ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

殺生石/白頭 ~怪物は老体でもやっぱり元気(その7)

2009-04-19 01:04:55 | 能楽
一時的に舞台上から消え去る役目の者が着座する場所=狂言座。しかしこの場所を狂言座と呼ぶのは、別に狂言方がシテ方やワキ方と比べて差別されているのではなくて、この場所に着座するのがほとんど狂言方に限られているという理由による単純な呼称でしょう。これは、能という劇がシテとワキとの対立をプロットの基本においていて、それだけではカバーしきれない役割を狂言方が担当している、という独特の台本の構造にもよるのだと思います。こういう意味合いであってくれば、狂言方は能の中で必要な場面だけに活躍して、そのほかの場面ではシテとワキとの対立を邪魔せずに控えていた方が都合がよいはずです。シテ方やワキ方の演技の質とはまた少し違ったあの狂言独特の機敏な動作で、必要な場面で能の台本を補完し、また能にちょっとした味付けをするのが狂言方の魅力でしょう。

狂言座が「舞台から一時的に消え去る役目の者が座る場所」というネガティブな意味合いの場所でない証拠には、じつは同じような意味を持つ場所はほかにもいくつかあることも挙げられるのです。たとえば後見座もその一つですし、囃子方の後方というのもあります。

後見座は能の中でシテやツレが舞台上で扮装を替えるときに着座する場合がこの代表的な例で、『羽衣』や『杜若』など例は枚挙に暇がありません。囃子方の後方に着座するのは、『望月』や『安宅』、『仲光』などに例がありますが、いずれの場合もここにクツログのはシテではなくてツレや子方に限られ、またこの場所は「主に」直面の役が着座するように ぬえは感じています。なお囃子方の後ろにワキはクツログことはないように思うのですが、『邯鄲』『花筐』など、輿舁の役のワキツレは囃子方の後方に一時的に着座しますね。もっともその場合は「囃子方の後方」というよりは「鏡板の前」という感じの場所で、微妙にその着座位置に違いがあります。

また、同じように一時的に消え去る役の着座位置として、例は少ないですが脇座の隅の欄干ぎわ、ということもあります。『安宅』や『皇帝』に例があり、前者ではワキと狂言が、後者ではツレの鬼神が控えて、一時的に舞台から消え去ったことを表します。

ついでながら、狂言座という場所はほとんど間狂言が着座する場所なのですが、例外もありまして、『小袖曽我』ではトモが、そして『望月』ではシテがここに着座します。これらはいずれも「一時的に舞台から消えた役」で、本来後見座にクツログべきところ、その時同時に「舞台から消えた」役がほかにもいて、その役者には物着など後見の手助けが必要であるため後見座にクツロギ、そのために仕方なく後見の手が必要でない役は後見座に はみだして着座しているのです。

『小袖曽我』では能の冒頭に弓矢を持った曽我十郎(シテ)五郎(ツレ)が登場し、二人の従者(トモ)がそれに付き従っていますが、この弓矢は能の冒頭部分にしか必要がないので、それが不要になると一行は後見座に一旦クツロギ、このときシテとツレは後見に座って後見に弓矢を渡しますが、二人のトモにはもう後見座に着座するスペースは残されておらず、それで二人は後見座ではなく狂言座に着座します。

また『望月』では敵の投宿を知ったシテ・ツレ・子方が橋掛りで仇討ちの相談をし、その結果ツレと子方は盲瞽女と八撥打ちというそれぞれ芸人に扮し、宿屋の亭主であるシテが彼らを敵に紹介して近づくことになります。さてその談合がまとまると、ツレと子方は芸人に扮装を改めるために後見座にクツロギ、シテはそれを見守るように(実際にはシテがツレと子方の扮装を整えてあげているのです)狂言座に着座します。

で、ようやく話題は『殺生石』に戻って。。(^_^;)

呼び止められて訝しむワキに対して、シテは凄みを持って登場して、制止した理由を述べます。

シテ「それは那須野の殺生石とて。人間は申すに及ばす。鳥取畜類までもさはるに命なし。かく恐ろしき殺生石とも。知ろし召されで御僧達は。求め給へる命かな。そこ立ちのき拾へ。