ぬえの能楽通信blog

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活動報告書(6/18~21)

2012-08-20 02:23:53 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第8次(注1)被災地支援活動(2012年6月18日~21日)


 〔活動報告書〕

【趣旨】
 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒しプロジェクト」の4名(※注2)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、すでに2011年8月15日、9月26日~30日、12月24日~2012年1月1日、2月10日~13日、3月9日~12日、5月2日~4日の6度に渡り岩手県釜石市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、仙台市および大崎市にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびメンバーの八田・寺井とゲスト出演の太鼓方・吉谷潔氏は、能楽評論家小林わかば氏、ピアニストの御子柴聖子氏とともに去る6月18日より21日の4日間に渡り宮城県・石巻市および女川町の計5カ所にて能楽の上演を行いました(※注3)。とくに今回は、小林氏の協力によりはじめて被災地での自主公演「星と能楽の夕べ」が挙行できたこと、同じく初めて女川町での活動が実現し、予想外の成果を挙げることができたこと、さらに石巻市の民生委員主催の敬老イベント「福祉のつどい」に参加したり、また秋には松島での活動に招待を受けるなど、プロジェクトの活動が被災地の要請によって招聘されたことるようになった事が特筆され、近来稀に見る多大な成果を挙げることができました。また今回はかねてプロジェクトの活動を応援してくださっている石巻市民の相澤利喜子さんが全行程に渡って参加してくださり、プロジェクトの活動にご協力頂きました。さらに三島市の厚志家・小平輝朋さまよりお預かりした冊子の支援物資を女川町の仮設住宅にお届けすることができましたことをご報告申し上げます。

※注1 プロジェクトの発足は3011.8.15の活動後でありますが、今回より2011.6.29~7.2まで八田が石巻市で行った活動まで遡って活動歴と数える事に致しました。
※注2 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。ただしスケジュールの都合により狂言方2名は今回は欠席。
※注3 今回の上演場所は①石巻市・立町復興ふれあい商店街・ピ-スボートセンターいしのまき②石巻市・栄光教会付属幼稚園③女川町・おながわコンテナ村商店街④女川町・町民野球場仮設住宅・集会所⑤石巻市・湯殿山神社で催された「福祉のつどい」への出演の5箇所。

【活動記録】
 6月18日(月)
八田・寺井・吉谷 終夜走行にて石巻に到着。レストランで朝食を摂っている最中に震度4の地震。いまだに続く余震と、慣れてしまったのか、まったく動じない店員に驚く。まだ朝も早いため馬っこ山、門脇・南浜地区、大川小学校、河北町の長面地区を視察し、市内に戻って観光協会さま、ラジオ石巻さまにご挨拶。ついで今回の宿舎をご提供頂いたボランティア団体「チーム神戸」事務所「ふれあいサロン」へ。リーダーの金田真須美さんと旧交を温めて、二階にてしばし仮眠。

午後、金田さんのお計らいで昼食を頂き、明日の公演会場である石巻栄光教会さまへ移動。「星と能楽の夕べ」公演のための機材の仕込み。石巻栄光教会の小鮒實牧師さまのお計らいで、幼稚園の運動会のリハーサル前日、改修工事中にも拘わらず、会場となる幼稚園のホールでの仕込みをお許し頂きました。のみならず牧師さまには「星と能楽の夕べ」の広報宣伝にもご協力頂き、上演に対しても多大のご支援を頂いた。改めて御礼申し上げる。

この日に翌日の公演のリハーサルを行う予定だったが小林氏東京でのスケジュールがつかず、翌日の開演前に行うことに変更。また事前に10月に松島での活動を打診されていた関係者が来訪され、この日にご挨拶と簡単な打合せを行う。

 6月19日(火)
八田のみ早朝起床して住吉神社、日和山を視察。朝食後、小林氏も合流して最初の公演会場である「立町復興ふれあい商店街」(仮設商店街))へ。次第に天候が悪化する中、屋外での上演が基本だった商店街での公演は断念し、石巻商工会の佐藤洋一氏の計らいで、能の上演会場を新装なったピースボートの事務所「ピースボートいしのまき」に変更。事前の宣伝により商店街に集まったお客さまのために寺井氏、吉谷氏によって囃子のミニ講座を商店街で開き、八田と小林氏はその間に「ピースボートいしのまき」にて『羽衣』の上演準備を整え、正午に「能楽の心と癒やしをあなたに」公演を無事挙行。

午後、石巻栄光教会へ。ピアニスト御子柴聖子氏も到着してリハーサルを開始。午後6時30分よりプロジェクト初の被災地での自主公演「星と能楽の夕べ」を上演。小鮒牧師の挨拶、星空投影と解説(小林氏)、ピアノ演奏(御子柴氏)、羽衣上演(八田・寺井・吉谷)
  ※この日台風の影響により石巻市内の沿岸部に「避難勧告」が発令される。会場の石巻栄光教会は勧告地域ではなかったものの、チーム神戸金田真須美さんの指示により、「避難指示」が発令された時点で公演は中止とし、我々プロジェクトメンバーは避難所の支援活動にあたる事となるが、結局公演は無事終了。小林、御子柴両氏はこの日のうちに帰宅。

 6月20日(水)
朝、前日のピースボートでの上演が地元紙「石巻かほく」に報道される。それにより公演観覧の問い合わせが多く入り、それに対応しながら、台風の影響で道路が冠水し通行止めの道路を避けて苦労しながら女川町に到着。正午より「おながわコンテナ村商店街」(仮設商店街)にて能『羽衣』を上演。
※この公演では商店街の花屋さん「花友」さんのご協力を頂き、お客さまに花束をプレゼントした。

公演後、地元の方のご好意により町立病院のレストランで昼食をご馳走になる。高台にある病院も津波被害を受けた由。ここから見下ろす女川町中心部の壊滅的な様相も、次第に片づけが進んでおり、すでにマリンパルおながわの建物も撤去されていた。

午後4時より女川町民野球場仮設住宅にて「能楽の心と癒やしをあなたに」公演を女川町の社会福祉協議会スタッフの方のご協力によって挙行し能『羽衣』を上演。お客さまは集会所に入りきれないほど、数十人集まってくださった。終演後は囃子のミニ講座、装束の着付け体験を行い、支援物資を集会所にお渡ししてこの日の活動を終了した。

 6月21日(木)
朝、石巻市の湯殿山神社へ行き、10時に開演の山下地区民生委員さんの主催の敬老会の催し「福祉のつどい」に出演。

出演時刻は11時頃の予定だったので、公演準備の時間に、前日「石巻かほく」をご覧になって公演の観覧を希望された方を楽屋にご招待し、簡単な能楽講座を行う。面を打つご趣味を持った方も見えられ、有意義な時間。公演自体も100名の独居老人がお客さまで、大変賑やかな催しとなった。

終演後、石巻市内の関係者にご挨拶をして帰京の途に。
帰途、福島県南相馬市を視察。この2ヶ月前に警戒区域を解除された地域は瓦礫の撤去もまだほとんど行われておらず、上空には放射線を測定する? ヘリコプターが旋回する有様。警戒区域の検問まで行ってから福島市まで戻り、東北道にて帰京した。

【収入・支出】
プロジェクトの活動はすべて募金によって行われております。募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂きます。

これにより今回の活動資金は前回活動繰越金 168,280円(内訳:ボラ 135,780円 ギエ 32,500円)および銀行口座等への新規の募金となります。銀行口座への募金はボラ扱いとみなされる(5,000円)があったほか、今回活動参加者の吉谷潔氏社中より(4,000円)の提供がありましたので、これらの総額 177,280円(内訳:ボラ 144,780円 ギエ 32,500円)となりました。

頂いた募金の使途につきましては別紙「決算報告書」にて改めてその内訳を明示致しますが、今回の活動終了時で残額 113,092円(内訳:ボラ 80,592円 ギエ32,500円)となっております。これらは今回の活動繰越金として次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。関係者各位に対し、厚く御礼申し上げます。

これに対してプロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費につきましては「災害派遣等従事車両証明書」の制度廃止(瓦礫の第一次撤去作業のみ対象としては存続)に伴い、高速道路の通行料は全額がプロジェクトの負担となりました。これに鑑み、交通費節約のため、少なくとも東北へ向かう往路は深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するようにしました。

宿泊につきましても今回はボランティア団体「チーム神戸」のご厚意により石巻市内被災地区の同団体事務所施設に1人1泊1,000円にて寄宿させて頂きました。また参加者のすべての食費はそれぞれ個人的に支出する方針を堅持しております。

 これにより今回も支出の内訳は記録用ビデオテープ、などの事務雑費のほかはもっぱら交通費(高速バス代+ガソリン代)と少額の宿泊費に限られることとなりましたが、今回特徴的だったのは公演プログラムの印刷費、およびそれらの送料がかかったことです。これは初めて被災地において自主公演を行ったためで、これは今後とも傾向が続いていくと考えております。ゲスト出演の方の活動についてのプロジェクトとしての負担は、ご本人とそれぞれ相談のうえ下記のような対応とさせて頂きました。ご出費を願わなければならない場面も多く、ご迷惑をお掛けしましたことを深謝申し上げます。

 小林わかば氏 交通費は自己負担。宿泊費(ビジネスホテル1泊)はプロジェクト負担。
 御子柴聖子氏 石巻市で活動をされているので、プロジェクトとしては活動の場を提供するという意味で協力。交通費等は自己負担。

なおゲスト能楽師の吉谷潔氏は福岡市在住ながら、東京でのスケジュールに合わせて参加頂きました。よって福岡~東京間の往復の航空機代、活動前後の東京での宿泊等多大な負担を頂きました。のみならず前述のように社中の方々からの活動支援金を携えられ、様々な滞在中の場面で負担を頂きました。この場にて厚く御礼申し上げます。

前述の通り収支差額として 113,092円(内訳:ボラ 80,592円 ギエ32,500円)が出ました。これは今後の被災地訪問の活動資金として活用させて頂きます。前述の通り今後の活動には資金的に困難な状況が予測されます。引き続きまして活動支援をお願い申し上げる次第です。

【成果と感想・今後の展望】
プロジェクトとして活動回数の勘定を、団体としての発足以前に実質被災地で活動を行った昨年6月から数えることと改めたため第8次となる今回の支援活動では、まずもって被災地での初の自主公演「星と能楽の夕べ」の上演が画期的でした。これはプラネタリウムの星空の投影の下で謡や能を楽しむ、というもので、アイデアそのものは小林わかば氏の発案により、同氏はすでに東京にて星空投影の下で謡を楽しむ催しを成功させ、またプロジェクトに宮城県大崎市のプラネタリウムでの催しを提案され、本年2月に「星と能楽の夕べ」として実現に至りました。

今回の石巻市での催し「星と能楽の夕べ」はプロジェクトとしてのアイデアで、プラネタリウムを持たない同市に、PCとプロジェクターを用いて擬似的なプラネタリウムを現出させ、その下で能楽を上演する、という試みでした。もともとのアイデアを出された小林氏には今回も共催としてご協力頂きましたが、能楽にも天体にも造詣の深い氏の星空解説はこの催しには不可欠で、今後もご協力をお願いする次第です。

じつは今回の被災地訪問活動では久しぶりに、そして珍しく活動の場を探すのに困難がありました。もともとプロジェクトの活動は、受け入れして下さる現地団体があって初めて実現が可能で、活動当初は八田が昨年夏に避難所で清掃活動ボランティアとしたのがキッカケで、この避難所で公演活動を行ったのが始まりです。その後避難所は解消され、避難者は仮設住宅に移り、プロジェクトの活動の場もこうした仮設住宅の集会所や仮設商店街に自然に場を移して行きました。

ところが今回は何カ所かの仮設住宅で活動のお断りがありました。それというのも、特に僻地の漁村の仮設住宅で、漁業が復興してきたため、昼間には多くの住民さんが仕事のため外出していて、せっかく仮設住宅にプロジェクトメンバーが行っても人が集まりにくくて申し訳ないから、という理由でした。これは被災地の復興が順調に形をなしている事を意味し、喜ばしい事でもあります。そこでプロジェクトとしては支援の方法を再検討し、仮設住宅・仮設商店街への支援活動は続けるものの、一方で今後は「文化の復興」という新しい形態での支援活動を展開していこう、という思いに至りました。

「文化の復興」とは、被災地がその呼称から脱却し、市民が普通に芸術を楽しめる、いわば通常の市民生活を取り戻すことを目標とする活動です。芸術活動を展開する実演者側も、被災地への支援という気持ちではなく、市民に自分たちの通常の活動をご覧頂いて評価を問う、通常の行動を行います。これは元よりいつかは来るべき活動の転換で、プロジェクトとしてもその予想は漠然とは立てていましたが、小林氏の提案によって実現したこの2月の大崎市での「星と能楽の夕べ」公演の成功から、これを石巻市に導入してプラネタリウムを持たない同市に「星と能楽の夕べ」を再現することを計画し、もってプロジェクトの「文化の復興」活動の嚆矢とする事に致しました。この活動は今後もいろいろ展開を考えていますが、当面の目標としては、やはり被災地支援活動を展開してきた気仙沼市で「星と能楽の夕べ」公演を実現させたいと考えています。

もう一つ特筆すべきは女川町での活動です。前述のように公演の場の受け入れ先に困った今回の活動で、はじめて女川町に活動の場の提供を打診しました。女川町は昨年9月頃から視察には行っていましたが、現地に知人もいない状態で、活動の場を見つけられないでいました。今回はこれまでの経験を頼りに現地ボランティアセンターの統括組織などにコンタクトを取り、2箇所での公演の実現に至りました。

ところが反響は予想以上で、とくに仮設住宅での公演では過去最多の数十人の住民さんに能楽『羽衣』をご覧頂き、終演後の装束の着付け体験では涙を流す方もおられ。。東京に帰ってからも、これとは別の住民さんから心のこもったお礼状を頂戴しました。昨年石巻で感謝の寄せ書きを頂いて以来、二つ目の勲章は、飛び込みで訪れた女川町の住民さんから頂くことになりました。

さらに印象的だったのはチーム神戸を通じて石巻市の民生委員さんから出演の依頼を受けた「福祉のつどい」という敬老会への出席でした。出演の交渉当初こそ、オカリナの演奏やフラダンス、そして幼稚園児のお歌の披露。。といった中での出演ということで戸惑いもありましたが、実際に会場に赴くと、100名の地域の独居老人を集めての賑やかな敬老会でした。こういう地道な活動を民生委員さんは続けておられ、昨年は震災で中止された敬老会の復活を、多様な演目で飾ろうとされる積極的で有意義な活動のお手伝いでした。このような立派な活動のお手伝いができることを喜びにも、誇りにも思います。

この「福祉のつどい」のほかにも、今回は滞在以前からプロジェクトに直接、この秋頃の出演依頼も頂き、滞在中に打合せをすることもできました。だんだんと現地でプロジェクトの活動が浸透してきた証でもあろうかと自負もしておりますし、また今後の活動の展開に希望を持つこともできました。

現地のニーズは日々刻々と変わり、復興の兆しも見えれば、またすぐに必ずしも楽観を許さない状況も見え隠れしています。これらの変化に敏感に対応しながら、今後も息の長い支援を続けていけるよう努力を重ねてゆく所存です。どうぞ今後も変わらぬお力添えを賜りますよう伏してお願い申し上げます。


平成24年8月20日
                             「能楽の心と癒しプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
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