内湾地区に到着して、まずはまだ灯っているクリスマス・イルミネーションを見よう、ということになって、前日に緑さんに案内されて見に行ったプラザホテルにて名残惜しくイルミネーションを見ました。この場所で来年は能を上演したいなあ。
さて観洋さんに到着して、仮設ではできなかった活動終了のミーティングを、ぬえの呼びかけでロビーで行いました。年越しの予定からは短く終わったのだけれど、ぬえはこの活動に大変満足しています。浩乃ちゃんも演奏の最後の曲。。ぬえたち能楽チームが自分たちの出番を知るために、最後の演奏曲はあらかじめ音楽チームと打ち合わせておきます。。その「花は咲く」を演奏したとき、涙していた住民さんがいて、浩乃ちゃんも演奏しながらもらい泣きしそうになったことを教えてくれました。
ここで ぬえから緑さんに扇をプレゼント。
現地での受け入れ等、プロジェクトの活動に便宜を計ってくださった方には、折々 笛のTさんが細やかな心遣いで手土産を持参してくださって、労をねぎらうことをしておりますが、とくに大きな貢献を頂いた方には、プロジェクトの代表である ぬえがシテ方として扇をご用意させて頂いて、それをプレゼントしております。
石巻では何人かの方に ぬえは扇をプレゼントしたことがありますが、気仙沼ではこれが初めてだと思います。それほど緑さんは今回の活動に貢献してくださいましたね。思えば半年前、障害児童の支援団体「ネットワーク・オレンジ」さんの新拠点の開所式にお邪魔させて頂いた折にご挨拶したのが始まりでしたが、3日後の気仙沼への再訪から ぬえたちプロジェクトの活動にお客さまとして参加され、それからは折々 気仙沼での活動について相談させて頂くようになりました。緑さんが元々顔が広いこともあって、アイデアは次々と広がって、プロジェクトの活動も順調に進めることができるようになりました。もとより東京に在住している能楽師のプロジェクトですから、被災地での活動をするために必要な現地関係者との交渉はメール。。いやいや、むしろ もっぱら電話で行うしかない事が多いのですが、こと気仙沼に関しては緑さんが情報を仕入れたり、関係者と直接交渉してくださったり。とてもスムーズに物事が進むようになりました。ぬえも緑さんを なんとなくプロジェクトの「気仙沼リーダー」なんて冗談で言っていたのですが、だんだんと冗談ではなくなってきました。
今回も食材の調達の段階から緑さんの手腕が光り、そのうえ大晦日だというのにご家庭の事をやりくりしてプロジェクトの活動に参加してくださり、そのうえ実際の活動でも鍋の調理に掛かりっきりにお手伝い頂いて。。
そうなのです。活動を開始して気づいたのですが、能や音楽の実演家による炊き出し、って無理。。
装束が着いていたり、上演後は大切な楽器を丁寧に片づけたり。。演奏者が、その終演後に即座に住民さんのために作業を始めるのは難しいのです。今回は緑さんのほかにも村上充さんなど、受け入れに尽力してくださった現地ボランティアさんが参加してくださったので、終演からほどなく鍋のサービスを開始することができました。。これらボランティアさんがいなかったら、終演後に間髪入れずに炊き出しを開始することはできず、今回の活動は失敗に終わったことでしょう。。ぬえも見込みが甘かった。
こうした貢献があったために。。実際には活動の準備段階で緑さんの貢献を鑑みて ぬえは扇を用意したのですが、実際の活動では準備以上の大変な役目をひとりで引き受けてくださって。。ああ、扇を用意しておいてよかったぁ。
さてさて観洋さんでお風呂に入ることができて、ようやくひと息つきました。プロジェクトの活動に参加してくれた日出子さんや浩乃ちゃんもお疲れさまでした。
こうして大晦日の活動は無事に終わり、緑さんを気仙沼市内のお宅に送り届けてから、ようやく能楽師と音楽家の一団は陸前高田の宿に向かうことになりました。
気仙沼市内から宿まではおよそ40分もかかるでしょうか。ぬえは車を運転しながら、ずっと時計を気にしていました。
さて観洋さんに到着して、仮設ではできなかった活動終了のミーティングを、ぬえの呼びかけでロビーで行いました。年越しの予定からは短く終わったのだけれど、ぬえはこの活動に大変満足しています。浩乃ちゃんも演奏の最後の曲。。ぬえたち能楽チームが自分たちの出番を知るために、最後の演奏曲はあらかじめ音楽チームと打ち合わせておきます。。その「花は咲く」を演奏したとき、涙していた住民さんがいて、浩乃ちゃんも演奏しながらもらい泣きしそうになったことを教えてくれました。
ここで ぬえから緑さんに扇をプレゼント。
現地での受け入れ等、プロジェクトの活動に便宜を計ってくださった方には、折々 笛のTさんが細やかな心遣いで手土産を持参してくださって、労をねぎらうことをしておりますが、とくに大きな貢献を頂いた方には、プロジェクトの代表である ぬえがシテ方として扇をご用意させて頂いて、それをプレゼントしております。
石巻では何人かの方に ぬえは扇をプレゼントしたことがありますが、気仙沼ではこれが初めてだと思います。それほど緑さんは今回の活動に貢献してくださいましたね。思えば半年前、障害児童の支援団体「ネットワーク・オレンジ」さんの新拠点の開所式にお邪魔させて頂いた折にご挨拶したのが始まりでしたが、3日後の気仙沼への再訪から ぬえたちプロジェクトの活動にお客さまとして参加され、それからは折々 気仙沼での活動について相談させて頂くようになりました。緑さんが元々顔が広いこともあって、アイデアは次々と広がって、プロジェクトの活動も順調に進めることができるようになりました。もとより東京に在住している能楽師のプロジェクトですから、被災地での活動をするために必要な現地関係者との交渉はメール。。いやいや、むしろ もっぱら電話で行うしかない事が多いのですが、こと気仙沼に関しては緑さんが情報を仕入れたり、関係者と直接交渉してくださったり。とてもスムーズに物事が進むようになりました。ぬえも緑さんを なんとなくプロジェクトの「気仙沼リーダー」なんて冗談で言っていたのですが、だんだんと冗談ではなくなってきました。
今回も食材の調達の段階から緑さんの手腕が光り、そのうえ大晦日だというのにご家庭の事をやりくりしてプロジェクトの活動に参加してくださり、そのうえ実際の活動でも鍋の調理に掛かりっきりにお手伝い頂いて。。
そうなのです。活動を開始して気づいたのですが、能や音楽の実演家による炊き出し、って無理。。
装束が着いていたり、上演後は大切な楽器を丁寧に片づけたり。。演奏者が、その終演後に即座に住民さんのために作業を始めるのは難しいのです。今回は緑さんのほかにも村上充さんなど、受け入れに尽力してくださった現地ボランティアさんが参加してくださったので、終演からほどなく鍋のサービスを開始することができました。。これらボランティアさんがいなかったら、終演後に間髪入れずに炊き出しを開始することはできず、今回の活動は失敗に終わったことでしょう。。ぬえも見込みが甘かった。
こうした貢献があったために。。実際には活動の準備段階で緑さんの貢献を鑑みて ぬえは扇を用意したのですが、実際の活動では準備以上の大変な役目をひとりで引き受けてくださって。。ああ、扇を用意しておいてよかったぁ。
さてさて観洋さんでお風呂に入ることができて、ようやくひと息つきました。プロジェクトの活動に参加してくれた日出子さんや浩乃ちゃんもお疲れさまでした。
こうして大晦日の活動は無事に終わり、緑さんを気仙沼市内のお宅に送り届けてから、ようやく能楽師と音楽家の一団は陸前高田の宿に向かうことになりました。
気仙沼市内から宿まではおよそ40分もかかるでしょうか。ぬえは車を運転しながら、ずっと時計を気にしていました。