ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

陸奥への想い…『融』(その9)

2013-09-13 02:29:02 | 能楽
早舞はいわゆる「呂中甲」形式、と呼ばれる、笛が四小節の譜を繰り返して吹き続けるのを基本とする一連の舞~神舞、男舞、中之舞、序之舞。。などの中では異彩を放っている舞ですね。

これらの舞の中では唯一笛の調子が「盤渉」と呼ばれる、ひとつ調律が高い音色で演奏されること、しかも最初は盤渉ではなく、他の舞と同じく「黄鐘」調で演奏が始まり、最初の区切り。。「段」から盤渉に調子が上がる、という不思議さ。他の舞でも、たとえば序之舞や楽などでも盤渉調で演奏する「盤渉序之舞」「盤渉楽」というものがありますが、それらがあくまで常の黄鐘からの替エとか小書の扱いであるのに対して、早舞だけは常に盤渉での演奏です。面白いことに「盤渉序之舞」も「盤渉楽」も、やはり最初の段までは笛は黄鐘で吹いていて、そこから盤渉に替わるのです(盤渉楽には特例もありますが。。)。そうであれば「早舞」が初段から盤渉に調子が上がるのも、何らかの意味があるのかもしれません。

殊に黄鐘から盤渉への調律の変化は、常の演奏としての黄鐘からスタートしておいて、そこから別の調律の移行。。いうなればバリエーションへの変貌を印象づけますから、上記の盤渉序之舞や盤渉楽の場合は替エ・小書としての特殊な上演、という意味合いが強調されるのだと思います。ところが早舞だけは常に盤渉で演奏されるのに、やはり最初は黄鐘調で吹き出されて、その後調子を上げることには、やはり作曲された際に作為が込められている、と考える方が自然でしょう。

盤渉調の舞を吹く曲でも笛はその舞だけを吹くのではなく、当然冒頭のワキの登場から前シテの演技の部分もずっと能の進行に合わせて彩りを添えているのですから、あるいは能の笛は黄鐘が基準であって、それを盤渉に替える際も舞の冒頭からではなく、それまでの能の進行に付随して黄鐘から吹き始めることによって盤渉の舞だけを上演の中で突出させない配慮があるとか。。このあたり研究の余地があるのかもしれません。ただし現代の能の囃子は緻密・精巧に作られていますが、伝書類を遡るとその記録は必ずしも実演を再現できるような精緻な記録とばかりは言えず、往時の演奏の実態に迫るのは非常に困難な作業なのだと思いますが。。

さらに能の舞の研究には、こういった実技面だけでなく、陰陽五行説に則って演奏される調子に付された精神論的な意味合いも考慮されなければならないので、事情はさらに複雑です。ぬえの師家にも伝わる理論がありますが、この種の解説として最も手に入りやすい笛の森田流の『森田流奥義録』によれば盤渉調の舞が表すのは五行では「水」、季節では「冬」、方位では「北」、色では「黒」で、これは黄鐘調が意味する火、夏、南、赤と正反対の調子として捉えられています。これは単なる精神理論だけではなく実際の上演にも反映されていて、たとえば神能では盤渉は忌むものとされている、ということもありますし、常に盤渉で演奏される早舞は切能の曲でしか演奏されません。

ともあれ盤渉調で吹かれる現在の早舞を見る限り、それはほかのどの舞とも印象が違って軽快で生き生きとした舞ですね。『海士』『当麻』という成仏した女性の舞としても使われる(それはそれで精神的な理論としてはかなり高度で難解なのですが)早舞ですが、やはり本義は男性の舞で、『融』のほかに早舞が演奏される曲。。『須磨源氏』『玄象』など、高貴な人物が舞うものと能では規定されているようです。

『融』でもそういう印象ですが、この早舞で舞う衣冠姿の貴人の舞は、優雅でいて颯爽、典雅にして躍動、よく作られた舞だと思います。