ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

三島卓くんのこと

2009-07-02 02:35:52 | 能楽
もうあちこちのブログで言及されているので、今さらかとも思いますが。。太鼓方金春流の三島卓くんが先月6日に亡くなりました。享年36。あまりにも早く駆け抜けていった生涯でした。

彼と ぬえとの交友は、やっぱりねの、伊豆の国市の『狩野川薪能』で深まりました。彼、子ども好きなんです。もう何年前からになるのかなあ? この薪能で演じられる「子ども創作能」の台本を作るのに毎年彼と作調(作曲)の相談をして。囃子方の的確な視点で演技のアイデアも数多く出して頂いて、台本の製作には大変な助力がありましたし、また一方 ぬえとは舞台について議論もし、酒が入ればエスカレートして罵倒もし合い、ケンカもし。。熱いヤツでした。大阪と東京に半分づつ住んでいるような生活でしたが、そうして彼とケンカをしたくせにそのまま東京の家に泊めてもらったことも数知れず。。

薪能では ぬえは子どもたちに囃子の上演をさせたいと考えて、彼にその指導を頼んだりもしましたし、また彼も子どもたちの指導をする ぬえを見ていて、伊豆とは別に彼が独自に地方で教えている子どもたちに短期間の謡の稽古をつけてほしい、と頼まれたりもしました。この稽古は本当に面白かった。詳細はまた後日に。。

彼とはホントに複雑な交友関係だったな、と思います。ぬえも割とケンカっ早い方なので、去年はもう絶交するぞ! みたいなところまで行きました。でも「彼女ができたんだ。。」と彼が ぬえに言ったのもやっぱり去年でした。。

そうして。。じつは5月に ぬえが勤めた『殺生石・白頭』こそが、彼とお手合わせする舞台。。のはずだったのです。ぬえもお相手をするのを楽しみにしておりました。ところが。。申合に彼は欠席して、彼の代りに来たSくんが「卓くん、具合が悪いので当日も私が代役させて頂いてよろしいでしょうか?」と。。もともと持病も持っていて、何度か入院したこともある卓くんでしたが、これはおかしい。。

すなわちお囃子方がよんどころない事情でお役を勤められずに代役を立てる場合は、シテにはやはりその旨 直接ご本人から連絡が入るものです。シテ方から出演をお願いする場合、お囃子方にとっては お役は「お願いされた」ものであって(シテ方に雇われた、というのとはちょっと違いますよ?)、代役を立てるのはその信頼に対して不義理になるからです。

ですからお囃子方も安易に代役を立てたりはなさらないのですが。。それでも どうしても仕方のない突発的な事情だって起こりうるわけで、そういう場合にはお囃子方も お詫び、と言いますか、きちんとシテに連絡されて代役の許可を求めてこられます。ぬえの経験では こういうところ、お囃子方の偉い先生であっても きちんと義理を立てられますね。ぬえは一度、自分の身分とは不相応な大先生のお囃子方にお相手をお願いして、ところがやはり仕方ない事情でご出演が叶わなくなった際、直接 先生からお詫びのお電話を頂いたことがあります。このときの ぬえは電話口で直立不動になってしまいました。(хх,)

それなのに今回の『殺生石』については卓くん本人から欠勤の連絡がありません。そんな不義理をする人ではないのに。これは「具合が悪い」という彼のコンディションが芳しくない状況を暗示しているのかと疑いましたが。。ただこの時の ぬえの状況もまたシテを勤める直前であり、卓くんの代役と決まった太鼓方のSくんを相手にどのように舞台を進行するかの再計算が目下の優先課題で、しかもこの『殺生石』上演については ぬえも工夫をしておりましたので、その説明をSくんにして協力を求めなければならず。。

そうして『殺生石』のお相手は卓くんではなくその代役のSくんのままで、なんとか ぬえもお役を大過なくお役を勤めることができました。さて公演が終わって翌日になって、やはり本人から連絡のない卓くんのことが気になり、ぬえからお父君のもとへ電話で問い合わせてみたのです。。