ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その11…雄勝町の中心部へ)

2012-09-24 00:08:48 | 能楽の心と癒しプロジェクト
大須小学校での公演を終えてさて会場から移動しようとしたとき。。小学校の校庭の向こうに仮設住宅が建てられていることに気がつきました。被害は少なかったとはいえ、やはり海に突き出した雄勝半島は無傷ではありませんでした。。または激甚被災地だった雄勝町中心部の住民さんたちが高台である大須の仮設住宅に住まわれておられるものか。。いずれにせよ山がちな雄勝町で仮設住宅を建設できる土地は限られていると思います。こういう立地の問題もあって石巻市では仮設住宅は抽選で、震災前に住んでいた町から遠く離れた仮設住宅に引っ越すことになった事例も数多くあるそうで、避難所で団結していた住民さんも、震災から7ヶ月を経て避難所が閉鎖になったとき、慣れぬ地区の仮設住宅で新たなご近所づきあいを始めなければならいこともあって、それが住民さんの孤独や孤立を招くこともあり。。なんとも難しい問題です。

さてこの日の次の公演会場は雄勝町の中心部。。旧市役所支所の前に作られた特設ステージ、とのことでした。なんとこれは夏祭りの花火大会の関連イベントなのです。

昨年の夏。。震災からわずか5ヶ月目の段階では、被災地では夏祭りどころではありませんでした。それでも石巻市中心部の「川開き」は関係者の努力で実現したのですが、これはむしろ特例といってよかったと思います。犠牲者の収容は一段落して不明者の捜索がはじまり、いまだ瓦礫の撤去は端緒についたばかり。避難所ではパンと飲み物ばかりの食事が支給され、ぬえが見たかぎりでは大量のハエの発生に悩まされていました。夏祭りを楽しむ、という雰囲気でもなかったし、多くは中止になったか、あるいは気仙沼市のように時期をずらして追悼集会のようなものが開催されたようです。石巻市の「川開き」は復興のシンボルとして住民さんに元気を与えるために開催されたのでしょうが、小さな集落では望むべくもなかった状態だったと思います。

さて雄勝町の花火大会は とてつもなく大きなプロジェクトによって開催されるものでした。「Light up NIPPON」というこのプロジェクトは、復興や哀悼の祈りをこめて東北の太平洋沿岸でいっせいに花火大会を開催する、というもの。なんでも今年で2回目ということですから、去年のあの夏の状態の中でも花火を打ち上げた被災地はあったのですね。

今年のこのプロジェクトの花火大会は、8月11日に。。つまり震災の月命日にあたる日に、岩手県の野田村・山田町・宮古市田老地区・大槌町・釜石市・大船渡越喜来・陸前高田、宮城県の気仙沼・石巻雄勝・塩竃、福島県の相馬/南相馬・いわき市・広野町・会津美里町の計10カ所で同時に行われるのだそうです。ぬえたちは今回の活動のスケジュールにたまたまこの8月11日が含まれていまして、雄勝町出身の石巻市民で ぬえらプロジェクトの活動に協力頂いている相澤さんが関連イベントにエントリーしてくださって公演が実現したのでした。

会場には到着しましたが、花火大会への出演時刻までは間があったので、これまでほんの少ししか見ていなかった雄勝町の中心部の被害状況を視察に出ました。



だいぶ更地になっている。。のでしょうけれども、ぬえにとってはこの日はじめて見た場所です。それでもまだまだ被害を受けた建物はそのまま残されているようでした。公演会場のある旧市役所支所は無人のまま放置され、入院患者さんが全滅する被害があった雄勝病院も建物だけが無機的な質感で残されています。





。。と思ったら、例の観光バスが屋上に乗り上げた雄勝公民館がありました。この2月にここを訪れた際には気がつかなかったのですが、雄勝町の中心部に近い場所にそれは建っていたのでした。よく見ると。。



屋上に乗り上げていた観光バスは下に下ろされた。。のですが、それは修理されるでもなく撤去されるでもなく、そのまま公民館の建物の隣りに置き去りにされていました。。