ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

扇の話(その11) ~どの鬘扇? なぜ修羅扇?<2>

2008-02-15 04:04:08 | 能楽
次は紅入鱗箔鬘帯。いろいりうろこはくかつらおびと読みます。鬘帯は頭に締めるヘアバンド。。ってのも死語だね、こりゃ。最近はこれに該当するものを見ませんです。敢えて言えば。。ハチマキでしょうか。これまた運動会が連想されてしまって ちょっと。。ですが。

紅入は鬘帯に限らず装束全般に言う言葉で、文様や生地に紅色の入ったものを呼び、役柄が若いことを表します。鬘帯の場合は紅入といったら普通は合引(あいびき)の部分が紅色である事が多いです。鬘帯は額から両側のコメカミあたりまでと、それから後頭部から背中に垂らす部分が堅く織られていて、それを繋ぐ薄い生地の部分を頭に結んで着付けることになりますが、その薄いつなぎの部分を合引と呼んでいます。鱗箔の「鱗」は三角形を組み合わせて蛇の鱗を表現する日本古来の文様で、嫉妬した女性が蛇に変身して復讐する、という、これまた日本古来のイメージを投影したもの。鱗箔という場合は、三角形の鱗文様そのものを金箔や銀箔で表したり、あるいは鱗文様は色糸で表して、その隙間を金箔で埋めることを指します。般若の面を掛ける場合は必ず装束のどこかに鱗文様を入れるのが決マリで、鬘帯を締める場合は鱗箔の鬘帯を締めるわけです。もっとも『葵上』の場合は「泥眼」を掛けている。。まだ人間性も保った前シテが鱗箔の鬘帯を締めることで、心の中は嫉妬の炎が燃えさかり、いわば蛇に変身する直前、という心情を表現します。

襟--白二は着付(女性の役の場合はほとんどの場合摺箔)の襟元から数ミリだけ顔を覗かせている襟のことで、その色によってその役の性格を表現しています。『葵上』の場合はその色が 能の中でもっとも高位とされる白で、それをさらに二枚重ねて着ける、ということです。白の襟を二枚というのは本三番目の能のシテとか、るいは『翁』が着ける場合に限られていて、四番目、または略切能という扱いであるはずの『葵上』は破格だといえます。これは役柄こそ生霊となって恋敵の命を狙う者ながら、本説は『源氏物語』で、シテは東宮妃でもあった上臈だからでしょう。この襟と鱗箔の鬘帯とのミスマッチが『葵上』の前シテのミステリアスな人物像を形作っています。ところで能の役が着ているものの中で襟だけは装束と言えるかどうか。。

能の役が使う襟は麻か綿のちょっとした台にその色の羽二重の襟を縫いつけただけのもので、ちょうど和服の襦袢に縫いつける半襟を想像して頂けるとイメージとしては似ていると思います。半襟は襦袢に縫いつけてありますが、襦袢を洗うときには外して、そして改めて縫いつけますよね? 能の場合、襦袢にあたるのが厚い綿入れの「胴着」と呼ばれるもので、これは洗いません。というか、能装束というものはすべて洗わない。それは生地が絹だからです。だから胴着に綿を入れて、演者の汗が装束に染みないように配慮しています。それこそ装束の中で演者の肌に直接触れる部分と言ったら。。袖口だけじゃないでしょうか。一方、胴着は汗だらけになりますが、これまた羽二重の生地で出来ているので洗いません。だから公演が終わるとすぐに胴着は(少し霧吹きをして)陰干しをして汗を乾かします。そうすると汗くさい、という事はありませんね。もっとも胴着は使い込むと汗染みだけは目立ってきますが、前述の霧吹きをキチンとやっていれば全体的には色あせて来るけれども、輪染みみたいなことにはなりません。

そんなわけで襟は、洗わない胴着に付けるわけですし、また中入で装束を着替えたときに役の性格が全く変わってくる場合(『船弁慶』とか『殺生石』とか。。でもまあ、化身である前シテと本性を現した後シテとの性格が一致しないのは当たり前でもありますが。)には胴着はそのままに襟だけを替えるので、襟は着脱可能になっています。女性の和服の場合、襟にあたる部分を巻き込んで着付けますね? ちょうどあのように、胴着に襟を重ねて一緒に巻き込んで、その上に着付となる摺箔などを着込むことで、襟はちょっとだけ襟元から見える程度に着付けられています。

そんでもって、胴着と同じく演者の肌に直接触れる襟は、どうしても汗によるダメージがあるので、これは公演が終了すると洗います。台は麻か綿とはいえ、襟自体は羽二重なのに。。洗います。もちろん絹なので多少縮むのですが、これはアイロンをかけてしっかり伸ばして。。どう考えても「酷使」と言うよりほかはない。。だから状態が悪くなれば襟を台から外して付け替える事も必要になってきます。

結局、襟は「消耗品」の部類に入るのではないかと思います。下着として演者の汗をそのまま受け止める胴着だってあんまりヨレヨレになってくれば買い換えるしかないし、その仲間。一方 装束は100年間は持ちこたえて立派に舞台に光彩を放つわけですから、ほんの少しとはいえ襟元から露出してその役の性格を物語る襟は、意味としては装束の仲間であるのに、やはり演者の肌に触れて酷使される、という点で下着の同類。ですから、襟は演者それぞれが自前のものを胴着と一緒に用意して楽屋入りします。師匠に装束を拝借しても、胴着と襟は演者個人のものを用意するのです。

あ。。扇の話に戻るまで先が長そうだが。。なんだか こういう説明も面白くなってきた。。