ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

殺生石/白頭 ~怪物は老体でもやっぱり元気(その10)

2009-04-25 01:51:00 | 能楽
ぬえの今のところの計算では、まず三之松で「鳥類畜類までもさはるに命なし」と足を止めてワキに向き、その後おワキの文句で再び歩み行き、「いや委しくはいさ白露の」と一之松で足を止めてワキに向きたいと思っているのですが、おワキの謡の具合によって不都合があれば一つ前のシテの文句「昔より申し習はすらめ」でおワキに向く事にしたいな、と思っています。

さて問答の最後の文句「仇を今」とワキに向いてツメ足をすると、いよいよ地謡が謡い出します。

地謡「那須野の原に立つ石の。那須野の原に立つ石の。苔に朽ちにし跡までも。執心を残し来て。また立ち帰る草の原。もの凄しき秋風の。梟松桂の。枝に鳴きつれ狐蘭菊の花に隠れ住む。この原の時しも ものすごき秋の夕べかな

はじめて地謡がまとまって謡う箇所(初同=ショドウ、と言います)ですが、常の『殺生石』では一気に謡われるところ、「白頭」の小書がある場合は「また立ち帰る草の原」と囃子が打切という区切りの手を打って、地謡がほんの少しだけ小休止します。打切を入れることによってひとつのまとまった章段を二つに分断して、詞章に気持ちの変化を入れることにもなり、また ぬえはむしろこちらの理由が強いと思いますが、章段全体がすこし重厚に響くと思います。

型としても、常の場合はこの地謡の前、シテとワキの問答の間にシテは舞台に入ってしまっているので、初同ではシテは角まで出、舞台を一巡するように廻って常座に戻るところ、「白頭」ではこのときシテは橋掛り一之松にいるので、「また立ち帰る草の原」の打切のあとでようやく歩み出して舞台に入る程度。型は常の場合よりもぐっと少なくなるのです。動き回るよりも、むしろ泰然とした動作を目指して型がつけられているのは明白で、常よりも少し静かに謡う地謡と相俟って、シテの持つ性格を重厚に印象づける効果を狙っているので、「老狐」の風格の伏線でもあるでしょう。

ちなみに上記は ぬえの師家に伝わる演じ方なのですが、同じ観世流ではありますが家々の伝承には違いがある事も。ぬえが何度か拝見した観世流の『殺生石・白頭』のお舞台では、この初同の打切がない例もありました。逆の例もありまして、以前 ぬえが某家の『羽衣・和合之舞』の地謡にお邪魔させて頂いたとき、ぬえの師家にはない伝承。。初同の「天路を聞けば懐かしや」で打切が入ったのを聞いて、とてもビックリした覚えもあります。

いずれにしましても、小書がついた能の場合は、演技や面、装束が常とは替わることはもちろんなのですが、それらの変化は前後の二場に場面が別れる能の場合、当然ですが後シテに顕著にあらわれると思います。そして後半の場面の大きな演出の変化と比べて、前シテはほとんど演技・演出に変化がない、という場合も多いのです。それでも、小書がついても普段とまったく同じ様子で前シテの場面は進行し、一方後場では常とはまったく違う演出になる、その整合の悪さが勘案されたのか、前場でもこのように打切が増える、立ち位置が変わる、などの細かい変化はつけられていると思います。

前述しましたが、『安達原』や『小鍛冶』と違って『殺生石』では小書によって後シテが老体になっても前シテは若い女性の姿のままです。それは『殺生石』の前シテが傾城の美女・玉藻の前の物語を語るのに、シテ自身がその姿とオーバーラップして見える若い里女の役である方が最も舞台効果として有利であるからで、かと言って後シテの姿が常とは大きく変わるその伏線も必要でしょう。こういった理由で演技や囃子の作曲にある種の「重厚さ」を加えることで、常の能とは違った雰囲気を少しずつ醸成していって、最終的に自然に後シテの変化に結びつけてゆく演出なのだと思います。

初同が終わると地謡は引き続いてクリを謡います。ここでも小書による変化があって、クリの冒頭では囃子方は「打掛=うちかけ」と呼ばれる派手な手を打つのですが、常の能ではそれにかぶせるように地謡がクリを謡うところ、小書がついた場合は「打掛」の間は地謡は謡い出さずに待ち、その手が打ち終わったところで謡い出すことになっています。シテは拘泥なく大小前から中に出て下居する、常の能と同じ型をするのですが、このような小さな変化も、降り積もって常の能とは違う雰囲気を作り出します。

地謡(クリ)「そもそもこの玉藻の前と申すは。生出世定まらずして。いづくの誰とも白雲の。上人たりし身なりしに。