ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その9…雄勝町への道)

2012-09-11 01:05:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて朝食はコンビニ弁当(いつもこればっか)で簡単に済ませて、今日の公演地である石巻市の雄勝町に向かいます。

市立大須小学校の体育館を拝借するプロジェクトの自主公演で、午前10時開演と決めてあったので、楽屋入りの時間を逆算して、朝7時に石巻を出発することになりました。今回のプロジェクトに同行してお手伝いをしてくれる能楽写真家のYさんと、同じくお手伝いに同行してくれたKさんをホテルにお迎えに行き、つぎに開北にて昨日もお世話になった相澤さんを拾って、雄勝町に急ぎました。

雄勝町。。じつは これほど長く石巻で活動しているのに、ぬえはここにはほとんど来たことがありません。ようやく今年の2月に石巻で活動をしている時、たまたま笛のTさんが「津波で雄勝公民館の上に乗り上げた観光バスが撤去されることになったらしい」という情報を得て ぬえに伝えてくださったので、撤去される前に見に行った程度。この雄勝公民館も震災の爪痕を伝える場所としてかなり有名になりましたが、ぬえは撤去が決まるまで見たことはありませんでした。それほど雄勝町は石巻市内からは遠く離れた場所にあるのです。

現在の石巻市は、平成の大合併で石巻市・雄勝(おがつ)町・河北(かほく)町・川北町・桃生(ものう)町・河南(かなん)町・牡鹿町が合併したもので、巨大な面積を持っています。ぬえも震災当初の昨年6月にここに来たとき、「石巻市は端から端まで車で1時間半も掛かる」と地元ボランティアさんに聞いてびっくりした記憶が。

そんなわけで急いで雄勝町に向かったのですが、目指す大須地区は雄勝の中心地域よりもさらに遠い場所でした。いや、それは事前に調べておいたのですが、やはり地図の縮尺にうまく自分の距離感覚がマッチングできず。。上演準備の時間を考えると楽屋入りの時間は重要なので、正直、移動中はかなり焦ったのですが、さすが市民の相澤さんが近道をちゃんと教えてくださって、時間通りに到着。

。。じつは今回の雄勝町での活動は、この相澤さんがセッティングしてくださって実現することになりました。というのも、雄勝町の大須地区は相澤さんの出身地。ご実家があるのです。相澤さんは現在石巻の中心地区にお住まいで、ぬえたちが年末に市役所で公演をした際に、たまたまお客さまとしてお出でになったのでした。そこからプロジェクトとの関係が始まり、次回の活動の案内状をこちらから郵送したり、それをご覧になって相澤さんは公演にお出ましになり。。いつのまにか石巻でのプロジェクトの活動では全面的に同行されるようになりました。いや、珍しい話かもしれませんけれども、いつの間にか、自然に、ですね。「今日はありがとうございました~。明日の公演もいらっしゃる?」「はい、参ります」ってな感じで。どういう経緯でかなのは記憶にありませんが、そうこうしているうちに楽屋入りからご一緒するようになって、石巻の近郊の東松島市や女川町での活動にも同行頂いて、そうなるとこちらも申し訳ないからご自宅まで送り届けたり。そんなうちに「ちょっとここ、手伝ってください」「せっかくだから舞台上で後見やってくれません?」なんて図々しくもお願いするようになって。もうs ぬえたちは相澤さんのことを「事務局長」と呼んでおります(笑)。そうして「私の実家の雄勝にも行ってあげてくれませんか?」「喜んで~」という展開になって、これが今回の公演でついに実現になったのでした。

雄勝町での公演は仮設住宅を廻るのではなく小学校の体育館を拝借する自主公演でしたから、会場拝借の交渉から現地での宣伝まで、相澤さんには本当に大変なご苦労を頂いたと思います。車の運転をされないからなおさら。。鉄道が通っていない雄勝町には公共交通機関としてはバスしかなく、それも石巻駅からの直行便はなし。。それでもご実家ですから乗り換えには慣れたもので(多分。。)少ない本数のコミュニティ・バスを駆使して雄勝町に行かれて、会場の確保からチラシの配布まで、何度も活動をされたのです。ぬえは東京に送られてきた大須小学校の「使用許可願い」の書類を作ったり、教頭先生と電話で拝借についての打合せをした程度でした。

こうして何とか準備も整い、雄勝町・大須小学校での公演が始まりました。