ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

外面似大蛇内心如天女~『現在七面』の不思議(その6)

2009-07-19 00:36:57 | 能楽
さて なかなかシテの登場にたどりつきませんが、もう一つ『現在七面』のワキについて。

いまここで

ワキ「われ法華修行の身なれば。読誦礼賛を怠る事なき所に。いづくともなく女性の絶えず詣で候。今日も亦来りて候はば。名を尋ねばやと思ひ候。

というワキの詞をご紹介しましたが、ぬえは「ふうん。。意外に、あるんだ。。」と思いました。なにが「ある」というのでしょう? それは「候」なのです。

能の台本は文語で記されているわけですが、それでもセリフの中で会話の部分には やや口語の雰囲気を持つ「候」が多用されます。ところが『現在七面』の姉妹曲というべき『身延』には、この「候」が一度も出てこないのです。じつはこれは ぬえの発見ではありませんで、かつて『身延』が上演された際に、お笛の故・一噌幸政先生が これに気づいて、小鼓の故・穂高光晴先生に「この曲には“候”ってのが出てきませんな」と楽屋でおっしゃられたのだそうで、ぬえは小鼓の稽古の際に穂高先生からこれを又聞きしたのですけれども。

ぬえがこの事実を伺ったのは、いまから10数年前になるかと思いますが、そして ぬえはその後『身延』という能には一度も上演に接していないのですけれども。。不思議によく覚えています。で、今回『現在七面』について調べるのにあたって、その点を『身延』『現在七面』の2曲に具体的にあたって調べてみました。

結果、『現在七面』の中に「候」が出てくるのは、いま掲出した箇所に3カ所。それから 初同のあと、クリの前に、同じくワキが謡う「なかなかの事草木国土。悉皆成仏の法華経なれば。女人の助かりたる所をも語つて聞かせ候べし。」の中に1カ所の、計4カ所であることがわかりました。

また一方『身延』にも、一度も「候」は出てこないのかと思いきや、シテの詞の中に「かかる妙なる御法には。逢うこと難き女人の身の。今待ち得たる法の場に。いかでか怠りさむらふべき」。。と、「さむらふ」と形を変えて一度だけ登場しているようです。

いずれにしても「候」は能の中で とくに会話の部分には欠くことのできない言葉ですので、『現在七面』の4カ所、『身延』の1カ所は、極端に登場が少ないと言ってよいと思います。

まあ。。とは言っても すべての謡曲本文を精緻に調査したわけではなし、案外 同じように「候」が出てこない曲もあるかもあるかもしれませんが。。『鶴亀』だって「いかに奏聞申すべき事の候。。そののち月宮殿にて舞楽を奏せられうずるにて候」の2カ所しか出てきませんから。。

そんなわけで、未調査ではありますが、『現在七面』『身延』という、日蓮に関連する、それも内容も非常に近い2曲には「候」など台本の言葉遣いの面でも相似する特徴がある、という可能性だけは提示しておこうかと思います。

そういえばまだ問題点が。。

先日『現在七面』のワキの装束付けをご紹介しましたが、どうやらおワキで花帽子をかぶるのは、お流儀による違いはあるでしょうが、まさにこの2曲。。『現在七面』と『身延』だけなのだそうですね。

日蓮の名を台本の中で明かさない。花帽子を着る(角帽子のこともあり)。そして。。これは付け加えられるかどうか微妙ですが、「候」が台本にほとんど現れない。。ふうむ、やはりこの2曲には共通点があるのかもしれない。。能の中では異色である2曲も、なんらかの理由があって意図的にほかの曲とは差別化されるような特徴を付与された、ということは考えられないでしょうか。。