ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

外面似大蛇内心如天女~『現在七面』の不思議(その10)

2009-07-31 01:28:23 | 能楽
シテと日蓮の会話。。その短い会話を地謡が引き取って上歌を謡います。

地謡「その名をだにもまだ聞かぬ。その名をだにもまだ聞かぬ。御法を既に保つまで。いかで契りを結びけん。げに頼もしき折からや尚も女の仏となる謂はれを示しおはしませ。

内容としては「まだその名をさえ知らない凡夫の私が、ありがたい法華経を堅く信仰するまでに至るとは、どうしてこのような仏縁を結んだことであろう。本当に頼もしいこと。なお女が成仏する理由をお示しくださいませ」といったところでしょう。

『現在七面』ではこの初同(地謡がその能の中で最初にまとまって謡う下歌・上歌の類)からすでに。。シテにとっては試練が始まるように思いますね。

じつは能の初同でシテが行う型には、ある程度のパターンがあるのです。まあ、その状況やシテの性格によって かなり流動的なパターンではありますが、たとえば後シテの化身としての役割を持つ前シテであれば、多くの場合、初同では次のような定型の型を演じます。

初同の直前の文句(シテとワキの会話のおわり)にシテはワキに向かって二足ツメ、初同となり正面へ直し、打切はそのまま聞き、返シ過ぎてより右へウケ、直し正へ出てヒラキ(地謡が謡う文句によりここでワキや作物に向かってヒラキになる、または右へ遠く見渡すなどのこともあり)、角柱へ行き正へ直シ、左へ廻り(文句の長短により角トリはナシにすぐに左へ廻ることもあり)シテ柱へ行き正へ直ス(またはワキへ向いてヒラキなどの型になることも)。

バリエーションはいろいろあるとはいえ、やはり初同の型に一つのパターンというものは確実に存在しています。ところが『現在七面』では この定型の型を勤めるのは ちょっと苦しいのです。理由は単純で、初同の文句がほかの能と比べるとあまりに短いからなのです。

そこで ぬえの師家の型では打切あとにすぐ正へ出てヒラキ、「いかで契りを結びけん」とワキへ向き、すぐに左へ廻ってシテ柱に戻り、「謂はれを示しおはしませ」と再びワキへ向いてツメ足をすることになっています。定型の型をかなり省略してエッセンスだけを残すように作られている型でしょうが、それでも ちょっと忙しいですね。

それを反映してか、ぬえがこれまで拝見した他家の『現在七面』では、初同のシテの型は 同じ観世流でありながら、定型の型からの省略の箇所が ぬえの師家の型とは少しづつ違っていました。たとえば「いかで契りを結びけん」とワキへ向かず正へヒラク型をされた演者もおられました。これは ぬえの師家では「いかで契りを。。」の文句を「どうして(あなた様のお導きに従って)仏縁を結ぶようになったのでしょう」と、ワキに対する問いかけ。。というより詠嘆の言葉と捉えるのに対して、「どうして私の心が仏縁に惹かれていったのだろう」と、自分自身への問いかけと解釈した型で、なるほどこれも合理的な解釈であるうえに、ワキへ向く型がない分だけ型に余裕が生まれます。

これとは逆の例で、この上歌の終わりの文句「尚も女の仏となる。。」は、これは日蓮に向けられたシテからの懇願、という以外の読み方はできないはずで、ぬえが拝見した他家の『現在七面』でも 当然ことごとくワキへ向いておられました。