ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

PR/第七回 狩野川薪能

2006-06-08 01:14:48 | 能楽
源氏の御曹司の腹の傷も癒えぬうちに、今度は海に沈んだ平家の武将のお役を勤めさせて頂きます。(^^;)

この催しの最大の特徴は、地元民話をもとにして新作され、地元の子どもたちばかりで演じられる創作能でしょう。ぬえはもう七年目におよぶこの催しの第一回目から携わっておりまして、毎月2度ほど伊豆へ通っては子どもたちに稽古をつけております。この創作能も ぬえら指導にあたる能楽師が作ったもので、今回上演される『江間の小四郎』は2年前まで上演していた『城山の大蛇』に引き続いて ぬえら作の2つめの新作曲です。

さらに玄人能『船弁慶・前後之替』では ぬえは後シテのみ勤めますが、これに出演する子方も地元小学生から抜擢しています。プロの能に一役で参加するのは子どもにとってよい思い出になるでしょうが、入場料を頂いてお客さまにご覧頂くのだから、こちらの稽古は厳しく指導し、また当日はどんなに高熱が出ていようと、ケガをしていようと、必ず出演しなければならない、と固く申し含めております。観客に対する責任というものを自覚してもらい、この日ばかりはプロとして舞台に登場する事は、これまた思い出になるだけではなくて、彼らの将来にとっても大きなステップとなるでしょう。

第七回 狩野川薪能

2006年07月08日(土)午後六時開演
静岡県 伊豆の国市 狩野川河川敷特設会場

【第一部】
  ◆子ども創作能 『江間の小四郎』  (出演=地元小学生)
            笛   寺井 宏明   小鼓 柳原冨司忠
            大鼓 大倉正之助   太鼓 三島  卓
                        後見   桑田 貴志
                              安田  登
                        地謡後見 ぬ   え

          創作能作詞作曲 ぬえ、安田登、桑田貴志
                 作調 大倉正之助、三島卓

  ◆仕 舞
   高 砂/玄 象/小袖曽我/猩 々 (地元中学生)

                      地謡   ぬ   えほか
【第二部】

  ◆狂 言

   棒縛り 太郎冠者(シテ) 三宅 右近
           次郎冠者(アド) 三宅 近成/主(アド) 三宅 右矩

  ◆能
   船弁慶 前後之替
        前シテ(静 御 前) 桑田 貴志
        後シテ(平知盛ノ霊) ぬ   え
        子 方(源 義経)  三枝茉利奈(地元小学生)
        ワ キ(弁  慶)   安田  登
        間  (船  頭)   三宅 右矩
            笛  寺井 宏明   小鼓 柳原冨司忠
            大鼓 大倉正之助  太鼓 三島  卓
                          
                        後見 梅若 紀長ほか
                        地謡 観世 喜正ほか


            《総合プロデュース 大倉正之助》
            《主催/伊豆の国市 能友の会
                 狩野川薪能実行委員会》

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◎雨天会場= AXISかつらぎ(長岡総合会館)
◎入場料 = 全指定席 3,000円
         (ぬえ宛メールにてお申込の方は1割引とさせて頂きます)
◎お問合 = 狩野川薪能実行委員会 tel 0558-76-1630
◎お申込 = ぬえ宛メール(QYJ13065@nifty.com) またはお問合先に同


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『朝長』おわりました(その2)

2006-06-07 01:44:36 | 能楽
休暇を終えて東京に帰って参りましたー。

さて「橘香会」が終わってから、何通か『朝長』について感想のメールを頂戴致しました。どれもお褒めのお言葉を頂きまして恐縮しました。m(__)m

わけても本日、ぬえがいま最も信頼を置いている観客の方からメールを頂戴しました。この方は毎度欠かさず ぬえの舞台をご覧になって下さり、また毎度必ず感想をメールで寄せて下さいます。ところがその観察眼の鋭さ、確かさといい、観能歴の豊富さといい、ぬえが教えられる事が多いほど。そのうえこの方は ぬえに対して批判も堂々となさる。その批判となる部分というのが ぬえも自覚している箇所なので ぬえも納得できます。舞台上の失敗というのは もちろん ぬえも気がつくのだけれど、それが露呈しないようにすぐに取り繕って、ほとんどのお客さまには失敗に気づかれないようにします。それでもこの方は気がついちゃうんだから。。ぬえにとっては恐ろしいお客さま、と言えるかも。でも舞台人は褒められた言葉をそのまま鵜呑みにしてしまってはダメで、堕落の始まりの甘い誘惑なのです。ぬえ、そんな人を何人も見てきました。。客観的に自分を見ることがいかに難しいか。だからこそ ぬえはこの方からのメールを毎度心待ちにしています。そしてようやく今日頂いたそのメールを読むと、まあまあ及第には到ったらしい。そしてうまくいかなかった場面もちゃんとその通りにご覧になったようです。これで ぬえも安心して自分の『朝長』を総括できます。

それにしても今年になってからこのブログを始めて、当初は自分の稽古状況や作品研究を発信できるこういうツールを得た事は喜びだったのですが、公演の前まではそれでよろしいのですが、さて公演が終了すると、はて困った。自分の舞台の成果をどう書いたものか。。

諸手をあげて自画自賛するような事は論外として、何ヶ月もの間ずうっと考えながら構築してきたものを、個別に自分なりの成否を言うのも、これまた簡単なようでいて難しい。その「成否」というものが、当日の舞台に接したお客さまの目にどう映っていたのかは、ぬえ自身の思いとはまったく別だし、それは舞台に立っている人間にはわからないからです。そして、ここが最も肝心なのだけれど、演技にこめる自分の思いというものは自分の内部で自己完結してはならないのです。自分が万感の思いを込めて型なり謡なりを演じるとして、それは自己陶酔のマスターベーションに陥っている危険性は常にはらんでいます。自分が演じる役柄について、その人物像を描き出す作業をずっと稽古で行うわけだけれども、自分が「こう」と思う演じ方を見つけても、それで得心するのが自分だけ、ではプロではないでしょう。お客さまにどのように伝えるか。。否、どうやってお客さまにも「共感」して頂けるかを考えなければならない。

そこまで気を配って舞台を作り上げるべく努力したとしても、その共感というものをお客さまに呼び起こせたかどうかは、はてどうやって知ればよいのか。。師匠から事前に受ける稽古がこの点についてひとつの目安になるでしょうが、当日の舞台そのものの結果となると。

このブログでも、公演のあとにどうやって自分の舞台を総括するのかは、あまり考えていませんでした。ブログを始めてからも正月の『翁付賀茂』のツレや『鵜飼』のシテのお役はあったのですが、どちらも自分としては自信があったので、今回の『朝長』のようには悩まずに書き込みができたのですが。やっぱり大曲というのは恐ろしい影響を、後々までも及ぼすのですね。。

今日は ぬえが信頼する方からのメールを頂いて、ようやく自分の舞台の事を書けると思います。また、すでに舞台は終わったのだから、本当は舞台上で ぬえはどんな意図を持っていたのか、をお話しするのも解禁になったでしょう。。次回はそのへんについて少し突っこんで書いてみたいと思っています。

『朝長』おわりました

2006-06-04 23:07:24 | 能楽
昨日、ようやく「橘香会」での『朝長』が終わりました。

自分の出来としては、まあ、大過なく。。といったところでしょうか。。
師匠からも、すくなくとも叱られる事はなかったのですが、自分としてはうまくいかなかった点もあって、そうだなあ。。60点ぐらいかなあ。。
まあ、半分の50点は超えただろうから、まずまず、でしょうか。。
「悔い」は。。シテを勤めるときには必ずあります。
ああ、自分の舞台の成果についてが最も書きにくい~~ (>_<)
また、もう少ししてから舞台で思った事は書けるかもしれません。

ともあれ、ぬえがお配りしました『朝長』『遊行柳』の詞章のプリントは開演中にご覧になっていたお客さまはほとんどおられなかったようですね。100枚近い数のプリントをお配りしたのに、紙をめくる音はまったく気になりませんでした。
ご協力に感謝申し上げますとともに、「橘香会」にお出まし頂きましたみなさまにはあらためまして御礼申し上げます。m(__)m

今日から3日間、ぬえは休暇を取りました。ひさしぶりのお休みです。
海のそばで、ちょっとだけ静かな時間を過ごそうかと思っています。
なんせこのブログの書き込みもダイヤルアップ接続という静かさ。。(^^;)

それにしても頭を抱えるほどの失敗がないだけでもとりあえずひと安心。。




『朝長』について(その30)

2006-06-02 17:04:05 | 能楽
きのう無事に申合が終了し、ぬえの『朝長』もあとは本番を迎えるのを待つだけとなりました。

手応えは。。ある。 自分なりの、なので識者には「あんなのは『朝長』じゃない」と言われてしまうのかも知れませんが、大役を勤める事の責任は理解したつもりで、できるだけの稽古はしましたし、分不相応と思われているだろう事も承知で、卑屈に勤める事だけはしません。また舞台上で迷うような事もないよう、充分に稽古とシミュレーションは済ませてあります。ただ不安なのは稽古や申合と同じ声が出せるか。。こういうところは まだまだ体調やテンションのようなメンタルな部分によって大きく左右されてしまうんです。。ぬえ。(;_:)

また、師匠からは謡について根本的な注意を頂きました(じゃ、「きのう無事に申合が終了し」たんじゃないじゃん)。。最初は師匠のご指摘の意味があまり判然としなかったんですけれども、申合の録音を聞くと。。なるほど、よくおっしゃっている事がわかりました。そうは言ってもこれだけ作りこんで仕上げてきた謡なのに~~。。今日一日でこのご指摘を受けてもう一度謡を作りなおしました。。

あとは。。家に帰って稽古用の装束を羽織って、装束を着た場合に勝手が違ってくるだろうと予測される型を何箇所かチェックして、胴着と紋付・裃を用意して、玄関の盛り塩を取り替えて。。

明日はいつものようにご先祖様と ぬえの尊敬する恩師・小鼓方の故・穂高光晴師のお写真に手を合わせて成功を祈念して、楽屋入りを致します。

ここまでの『朝長』の上演へ向けてのレポート、ご愛読に感謝申し上げます。
敢えてこれまで書かなかった ぬえの舞台上での「計画」や、それから ぬえの上演には関係ないものの『朝長』を考えるうえで避けては通れない重い小書「懺法」については、公演終了後にお話してみたいと存じます。舞台で失敗してガッカリしていなければ、の話ですが。。(T.T)

このたびの「橘香会」にお申込み頂き、お舞台にご来臨される方々には、あらためまして御礼を申し上げます。お目汚しのないよう、十分に気を付けて、気を入れて勤める所存です。どうか みなさまにとりましても良い一日になりますように。

                                  ぬえ


末筆ながら、このたびの「橘香会」に ぬえを通じてお申込み頂きました方には上演曲『朝長』『遊行柳』の詞章をプリントしてお手元にお届けしております。鑑賞のご参考になれば ぬえとしても嬉しい事ではございますが、プリントにも明記してありますように、紙をめくる音はほかのお客さまの迷惑になりますので、どうぞ上演中にご覧になる事はご遠慮頂きますよう、お願い申し上げます。


→次の記事 『朝長』について(その31=懺法について その1)