いよいよ『融』の上演が明日に迫りました。。が、なんと明日は中秋の名月の日なのですね~!
中秋の名月は旧暦8月15日のことを言うのですが、今年は新暦でも満月に重なる偶然の一致。じつは2011年からこの偶然は3年間重なっているのですが、今年の中秋の名月を最後に、その日と満月が一致するのは8年後の2021年になるそうです。ぬえの師家の毎月の能の催しの中で、まさか中秋の名月のその日に月の能『融』を演じることになるとは、今日まで気づいていませんでした。。
早舞は正式五段、略して三段で舞われますが、早舞のようにテンポの速い舞は上演にさほど時間が掛からないためか最近は五段で舞われることが多いと思います。
舞上げはシテ柱で、シテは左右打込をして袖を払い、大小の謡頭(うたいがしら)という手を聞きながら一旦後ろを向いて型の区切りを見せ、地謡が謡い出すと正面に向き直ります。いよいよ終曲の部分になります。仕舞にもなっていますが、このところは見どころでもあり聞き所でもありますね~
地謡「あら面白の遊楽や。そも明月のその中に。まだ初月の宵々に。影も姿も少なきは。如何なる謂はれなるらん。
シテ「それは西岫に。入日のいまだ近ければとサシ込ヒラキ。その影に隠さるゝと七ツ拍子踏みながら正へノリ。たとへば月のある夜は星の薄きが如くなりと上を見ながらヒラキ。
地謡「青陽の春の初めには。と角へ行き
シテ「霞む夕の遠山。と右上を見
地謡「黛の色に三日月の。と脇座へ廻り
シテ「影を舟にも譬へたり。とサシ廻シ
地謡「又水中の遊魚は。と七ツ拍子正へノリ
シテ「釣針と疑ふ。ヒラキ扇を高く上げ倒し
地謡「雲上の飛鳥は。と扇を左手に取り角の方を見上げながらヒラキ
シテ「弓の影とも驚く。扇を大きく返し下を見込み拍子踏み
地謡「一輪も降らず。と扇を右に持ち直し大小前へ行き
シテ「万水も昇らず。と小廻り
地謡「鳥は。地辺の樹に宿し。と上を胸ザシ、正へ出、先にてノリ込み拍子
シテ「魚は月下の波に伏す。と左袖を巻き上げ下居しながら枕扇
地謡「聞くとも飽かじ秋の夜の。と袖を下ろし角へ行き
シテ「鳥も鳴き。と脇座へ行き
地謡「鐘も聞えて
シテ「月も早。とシテ柱の方へ少し出雲之扇
地謡「影傾きて明け方の。雲となり雨となるとシテ柱へ行き脇座の方を見上げ七つ拍子踏み。この光陰に誘はれてと正へサシ。月の都に。入り給ふ粧ひと左袖を巻き上げシテ柱の方へ向き。あら名残惜しの面影や名残惜しの面影。とシテ柱にて小廻り、ヒラキ、右ウケ二足出、左袖を掛けて留拍子踏み、静かに幕へ引く
それにしても。。終曲に向かって全く勢いの衰えないこの文章は何なのでしょう。謡曲も様々にありながら、『融』のキリはその中でもかなり魅力的で上手な美文でしょう。
『融』という能では「月」が重要なモチーフとなっていますが、このキリはその『融』の中でも月づくしの部分です。月の満ち欠けの諸相について、新月の頃の月の細いことの疑問から始まり、春の霞む遠山を眉墨に喩えるように、三日月の形を舟にたとえるという話から話題は三日月に移り、その三日月が、水底の魚は自分の命を失う釣り針ではないかと疑い、鳥は自分を狙う弓なのでは、と驚くと。しかしながら日輪も月輪もついに地に落ちることはなく、同じように水だって、重力に逆らって天上することはない。だからこそ鳥は安心して月下の樹木の枝に休み、魚も波の下で眠りにつくことができる。。なんと上手な文章でしょう。ちなみにこの文章、「又水中の遊魚は釣針と疑ふ。」には本説があるようですが、その前後の分は作者=世阿弥の創作のようです。
そうして文章は「この光陰に誘はれて月の都に。入り給ふ粧ひあら名残惜しの面影や名残惜しの面影」と、融の大臣が月世界に帰って行くかのような有様を表現して終曲します。型としても切能の常套の型として正先で左袖を巻き上げながら幕の方へ向き、後ろ姿を見せながらシテ柱に赴いてそこで終曲になるのですが、地謡が謡う文句の長さにも余裕があって、丁寧にシテ柱に行くことができます。中秋の名月のその日に演じる『融』の終曲で、月世界に帰ってゆく源融の面影が彷彿とされるように舞えればよいのですが~
中秋の名月は旧暦8月15日のことを言うのですが、今年は新暦でも満月に重なる偶然の一致。じつは2011年からこの偶然は3年間重なっているのですが、今年の中秋の名月を最後に、その日と満月が一致するのは8年後の2021年になるそうです。ぬえの師家の毎月の能の催しの中で、まさか中秋の名月のその日に月の能『融』を演じることになるとは、今日まで気づいていませんでした。。
早舞は正式五段、略して三段で舞われますが、早舞のようにテンポの速い舞は上演にさほど時間が掛からないためか最近は五段で舞われることが多いと思います。
舞上げはシテ柱で、シテは左右打込をして袖を払い、大小の謡頭(うたいがしら)という手を聞きながら一旦後ろを向いて型の区切りを見せ、地謡が謡い出すと正面に向き直ります。いよいよ終曲の部分になります。仕舞にもなっていますが、このところは見どころでもあり聞き所でもありますね~
地謡「あら面白の遊楽や。そも明月のその中に。まだ初月の宵々に。影も姿も少なきは。如何なる謂はれなるらん。
シテ「それは西岫に。入日のいまだ近ければとサシ込ヒラキ。その影に隠さるゝと七ツ拍子踏みながら正へノリ。たとへば月のある夜は星の薄きが如くなりと上を見ながらヒラキ。
地謡「青陽の春の初めには。と角へ行き
シテ「霞む夕の遠山。と右上を見
地謡「黛の色に三日月の。と脇座へ廻り
シテ「影を舟にも譬へたり。とサシ廻シ
地謡「又水中の遊魚は。と七ツ拍子正へノリ
シテ「釣針と疑ふ。ヒラキ扇を高く上げ倒し
地謡「雲上の飛鳥は。と扇を左手に取り角の方を見上げながらヒラキ
シテ「弓の影とも驚く。扇を大きく返し下を見込み拍子踏み
地謡「一輪も降らず。と扇を右に持ち直し大小前へ行き
シテ「万水も昇らず。と小廻り
地謡「鳥は。地辺の樹に宿し。と上を胸ザシ、正へ出、先にてノリ込み拍子
シテ「魚は月下の波に伏す。と左袖を巻き上げ下居しながら枕扇
地謡「聞くとも飽かじ秋の夜の。と袖を下ろし角へ行き
シテ「鳥も鳴き。と脇座へ行き
地謡「鐘も聞えて
シテ「月も早。とシテ柱の方へ少し出雲之扇
地謡「影傾きて明け方の。雲となり雨となるとシテ柱へ行き脇座の方を見上げ七つ拍子踏み。この光陰に誘はれてと正へサシ。月の都に。入り給ふ粧ひと左袖を巻き上げシテ柱の方へ向き。あら名残惜しの面影や名残惜しの面影。とシテ柱にて小廻り、ヒラキ、右ウケ二足出、左袖を掛けて留拍子踏み、静かに幕へ引く
それにしても。。終曲に向かって全く勢いの衰えないこの文章は何なのでしょう。謡曲も様々にありながら、『融』のキリはその中でもかなり魅力的で上手な美文でしょう。
『融』という能では「月」が重要なモチーフとなっていますが、このキリはその『融』の中でも月づくしの部分です。月の満ち欠けの諸相について、新月の頃の月の細いことの疑問から始まり、春の霞む遠山を眉墨に喩えるように、三日月の形を舟にたとえるという話から話題は三日月に移り、その三日月が、水底の魚は自分の命を失う釣り針ではないかと疑い、鳥は自分を狙う弓なのでは、と驚くと。しかしながら日輪も月輪もついに地に落ちることはなく、同じように水だって、重力に逆らって天上することはない。だからこそ鳥は安心して月下の樹木の枝に休み、魚も波の下で眠りにつくことができる。。なんと上手な文章でしょう。ちなみにこの文章、「又水中の遊魚は釣針と疑ふ。」には本説があるようですが、その前後の分は作者=世阿弥の創作のようです。
そうして文章は「この光陰に誘はれて月の都に。入り給ふ粧ひあら名残惜しの面影や名残惜しの面影」と、融の大臣が月世界に帰って行くかのような有様を表現して終曲します。型としても切能の常套の型として正先で左袖を巻き上げながら幕の方へ向き、後ろ姿を見せながらシテ柱に赴いてそこで終曲になるのですが、地謡が謡う文句の長さにも余裕があって、丁寧にシテ柱に行くことができます。中秋の名月のその日に演じる『融』の終曲で、月世界に帰ってゆく源融の面影が彷彿とされるように舞えればよいのですが~