鼓が演奏に加わると、とたんにこの手組では齟齬が起こってしまうのです。実演を拝見したところ、やはりこの大ノリの部分も今回は太鼓が入ったために大小鼓の手も少し変更が加えられてありました。なるほど~
でも ぬえが今回『梅枝』で発見したのは、もうちょっと違う点だったのです。。